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ブックマーク / technique.hateblo.jp (15)

  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
  • Freezing Point - 「処理の完遂」と、「終わりなき」の構造

    ひきこもりの自意識は、傷口そのもののように膿み続ける。 強迫的な再帰性は際限なく意識の秘肉を痛めつけ、痛みを感じることが現実を感じることに等しい。 傷の再生産以外に、現実を感じられる場所がない。 外界の狂乱に巻き込まれれば、再帰的な確認のタスクが増えすぎてわけがわからなくなる。 意識が、引き裂かれた虚無感でしかなくなる。 社会的意識の再起動は、自動的に再帰性の再起動になり、傷の再生産にしかならない。 「社会復帰せよ」「お前はクズだ」――こうした声は、人の中にすでにある再帰性の声をなぞっているにすぎない。 「自らに対して、処理を完遂せよ」 どんなに熟練しても、外界の動きはわれわれの処理スペックを超えている。 規範の強迫化は、足かせにしかならない。 関係に巻き込まれれば、共同体的自意識がますます自分を縛りつけ、ますます身動きが取れない。 いずれにせよ、処理は追いつかない。 処理が追いつかなけ

    Freezing Point - 「処理の完遂」と、「終わりなき」の構造
  • Freezing Point -  中間集団と党派性

    ひきこもりは、直接には「中間集団からの脱落」という形を取る*1。 逆に言えば、サバイバルの鍵は「中間集団への参入」にある。 経済的な事情をまかなえる中間集団に恒常的に参加できれば、それ以上「社会参加」する必要はない(これは誰でも同じのはず)。*2 ひきこもりは弱者の問題だから、支援的な興味を持ってくださるのは左翼系の方が多い。 私は10代にはじまり、いくつかの左翼系の人間関係を経験したが、どうしても気になるのが、その強烈な党派性だ。*3 こちらがいくら社会的に弱い立場にあっても、「党派の敵」と目された瞬間、殲滅しても構わない相手にされてしまう*4。 一旦スイッチが入ってしまったら、もうどんな抗弁も通じない。 イデオロギー的正当性を主張する人たちは、「100%の正義の味方」という独りよがり――いや「集団よがり」――に陥る*5。 党派的な中間集団を形作るのは左翼だけではない。→ 「党派性のない

    Freezing Point -  中間集団と党派性
  • Freezing Point - 「規範との付き合いかた」

    私がTV番組の文字起こしを公表し、自分でTV局に連絡を取って著作権についての意向を確認した件について、「なんで自分から連絡してんだバカ!!」(大意)という忠告を、ある知人から頂きました。 「なるほど、ヒキコモリ的だね」と。 知人が指摘してくれたのは、そこで問題になっていた著作権そのもの*1というよりも、「規範との関係において柔軟な考え方をとることができない」という私の性向についてでした。 ――私はこれまで、「交渉と契約における無能力」とか、「トラブル耐性の低さ」とかの話を、ひきこもりの核心的モチーフとして強調してきましたが、そもそも私がこうしたモチーフに注目したのは、自分自身がそうだからです。 規範との関係における逸脱を極端に恐れていて(強迫化している)、それがトラブル耐性の低さや、柔軟な対応能力の低さに直結している。――このことは、交渉主体としての私を極端に弱体化させています。 私が、宮

    Freezing Point - 「規範との付き合いかた」
  • 2006-06-19

    よく、研究者に適した資質って何ですか、と学生たちに聞かれる。 ボクはそれがすべてとはけっして思わないけど、ひとつの重要な資質は、まちがいなく、孤独に耐えられることだと思う。 ひきこもってる人は、孤立はしているが、孤独には弱いと思う。 むしろそこを課題にしてはどうだろう。 社会性 = トラブル耐性 = 孤独に耐える能力 【追記: これは、私が自他の問題をそのように整理してみた、ということなのですが、すぐに思いつくのが、「問題を個人の責任に還元するのか?」という疑問です。 そもそも、「孤独に耐える力」や「トラブル耐性」は、孤立しすぎた人間では弱くなりがち。 ▼「孤独に耐える力」を課題として設定することは、必ずしも責任を個人に還元することではないと考えます。――最初は自覚していませんでしたが、ここで私は、新しい論点を招き入れてしまったかもしれない。】 当blogでは何度か触れてきましたが、発表さ

    2006-06-19
  • 2006-06-21

    ネット上で何度見たか分からない、一般のかたのにこやかな声。 「ひきこもりニートには、殺意に近い嫌悪感がありますね」 塩倉裕『引きこもる若者たち (朝日文庫)』p.34より 家族教室は、相談に来た親たちのうち何人かに声をかけ、定期的に集まる方式で始まった。(中略) ある日の「教室」には、六人の親たちが参加して、語り合っていた。(中略) 「動き出すまでに一体、何年かかるのか。 いっそ交通事故で死んでくれたら、と思ってしまったこともあります」という発言には、数人の親が黙ってうなずいた。 その声を追いかけるように、「私だって、何度殺そうと思ったか……」という重い告白が続く。 「兄が引きこもり、リアルで氏んでほしい」 95 :(-_-)さん :2005/11/20(日) 07:48:15 ID:0ARI2cg2O ウチにも引きこもりいる いっそのこと自殺でもしてくれってみんな思ってる 家族だから暖

