高度成長期からそれ以降の時代、日本人には「差別にもとづいた笑い」が楽しまれていた。そしてそれは「必要とされて」もいた――ある時期の日本の成長は、「日本版ヒルビリー」を足蹴にすることで達成されていたのではないだろうか? 川崎氏がアメリカと日本のヒルビリー層をディープに分析する短期集中連載第4回! 「サムライ」のほうを選びたがる深刻な屈折 サッカーや野球、そのほかのスポーツの日本代表選手団の男子チームに対して、「サムライ」が付いた愛称が与えられることは多い。「日本人の大半」にとっては、こうしたイメージがきっと心地いいはずだ、というマーケティング結果に基づいたものなのだろう。いつも僕は逆に、とても居心地悪いものを感じるのだが。 なぜならば、いま生きている日本人の大多数は「百姓の子孫」だからだ。関山直太郎『近世日本の人口構造』によると、江戸時代末期の日本、約3200万人の人口のうち、約84%が百姓