マンガに関するkomogawaのブックマーク (256)

  • の残滓 - 平野耕太「進め」のあゆみ

    増刊エース桃組 vol.1 2000/11 進め!以下略。 酒と煙草と男と女とSEXとウソと鸚鵡と膃肭臍とYシャツと井戸の中。 vol.2 2001/03 進めば? vol.3 2001/07 進むフリ。以下略。 vol.4 2001/10 進。 vol.5 2002/01 SSM. vol.6 2002/04 進んだり進まなかったり以下略。 vol.7 2002/07 仁義なき以下略。広島死闘編 vol.8 2002/10 略。 vol.9 2003/01 進めって言われたら進みますけど進むな!って言われれば進みませんよ以下略。 vol.10 2003/04 進めング。 vol.11 2003/07 平沢進め!以下略。 vol.12 2003/10 進メン75。 vol.13 2004/01 進ぬ!! vol.14 2004/04 進めンス〜それはいのち〜 vol.15 2004/07

    の残滓 - 平野耕太「進め」のあゆみ
  • 戦後日本 少年少女雑誌データベース

    「アニメ・マンガ」の形成は、戦後の大衆文化である少年少女雑誌(マンガ雑誌を含む)が発生源であると言われています。しかし残念なことに消費材として扱われてきた雑誌の宿命から、発行部数に比して現存するものが非常に少なく、また存在しているものは紙の劣化等から保存そのものが危ぶまれる状況にあります。 弊社は平成6年より戦後日の少年少女雑誌の総体を捕らえるべく、データベースの製作に着手しました。データベースの製作方針は、一点一点雑誌の現物に当たり、表一より表四まで、できる限り詳細に雑誌書誌の採録を行うとともに、当時の編集者・出版関係者に聞取り調査をおこなうことで、当時の少年少女雑誌の出版状況の把握ができるように努めました。 弊社は日のマンガ研究、マンガコンテンツの先進性・国際性を更に推進していくために、データベースを広く世に公開し、随時更新を続けていきます。 データベースをご利用

  • いけさんフロムFR・NEO RE 高橋留美子「けも・こびるの日記」とスピンオフ「まき・くに日記」

    「けも・こびるの日記」という作品をご存知でしょうか? 80年代に発売された少年サンデーグラフィック「うる星やつら」内で連載された高橋留美子自身による日常を描いた、いわば日記の様な作品がありました。 作者の近況というのは、ファンなら誰でも知りたいと思うもの。 最近のコミックスでは、巻末のオマケとして近況コミックを収録しているケースが珍しくありませんが、80年代を思い出してみるに、まず皆無だったと思います。 ゆえに、この様な形で当時人気の最上ランクに位置していた高橋留美子先生の近況が分かるというのは、かなり貴重であり、かつ楽しませて頂いた記憶があります。 少年サンデーグラフィックは当時アニメと平行して発売されたシリーズで、全15巻+完結編が発売されており、現在では入手が困難になっているかと思われますが、コミックス未収録の作品のいくつかが収録されており、ファンにはたまらないシリーズだと思いますね

    komogawa
    komogawa 2008/02/20
    『ダスト・スパート』(1980)も紹介済。「少年サンデーグラフィックスうる星やつら」は1982年から
  • サンデーグラフィック

    小学館から少年サンデーグラフィックとして「うる星やつら」が発売されていました。小学館から発行された物は、01~15までの全15巻及び完結編の特集となるスペシャルです。内容は、アニメの特集から高橋先生をメインに据えた物まで多岐に及んでいます。また、高橋先生の初期のマンガ作品も掲載されたことから、これら初期作品になかなか接する機会のないファンからは熱烈に歓迎されました。冊誌自体も再販はされないとの話であり、当時のファンは発売日に屋に走ったものです。内容的にかなり苦労したことだと思いますが、それだけに面白いネタなども多く、今でもうる星やつらを語る上で外せないシリーズと言えるでしょう。 現在、入手するためには古書店等を探す必要がありますが、東京の神保町あたりなら確実に入手可能だと思います。ただし、東京価格で非常に値段が高く設定されています。最新の価格はわかりませんが、1~2年前で1冊あたり200

