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会話による言葉の解離的消失と共謀罪の憂鬱 | 性・宗教・メディア・倫理
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会話による言葉の解離的消失と共謀罪の憂鬱 | 性・宗教・メディア・倫理
“いま日本では、会話体主義が支配的なモードとなっている。会話体とは、合意の気分にもとづく文体であり... “いま日本では、会話体主義が支配的なモードとなっている。会話体とは、合意の気分にもとづく文体であり、しっかりとした証拠をもとにした反論を伴わない。” 大江健三郎 (2004年3月5日、外国特派員協会にて) “言葉はただ騒音から発生し、騒音の中で消えうせていくだけである。沈黙は今日では単に、まだ騒音がそこまで進入していない場所であるに過ぎない。それはただ騒音のひとつの中断にすぎないのである。” “一切は普遍的騒音語の中に存在しており、しかも、存在していない。そこには言葉の現実的存在もなければ、また忘却もないのである。現代の世界においては、もはや人間によって直接に忘却がなされるのではない。忘却はいわば人間の外へ、普遍的騒音語のなかへと押しやられてしまっている。しかし、そのようなものは決して忘却ではない。それは騒音語の中での単なる消失でしかない。だからこそ、そこにはまた寛恕がないのだ。” 『沈黙