    2006-06-21
  • 2006-06-16

    先日文字起こしした『太田光の私が総理大臣になったら』、「ニート対策禁止法案」について、いくつかメモを記してみます。 ▼今回の番組は、今後の勉強についての火種を得たということなのだと思います。 今回の文字起こしについて、有志の方々より、計181ポイントの投げ銭(はてなブックマークポイント)をいただきました。 これは当blog始まって以来の金額です(投げ銭自体が2回目)。 ありがとうございました。 id:rahoraho(斎藤智成)氏による、「働いたら負け」「働いてる人をバカな奴だと思ってる」という発言は、直接的な帰属や交換関係を持たない人たちが相手だからこそ言えること。 rahoraho氏といえど、「せどり」*1の交渉相手にはごく常識的な礼儀を尽くすだろうし、相手の希望を満たすために、相応の努力(労働)もなさっていると思う。 つまり rahoraho氏は、「直接的な利害関係のない人たちとは、

    2006-06-16
  • Freezing Point - 「こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。」(id:using_pleasureさん) 【はてブ】

    元になった樋口康彦氏*1の論文は、前提としているデータや価値観に疑問がある*2が、問題啓発としては有意義だと思う。 非社会的状態像については、まず最初の段階で次の3系統を診断し分けなければならない。 (1)精神疾患 (うつ病・統合失調症など) (2)発達障害 (高機能自閉症・アスペルガー症候群など) (3)社会的ひきこもり*3 それぞれで課題や社会的処遇が異なる。 大学に入学して学科をこなしていても、(1)や(2)に苦しんでいるケースは多い*4。 樋口氏の議論は(3)についてだが、気になったのは次の諸点。 ■「何をもって社会性となすか」が疑われていない。 ■「いかに社会復帰してもらうか」は現実的な課題だが、「とにかく社会復帰させよう」という目論み自身が、目的にとって自殺的に機能する。 ■「適応強迫による内面疎外」の問題は、単なる外圧では対応できない。 以下、詳しく見てみる。 若者の「非社会

    Freezing Point - 「こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。」(id:using_pleasureさん) 【はてブ】
  • Freezing Point - 死亡事件続報:「代表理事 暴行は否定 「他の入寮者に危害恐れ」」(読売新聞)

    正直に言えば、この事件を聞いたときの最初の感想は、恐怖や怒りと同時に、罪悪感だった。 ガラス戸棚に器をたたき投げ、壁を足で蹴破り、天井にはおかずがベットリ・・・という暴れ方をしていたかつての私*1は、「手に負えない」存在だったはず。 自宅の中だった私は一方的に「暴力をふるう側」で済んだが、強圧的な人間に囲まれた見知らぬ場所だったら、やっぱり殺されていたのではないか。 逆に言えば、僕を殺さずにいる我慢を家族に強いていたわけだ。 「だからいま暴れている人は改心しなさい」という説教は、何の役にも立たない(それは徹底的に逆効果)。 というか、私がいま暴れずに済んでいるのは、「改心したから」ではない*2。 人が暴れていたか、暴行があったかどうかも含め、今回の事件の詳細はまだ分からない*3。 「どのように報道されるのか」という報道姿勢にも留意しつつ、続報に注目しようと思う。 *1:拙著 p.99-

    Freezing Point - 死亡事件続報:「代表理事 暴行は否定 「他の入寮者に危害恐れ」」(読売新聞)
  • Freezing Point - 「自由をとるか、命をとるか」

    《当事者》という枠組みに関連し、あまりにも繰り返し反復されるモチーフがある。「存在」と「言葉」の緊張関係、あるいは相容れなさだ。▼当事者として、《存在》を全面受容してもらうことを求めれば、《言葉》を対等に扱ってもらうことはできない。また、言葉を対等に聴いてもらおうとするなら、存在の全面受容は諦めなければならない。具体的状況をいくつか列記してみる。 私は37歳だが、「支援されるべき当事者」と見做されるときには、子供扱いを受ける。つまり、《言葉》をまともに相手にされない。しかしそれは実は、《存在》としては無条件に肯定されることであり、そのことの恩恵もある。▼以前、脳性マヒのかたの講演会を聴いたとき、同様の話をされていた。40歳をすぎた成人男性なのだが、車椅子を押されて服を買いに行くと、店員は介助者にはオトナ言葉で話しかけるが、人には幼児言葉で話しかけてくるという。▼「障害者役割(disabl

