非/国民の続き。↓ その人の名は中村輝夫。 彼は日本軍兵士として、1972年まで「戦った」横井庄一、1974年3月まで「戦った」小野田寛郎よりも長く、1974年(昭和49年)12月までインドネシアのモロタイ島で「戦った」。 だが、最後まで「戦った」彼は横井・小野田ほど知られていない。 なぜか。 もちろん、それは彼が日本人ではなかったからだ。 中村は発見時、捜索隊の「君が代」に直立不動するも「愛国行進曲」を聴くと捜索隊が日本人ではないことに気づき銃を手に戦おうとした。説得に応じたあと、所属部隊・階級・姓名・本籍地を標準語でハッキリと述べこういった。 “「日本はまだ負けてはおりません。自分は日本に帰りたい」” 最後まで「日本人」として「戦った」中村輝夫は、日本人だったのだろうか。 1899年、国籍法が当時に日本全領土へ施行される。 1895年の領有時、講和条約により2年の猶予をもって台湾住民は
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