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    komogawa 2008/02/20
    高橋留美子「けも・こびるの日記」
  • 藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘 - 大卒無職がなぜか大学受験の勉強をする

    まったく、「インターネットはあてにならない」ということは最近よく思うのだが、大好きな藤子先生のこととなるとまた強烈な怒りが噴出する。 とりあえずこれを読んでほしい。 手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』 宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』 庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』 富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』 藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか 「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、 私の持っている漫画観は全く逆です。 人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。 自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているもの

    藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘 - 大卒無職がなぜか大学受験の勉強をする
    komogawa
    komogawa 2007/11/18
    吾妻ひでお『二日酔いダンディー』
  • http://www.chestjp.com/chest/jo-jiakiyamaura.htm

  • 質問?ボコボコにしてやんよ! タイジャンホクトだけど何か質問ある?

  • あとがき漫画・1/4スペース - close/cross; confusion is sex

    http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20071026 あとがき漫画じゃなくて少女漫画のいわゆる1/4スペースだけど、前調べようとしてて中途になった文章があったので載せてみる(mixiに載せた) 下で「エイリアン通り」が最初と書いてるけど、その後調べたら「あいつ」1巻(1980年ごろ)にもあった。「みき&ユーティ」以前は調べてないので不明。あと、あとがきスペースについては今調べたら大矢ちき「おじゃまさんリュリュ」(1975)には「ちきちゃまのまんが履歴書」というコーナーがあった。 まとめると、今のところ自分が調べてるうちで最古は成田美名子(1980年)。それ以前のをご存知でしたらブクマとかで教えてください 1/4スペースで近況を書く以前は小さなカットが載ってたり、あとはうまく隣のコマとつないでまるでそこに広告スペースが無かったかのように改稿するのが主流 以下転載

    あとがき漫画・1/4スペース - close/cross; confusion is sex
  • 深町秋生の序二段日記

    あとがきマンガって、いつからあんなに増えたのだろう。今日は現代コミック事情。 最近の単行コミックには、「あとがきマンガ」が載っている場合が多い。ホントずいぶん増えたと思う。しかしこれって90年代前半くらいまでなかった文化だと思う。(あったらごめんなさい) 昔のジャンプコミックなどには、作品と一体なんの関係があるのかさっぱりわからないタレント(渡辺徹とか大場久美子とか)による「応援してるよ! キン肉マン!」「加納の生き様に惚れる!」なんて文章が載っていたけれど。もちろん人が書いたわけではないだろうが、今にして思えばあれもよくわからないメディア戦略だった。 あとがきマンガの大半は作者近況&自虐ネタである。締め切りがどうのとか、いかに多忙で潤いのない生活を送っているかという話が多い。おそらく同人誌コミックからの流れなんだと思うが、でもひょっとすると一番古参の部類に入るのは、オタ文化からかけ離

    深町秋生の序二段日記
  • http://d.hatena.ne.jp/nanari/20071005

    komogawa
    komogawa 2007/10/09
    「最新の著作『未確認文化物体』(2006年)をぱらぱらとみていると、1990年代に自伝マンガが突然続出した時期があったというから」、アメリカ・日本との比較
  • 日本における漫画の保存と利用 / 内記 稔夫,秋田 孝宏 - 2007年発行(CA1622〜 ) - カレントアウェアネス (季

    における漫画の保存と利用 1.漫画保存の必要性の増大  漫画やアニメが「世界に冠たる日文化」といわれて久しい。中でも「漫画」は,今や「MANGA」という国際語になっている。海外から高い評価を得てから国内でも見直されるという現象は,江戸時代の浮世絵の海外流出とよく似ている。海外からの評価は別にしても,漫画はその時代を反映する表現として次世代へ伝えてゆくべきものであり,そのためには当然,十全に保存されなければならない。 漫画の進化発展は目覚ましく,終戦直後の物資の無い時代に出版されたいわゆる赤漫画は,玉石混淆で粗末な製と安易な内容のものもあったが,手塚治虫作品に代表される素晴らしい作品も多数出版されていた。その後の1950年代半ばから出始めた貸漫画にも玉石混淆の状況が受け継がれ,ここからも後に大家といわれる漫画家が大勢デビューしている。例えば,さいとう・たかをや白土三平,水木しげ