    Freezing Point - 「自由をとるか、命をとるか」
  • 2006-03-02

    田由紀(id:yukihonda)氏による「ひきこもり」という語の運用を批判する指摘(ワタリ氏)が、その批判そのものにおいて、さらに誤りを重ねている。 もう最近では学校や会社に行っていても、「心が引きこもっている」と他人を非難したり、自己にレッテルを貼ったりするのに使われて、意味が拡散・希釈されている。なのに、人にマイナスのレッテルを貼る機能だけは、継続して使われている。これは、ニートと同じまやかしの語ではないのか? ある語が差別的切断操作のツールとして利用可能かどうかということと、その語によってのみ扱い得る深刻な現実が存在することとは、分けて考えなければならない。【参照】。 以下、ワタリ氏による書き込みがあまりにも杜撰かつ典型的なので、逐一誤りを指摘してみる。 ■「プライバシーの無視だ」 あるとき、NPO関連の集まりで、NHKのひきこもりサポートキャンペーンが話題になりました。そのとき

    2006-03-02
  • 2006-02-13

    いくつかのTBでの指摘(私のエントリーを含む*1)について、田氏が「ひきこもり」に特化した言及をされている。 『「ニート」って言うな! (光文社新書)』においては*2、田氏のみが「ひきこもり」に突っ込んだ言及をしているために、内藤朝雄氏・後藤和智氏よりも多く批判される形となっている。 ▼田氏としては、「なぜ自分だけが」と理不尽に思われるかもしれないが、私はむしろ、その勇気ある言及によって「議論を整理することが可能になった」と感謝し、少し詳しく触れてみる。【そもそもこのがなければ、「ひきこもり」についての忘却もさらに進んだだろう。その意味でも単語「ニート」は、遠回りかつ皮肉な形とは言え、「ひきこもり」救済にも一役買っている。】 *1:2月9日のあと、12日付のblogに再度TBを送ってしまったのは、単に私の操作ミスです(修正時、「ちょっとした更新」のチェック忘れ)。 失礼しました

    2006-02-13
  • 2006-02-09

    私は当ブログや公的原稿で、ひきこもりは「ニートの最深刻層」と書いてきた。 これについては、当blogへのTBのほか、私の知る限り*1、以下のお二人が触れてくださっている。 以下、お詫びして訂正しなければならない(ごめんなさい・・・)。 『ユリイカ』2月号「特集・ニート」(p.72)、栗原裕一郎(id:ykurihara)氏: フリーターとひきこもりニートは、究極的には個人と社会との接触不良に起因するという点で地続きの問題系としてあるだろう(ひきこもり経験者でこうした問題に果敢にコミットしている上山和樹は「ニートの最深刻形がひきこもり」と定義している(『ユリイカ』二〇〇五年四月号)。 『フリーターにとって「自由」とは何か』(p.30)、杉田俊介(id:sugitasyunsuke)氏: 『「ひきこもり」だった僕から』を上梓した上山和樹は、ひきこもりを「ニートの最悪系」と捉える(Freezi

    2006-02-09
  • Freezing Point - 「異様に自由」(traumatic freedom)

    ひきこもり当事者の熱意が、心情主義(「努力」「気合」「一生懸命」)*1になるのはまずい*2。 ほぼ間違いなく長続きしない。 「スキャンダラスな過剰性(反復強迫)」の社会的措定でなければ。 心情主義では、当事者側が自他を「説教する」ことになってしまう。 それでは「社会的なもの」=「想像的なもの」でしかなく、お互いに縛り合うことでしかない。 ▼当事者界隈の人間関係が、ひどく「想像的(鏡像的)になりやすい件について。 ▼ニートやフリーターに「説教する」のは論外としても*3、「構造的排除だ」という言説も、いまだ「順応」ロジックでしかないのではないか。 属性として「ある社会的スティグマを得ている」ということのみでなく、「異様に興味がある」*4という反復的な過剰性もあるのではないか【「属性当事者である」ことは、社会的な過剰性?】。 ▼支援を考える際、当事者を「抱擁」するタイプは、属性を帯びた「存在とし

    Freezing Point - 「異様に自由」(traumatic freedom)
  • 2005-11-27

    ひきこもりをテーマとする当ブログで、大野氏のこの文章を紹介するのは冒涜だろうか。 「まったく働けない人間」と、「働きすぎて死んでしまう人」。 ▼私自身を含め、大野氏のような経歴を持つ「ひきこもり当事者」の話はよく聞く*1。 閉じこもっている人の多くは、「自分のことは自分で決めなければならない」という強迫観念に支配されており、それゆえに逆に身動きできなくなっている*2。 どうしたいかが自分でもよく分かっていないくせに――というよりもだからこそ――、他者と関わることで自分が過剰に他者に支配されてしまうことを恐れる。 「他者の色に染まりすぎること」を怖がる。 「生き甲斐」や「仕事の指針」は、「自発性をもって自分で決めねばならない」と頑なに思い込んでいる――恐怖心ゆえに。 ▼他者との関係に巻き込まれることは、そのまま「周囲の人間関係に支配されること」を意味する。 《交渉》ができないから。 自分はど

    2005-11-27
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