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ブックマーク / watashinotaiken.hatenablog.com (7)

  • 新聞配達をする友人 - 私の不思議な体験

    私が中学、高校の時の友人のお話である。 年代としては、昭和61年(34年前)~平成2年(30年前)のお話である。 私の友人に、新聞配達をする友人Gがいた。 友人Gは、家が裕福ではないということもあって、新聞配達をして家庭を支えていた。 友人Gとは、私は特に仲が良かった。 話が合ったし、波長も合った。 特に理由はないが、一緒にいて居心地の良い存在だった。 そんな友人Gとは、中学校は同じだったが、高校では離ればなれとなった。別々の高校に進学することになったが、時折、一緒に遊んでいた。 そんな友人Gの彼には特殊な能力があった。 私も霊感が、他の人より優れているという能力を持ち合わせているが、この友人Gにも他の人間には無い能力が備わっていた。 それを最初に知ったのは、二人がまだ中学生の時だった。 それは忘れもしない、1986年(昭和61年)1月24日、学校の教室で休み時間、友人Gと喋っている時だっ

    新聞配達をする友人 - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/05/09
  • 四階で降りていく紳士 - 私の不思議な体験

    私は昔から、町で道をよく尋ねられる。 酷い時には、一日に3人も4人にも尋ねられる。 今から7年前の12月に差し掛かった頃の出来事である。 私は出張で岐阜市内に一週間滞在することになった。 私の自宅は岐阜のお隣の愛知県名古屋市なので、岐阜に滞在せずに、一週間、名古屋から電車で岐阜に通勤すれば済む話なのだが、仕事が終わるのが深夜ということもあり、自宅へ帰ることは難しいと考え、岐阜市内のホテルに一週間、宿を取った。 岐阜に滞在して初日、仕事が終わった。 その日の仕事が終わったのは、夜の10時頃だった。 私はホテルへ戻る前に、名鉄岐阜駅近くの焼鳥屋へ一人で入り、自身の労をねぎらっていた。 お酒もほどほどに、焼鳥屋を出ると、コンビニへ寄ったあと、ホテルへ向かって歩いた。 私が宿泊するホテルは、岐阜のメイン通り沿いに建つビジネスホテルだ。 宿泊料金もお手頃でもあるし、全国チェーンのホテルであるという安

    四階で降りていく紳士 - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/05/03
  • 見知らぬ同居人 - 私の不思議な体験

    今から20年前、東京に住んでいた時のお話である。 そのマンションには、その時点で3年ほど住んでいた。 1LDKのマンションだった。 男一人の身でもあるので、その広さで十分だった。 ここ最近・・・ 私は何となく気が付いていた。 「部屋に誰か、いるな・・・」と心の中で思っていた。 霊感が小さな頃から、強い。 他にコレといった才能もなければ、得意なこともないが、唯一、霊感だけは人様よりは少しだけ秀でている。それぐらいしか、自慢できることは、私にはない。 深夜、眠っていると、キッチンから気配を感じる。 間違いなく誰かがいるということだけは、分かる。 しかし、それが男性なのか、女性なのかは分からない。勿論、若い人なのか、年をとっている人なのかも分からない。 でも、いるのである。 霊感が強いと、部屋に霊がいたとしても、それほど怖いという感情は沸いてこない。私以外の霊感が強い人はどうなのかは私は知らない

    見知らぬ同居人 - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/04/28
  • 誰も座らない席 - 私の不思議な体験

