チュニジアで大規模なデモやストライキが起き、政府に対する抗議運動が高揚して、ついにベン・アリー大統領の亡命を引き起こし、「ジャスミン革命」と呼ばれる事態に至ったのは2011年1月のことである(正確には前年12月後半から各地にデモが拡大していた)。その衝撃はエジプトなど周辺諸国に飛び火し、こうした一連の民衆蜂起と民主化の動きはやがて「アラブの春」と呼ばれることになる。 当時私は北村透谷や自由民権運動に関する本などを読んでいたが、「自由民権運動」が英語で“Freedom and People’s Rights movement”ということを知り、「(私も詳しい事情は知らないが、報道で知る限り)つい最近チュニジアで起こり、エジプトなどの周辺諸国へ波及しているのは、広い意味での“Freedom and People’s Rights movement”の延長ではないだろうか」と書いたりした(201
きわめて問題提起的な意欲作でありながら,どうしてこんな残念な結果になってしまったのだろうか。いや,むしろ,本書の著者ネイマークの持つその意気込みが,本書を残念なものにしてしまっているのかもしれない。読みながら,そんなことを考えた。スターリンのジェノサイド作者: ノーマン・M・ネイマーク,根岸隆夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2012/09/11メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る 本書,つまりノーマン・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』(根本隆夫訳,みすず書房,2012年)は,Norman M. Naimark, Stalin’s Genocides (Princeton: Princeton University Press, 2010)の邦訳であり,スターリン体制下での大量死を「ジェノサイド」と位置づけて論じる書物である。といっても,本文は日本語版で1
■ かつて日本を覆っていたファシズム 「国益が大事だ」と言うが、そのくせ「軍部が暴走するせいで国際的孤立を招いている」という批判を圧殺。 「愛国心を持て」と言うが、そのくせ「戦争をやって日本人の命が失われるのはイヤだ」という感情を圧殺。 「欧米人の手からアジアを解放せよ」と言うが、そのくせ「すみやかに現地人の自治を認めよ」という意見を圧殺。 国益を守るためにはどうすればいいかという批判精神も、おなじ日本人の同胞の命を慈しみたいという愛国心も、植民地にされたアジアを解放という理想も、すべてを少しずつ取り入れながら全然徹底するつもりがない。 まるで出来損ないのパッチワークのようだ。どのパッチも小さなサイズで固く縫いつけられ、機能不全のまま身動きが取れなくなっている。 皇道派のようにクーデターで政治を乗っとろうとする右翼は過激だから粛清。 国体変革をねらう極左の共産党に対しては、もちろん徹底的な
日本政府は、1993(平成5)年の河野談話「発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と答弁しています。ここで注意しておきたいのは、強制連行は無かったではなく『93年までの政府調査』で「強制連行を『直接示す』『記述』」が発見できなかったと答弁していることです。そしてその後の93年以降、日本が当時支配した地域の軍や各部隊単位で暴力や脅迫を用いて女性を無理やり連れて行くような「強制連行」をいくつも行っていたことは報告されています。 1994年にオランダ政府が公表した『日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告書』と題する公文書には、インドネシアのオランダ人抑留所から強制連行された女性たちが慰安所で性行為を強制されたことが報告されています(詳しくは後述『4. 強制連行などの証拠
以下の記事を読んで。 Business Media 誠:仕事をしたら“未来”が見えてきた(前編):なぜ映像が浮かび上がるの? 近未来のカーナビが登場した (1/5) この記事で紹介されてる近未来のカーナビの動画が以下にあった。 確かにこれは、近未来感で満ち溢れてるカーナビかも。 だけど、私が欲しいと思う未来のカーナビはこういうのではなく、もっと違うもの、なんだよなーというメモ。 カーナビがない頃のナビゲーション 今では当たり前のように車に搭載されてるカーナビ。でも当然だけど、かつては非常に珍しいものだった。 まだカーナビが一般的じゃなかった頃、見知らぬ土地での車の運転はどうしてたのかというと、一人で運転する時は、事前に少し予習をしておきつつ、助手席に地図を置いて、信号で止まった時に地図で確認する、という感じだった記憶がある。 一番心強かったのは、助手席で地図を見てくれて、次はどこで曲がれば
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 CrowClawの日記
【1976年1月14日】 ・ですから、規律的メカニズム体系が私たちの自由を奪うという事態に対し、つまり科学的知と結びついた権力の台頭に対して、私たちが持っている一見堅固な唯一の拠りどころとは、まさに主権をめぐって組織されたあの旧い原理につながる法に訴えること、法への回帰であるというような状況に私たちは現在置かれているのです。じっさい規律実践や規律実践に結びついた知と権力のすべての効果に対し、私たちが何らかの反対を唱えたいとき、私たちは具体的に何をするでしょうか。ひとは実際に人生において何をするでしょうか。司法官組合やその他の同様の団体はどうするでしょうか。まさしく、ほかでもないあの形式的でブルジョワ的な方散る、じっさいは主権法である法律に訴える以外何ができるでしょうか。私は思うのですが、ひとはこのような首をしめられる袋小路にいて無限定にこうしたことを続けていくことはできないのです。規律に対
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)の中に数ヵ所、足尾鉱毒事件への言及がある。 昭和三十八年、石牟礼氏は小冊子「現代の記録」を出し、「水俣はじまっていらいのチッソの長期ストライキ、その記録」を書くが、資金難のため「一冊きりで大借金をかかえる」(p 299)。その後に、「それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる」という文がある。 「あとがき」では、足尾鉱毒事件谷中村残留民の高田仙次郎のエピソード*1に触れ、「私はこの章のある「思想の科学」日本民主主義の原型特集号(一九六二年九月号)を座右にひきよせ、水俣病にかかわる自己の対話のよすがとしている」と記している。「谷中村の怨念は幽暗の水俣によみがえった」と石牟礼氏は見ていたのである。 第七章「昭和四十三年」の「いのちの契約書」という節には、氏が西日本新聞に書いた「まぼろしの村民権