    日本における漫画の保存と利用 / 内記 稔夫,秋田 孝宏 - 2007年発行(CA1622〜 ) - カレントアウェアネス (季
  • 1970年代までの同人誌の歴史 - www.jarchve.org

    注意:この文章は2003年〜2004年にかけて書かれ、「ロリコン入門」というコンテンツの補足記事として公開されました。ロリコンと同人誌の関係性を意識して解説しているため、所々それを前提とした書き方がされています。違和感を感じた人は読みすごしてください。 ロリコン以前の同人誌歴史コミケットまで) 最初の同人誌ブームは1953年前後に『漫画少年』(学童社/1947年創刊・1955年休刊)を中心に起きた。同人誌といっても、当時はオフセット印刷もコピー機も満足に無い時代であるから、会員間で郵送して回し読みをする全て手書きの「肉筆回覧誌」が普通である。有名なものには、石ノ森章太郎が会長の東日漫画研究会(会員には赤塚不二夫、高井研一郎、水野英子らが居た)による『墨汁一滴』、鈴木光明が会長の『ぶるーばーど』(永島慎二、石川球太など)がある(ちなみに藤子不二雄が作った漫画同人誌『少太陽』は1951年

  • マンガ本にはなぜ作者プロフィールがないのか (2007年7月25日) - エキサイトニュース

    写真は相原コ−ジ・竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』の、パロディ風記事。確かに昔は、連載作家陣総顔出しのこんな企画、ありました。さらにこの写真、よく見ると、作者の2人に混じって小学館の少年マンガ界を今も支え続ける超大物マンガ家がいたりも……。 好きなを見つけると、決まってすぐしたくなるのが、作者のプロフィールチェック。何歳ぐらいの人で、これまでどんなものを書いてきたのかなど、知りたくなる人は多いのではないだろうか。 でも、小説やノンフィクションのには必ずあるプロフィール、どういうわけかコミックにはほとんどない。 カバー袖に同版元の同シリーズのが記載されてたりする場合はあっても、たいていは自分で調べないと、その作者の他の作品を知る術がないのだ。 これってどうして? あるマンガ編集者に聞いてみると……、「あくまで私の推測としては」として、以下のような話をしてくれた。 「小説家はずっと

    マンガ本にはなぜ作者プロフィールがないのか (2007年7月25日) - エキサイトニュース
    komogawa
    komogawa 2007/07/31
    ないのか。以前はどうだったか。ジャンルによる違いは。
  • 俺のマンガが載った遥か昔のヤンマガが出てきた その1

    1 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:20:27.09 ID:a45uMnhQ0 平成11年wwwwww 内山理名ブスすぎワロタ 2 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:25:36.99 ID:a45uMnhQ0 右上の「いいわけ」ってやつが俺の描いたやつ 受験失敗のいいわけにしようと思って名付けた記憶がある 今読んだら、内容がカオスすぎて意味わからん 4 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:28:35.55 ID:a45uMnhQ0 ほめられ過ぎwwwwwwwwwwww 5 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:29:29.41 ID:Vv6nJEu20 まあ今連載してるオレにしちゃあ、アンタは負け組みだ 6 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/2

    komogawa
    komogawa 2007/07/30
    カラスヤサトシの入選作、1999/3/22,no.14
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    komogawa
    komogawa 2007/07/14
    黒田硫黄
  • まず河浜発表 - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    九大の院生、河浜秀明さんの「エッセイマンガの成立過程」は先週の京都での大会の発表では触れられなかった「りぼん」や、少年誌の目次ページの作家近況欄などにも触れて、さらに充実した内容でした。が、あえてキツいことを言えば、なまじ新しい素材を入れたためか、考えながらしゃべり、しゃべりながら考え直し始めてしまってるのが聞いてて分かる、という彼の悪い癖が若干出てしまっていて、もともと言うつもりなかったんじゃないかって感じの不用意な一言を挟んだり、そこはちゃんと説明しろよってとこでモゴモゴしたりしてたので、キーワードの概念規定のあやふやさを跡上史郎さんにびしっと指摘されたりしてしまったのでした。 河浜君は今回の発表で「エッセイマンガ」を「作者が自分自身を作品中に登場させ」、かつ「作者が自分自身の「体験」を語る」マンガと定義しているのですが、「エッセイ」を辞書で引くと「形式にとらわれず、個人的観点から物事