    昨年の夏、地下鉄車内であったお話である。 私は名古屋に住んでいる。 名古屋という街は、地下鉄の存在感が非常に大きい。 東京、そして大阪にも私は長く住んだことがあるが、名古屋のそれは顕著だ。 JRや私鉄に乗ることが無い人がいたとしても地下鉄を使わない人は、まずいない。名古屋はそういう土地柄だ。 言い換えれば、地下鉄依存率が非常に高い街ということである。 そんな私も、ご多分に漏れず、ほぼ毎日のように地下鉄を使っている。 昨年の8月、友人とプライベートの用事の帰り、名古屋市営地下鉄のある路線の始発駅から地下鉄に乗った。 始発駅ということもあり、その駅から車内に乗り込んだお客はそれほど多くはなかった。 その証拠に、私と友人が乗った車両には、私たちの他に5人しか乗客はいなかった。 名古屋市営地下鉄 東山線 私たちが乗り込んで、しばらくすると地下鉄は出発した。 一駅、そして一駅と進んでいった。 始発駅

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    kobonemi
    kobonemi 2020/04/24
  • 肝試しの後始末 - 私の不思議な体験

    私が小学四年生の時、私の住む家の町内会の約20名ほどの人数で、二泊三日の旅行に行った。 町内会の住民同士で旅行に行くということが、ご近所づきあいが希薄になった今の時代もあるのかどうかは分からないが、私が小学四年生当時、今から38年前には、そういう行事があった。 旅行先は、滋賀県にある旅館だった。 私の家は大阪にあった。 大阪から気軽に行ける旅行先としては、滋賀県はよく候補に上がる土地だ。 昼は琵琶湖周辺でお土産を買ったり、地元の美味しい料理べたり、写真撮影をしたりといった、よくある旅行での時間を過ごした。 私の家からは、この旅行には、私と母親の二人が参加していた。父親は参加していなかったが、どうして不参加だったのかは、さすがに記憶にない。 恐らくこの旅行は週末を利用して行われたと思うので、父親にしてみれば、「たまの日曜日ぐらい休めせてくれ」ということだったのかもしれない。 現実、他の家

    肝試しの後始末 - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/04/20
  • 「またね」って君は言ったのに・・・ - 私の不思議な体験

    今から34年前、私は中学三年生だった。 年号でいえば、昭和61年である。 小学校時代から仲がよく、中学になっても三年間、同じクラスになったということもあって、その仲も更によくなった友達がいた。 その仲良しの友達である、友人Aとの間で起きた、思い出である。 当時、ファミコンが大ブームとなっていた。 私たちは「ファミコン第一世代」である。 今まで、ゲームセンターでしか出来なかったテレビゲームが、家で出来るということに、当時の子供達は衝撃を受けた。 当初、発売されたファミコンは、ゲームソフトが6しかなかった。それも、今からしたら、雑なゲームのものばかりだ。しかし、あの当時はそれが「この世で最高の玩具」だと、あの当時の子供たちは、信じて疑わなかった。私もその一人だった。 毎週土曜日、3時間の授業が終わり、帰宅した後、自宅で昼ごはんをべると、友達の誰かの家に集まり、ファミコンに興じていた。 友達

    「またね」って君は言ったのに・・・ - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/04/18
  • 私が、契約しなかった部屋 - 私の不思議な体験

    今から18年前、私が東京に住んでいた時のお話である。 私が住むマンションは5階建ての3階だった。 よくあることだが、5階建て特有のエレベーター無しで、3階の自分の部屋へは階段で登らなければならなかった。 運動代わりにはちょうど良かったが、仕事で疲れて帰宅した時は、その3階が、とても遠く感じられた。 私の向かいの部屋に、同じ年くらいの女性(A子さん)が一人で住んでいた。 そのA子さんとは、時折、階段で擦れ違ったり、ゴミを出す時に会ったりするぐらいの、ごく普通のご近所さんの関係だった。 その日は仕事が長引いてしまった。 最終電車で自宅最寄駅まで帰ってくると、コンビニで晩御飯を買い、マンションに着いたのは、深夜1時を過ぎていた。 1階の入り口でオートロックの鍵を開け、郵便ポストの中を確認し、階段を上がり始めると、私の他にもうひとり、階段を上がってくる気配を感じた。 後ろを振り返ってみたが、誰もい

    私が、契約しなかった部屋 - 私の不思議な体験
    kobonemi
    kobonemi 2020/04/13
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