G.K.チェスタートンのブラウン神父シリーズのある有名作品(1911年発表)に、「木を隠すなら森の中へ」云々という有名な言葉がある。正確には、次のようなセリフらしい(某サイトより引用)。「賢い人は葉をどこへ隠す? 森の中だ。森がない時は、自分で森を作る。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう」 足尾銅山の経営者はまず、「銅山の廃棄物(捨石)を隠すには川の中へ」と考え、それを実行したわけだが、川に大洪水が起きると、そのためにかえって近隣の地域と住民に鉱毒の被害が拡大してしまった。では、鉱毒の被害を隠すためには? 荒畑寒村『谷中村滅亡史』を読むと、奇想天外なまでに大掛かりで、ポウの「盗まれた手紙」の大臣を思わせるほどに大胆不敵な犯行の手口(トリック)が、フィクションではなく、現実に組織的に実行されたと
牧原憲夫氏は、足尾銅山が「生産合理性、経営合理性ではきわめて優れ」た、「当時の最先端技術を導入した近代的鉱山」だったことに注意を促している。 古河市兵衛は坑内外を民間初の電話で結び、選別機械や新型溶鉱炉を導入したほか、水力発電所を建設して排水ポンプ・巻揚機を電動化し、坑口と精錬所の間に電気鉄道を敷設した。また製品輸送のために、山を越えた日光との間をロープウェイで結び、東北本線を利用するルートを開発した。帝国大学卒の技術者や慶応出身の事務職も採用した。この時期、銅は生糸・茶などとともに日本の主要輸出品だったが、こうした努力の結果、九一年の産銅量は八八年の三七〇〇トンから七五〇〇トンに増大し、足尾だけで全国産銅量の三九%を占めた。労働者数も八三年の九〇〇人弱から九六年には一万人を超えた。「坑夫(タタキ)六年、溶鉱夫(フキ)八年、カカアばかりが五十年」と歌われたように、労働条件は劣悪で労働者の生
この小説は1961年(昭和36)、今からちょうど50年前に発表されている。常盤新平氏の「解説」によると、当時は田中正造の存在はほんの一部にしか知られておらず、「公害という用語さえ、なじみのあるものではなかった」(中央公論社版の作者あとがき)らしい。 辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)作者: 城山三郎出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 1979/05メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 23回この商品を含むブログ (15件) を見る 武田晴人『高度成長』によると、「深刻化する環境破壊は、五〇年代後半にはすでに熊本県水俣地方の「奇病」の発生や、大気汚染、水質汚染、地盤沈下などの問題として認識されていた。しかし、これらが企業活動に伴って発生している人為的な加害に基づくものであるとの認識は薄かった」という。政府がようやく「有機水銀説を認め、水俣病
先月末、内閣府の園田康博政務官が、「東京都内での記者会見の席上、東京電力福島第一原発にたまっている低濃度の放射能汚染水を浄化処理した水を飲んだ。低濃度だと証明するために飲んだらどうかとのフリーライターの求めに応じた」(「園田政務官、原発の浄化水飲む 「飲んだら」と言われ」朝日、2011/10/31)というニュースがあった。 実は約百年前にも、同じような光景があったらしい。もっとも、百年前にコップの水を突きつけられた某大臣は、どうやらその水を飲めなかったようである(浄化してない「毒水」だったので)。 「かつて鉱毒猖獗(しょうけつ)を極めたとき、正造は頑迷固陋(がんめいころう)、無毒を主張する某大臣に、『しからば毒水をのんでくれい』と、コップに持参した。大臣は顔色を変えた。見ただけですでに毒効があらわれたのである。また、鉱毒の砂を伊藤さんや大隈さんのきれいな庭で使ってもらおうと思ったが、聞き入
スタンフォード大学の講義をオンラインで受けられるようになったようです.以下は機械学習の講義です.Machine Learning - Stanford University公式な単位がもらえるわけではありませんが,講義ビデオや教材が提供され,講師に質問できたり,課題が出たりするようです.2010年の講義内容(スライドなど)は以下にあります.CS 229: Machine Learningまた,先日も紹介したように少し前(2008年?)の講義ビデオはこちらやiTunes Uから見ることができます.Stanford School of Engineering - Stanford Engineering Everywhere 機械学習のほかには,人工知能の講義や,データベースの講義が行われるようです.Introduction to Artificial Intelligence - Fall
私が最初に読んだ小熊英二氏の著書は、『市民と武装――アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(2004年)だった。これは、「市民と武装――アメリカ合衆国における「武装権」試論」と「普遍という名のナショナリズム――アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」の二本の論文を収めたもので、前者はもともと1994年に発表されている(後者は1992年に執筆したが、未発表だったとのこと)。 最初に読んだときは「アメリカの銃規制問題」の歴史的背景を考察したものというぐらいの印象しか持たなかったが、今回再読してみて、氏の問題意識はむしろ、市民権の問題を「武装権」の歴史から捉えるというところにあることがわかってきた。 一七世紀イギリスの思想家ハリントンによれば、土地が君主や貴族によって独占されていた時代は傭兵や貴族が軍の主力となるが、共和制では土地を所有して自立した市民は自らの財産を守るため武装しており、こうした人
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