    まず河浜発表 - 宮本大人のミヤモメモ(続)
  • 火曜は4年ゼミ、水曜は比較文化入門 - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    「入門」は毎週学科の先生が入れ替わりで自分の専門分野への入門的な講義をするのの、僕の番でした。「ちゃお」「なかよし」「りぼん」のふろくの話から、マンガへの読者論・受容論的アプローチを、それから夏目房之介さんと大塚英志さんの議論を紹介しつつの、戦後マンガ史における「成長(の困難)」という主題と表現の関わりの話から、マンガへの表現論・作品論的アプローチを、それぞれ簡単にご紹介しました。 2時限に昼間主の学生向け、6時限に夜間主の学生向けに、同じ内容で話すのですが、2時限のほうは、1回だけどどういう「招待」をするか、明け方まで悩んでしまったために、若干消化不良な感じで話してしまい、不完全燃焼でした。とりあえず、今の少女誌のふろくと過去1967年までの「なかよし」「りぼん」のふろくの変遷を10年ごとにさかのぼってたどっていく、というのでつかみ的にはよかったんですが、あまりに素材のインパクトで学生さ

    火曜は4年ゼミ、水曜は比較文化入門 - 宮本大人のミヤモメモ(続)
    komogawa
    komogawa 2007/07/14
    >今の少女誌のふろくと過去1967年までの「なかよし」「りぼん」のふろくの変遷を10年ごとにさかのぼってたどっていく
  • giorgio agamben & fujiko f. fujio

    その他の人々を見抜く方法 ジョルジョ・アガンベンと藤子・F・不二雄* 『d/SIGN』no 7, 太田出版, 2004年4月, pp. 122-129. 1. ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』 ジョルジョ・アガンベンは1942年生まれで, 現在61歳です. 1990年代には, 田崎英明さんをはじめとするほんの一握りの人しか日語では言及していませんでしたが, 2001年末には京都 (立命館大学) と東京 (東京外国語大学) を訪れ, 講演をしたので, もしかするとそこにいらっしゃったかたもおられるかもしれませんし, 今では少しは知られるようになっているかもしれません. 彼は現代イタリアの哲学者です. 1960年代後半からすでに執筆活動を開始しましたが, 当初はマルティン・ハイデガーやヴァルター・ベンヤミンの影響下で, また同時に, 図像学 [イコノロジー] への興味から, 美

  • 夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その1) - 漫棚通信ブログ版

    将来、自伝か伝記が書かれるかもしれない(?)夏目房之介。もうじき、新しい著書が出る予定だそうで、楽しみですね。彼が自称するマンガコラムニストという言葉には、マンガ「のことを」書くコラムニストと、マンガ「で」書くコラムニストというダブルミーニングでしょうが、最近すっかり文章の人になってしまって、たまにTVで彼の描いたマンガを見ると(漱石の番組とか)ほっとします。 わたしは夏目房之介のいい読者だったと自分では思ってます。なんせ週刊朝日の10年以上の連載中、ほとんど雑誌で読んでましたから(実はわたしが買ってたわけじゃなくて、実用書以外まったくを読まないウチの親父が、唯一買ってた雑誌が週刊朝日だったんですね)。というわけで、新作評論を読む前に、夏目房之介の足跡を整理しておきましょう。同時代読者のひとりが彼をこう見ていた、というサンプルとしてお読みください。 ○「デキゴトロジー」と「學問」 「デキ

    夏目房之介:マンガコラムニストの誕生(その1) - 漫棚通信ブログ版
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