エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
Freezing Point - 「自由をとるか、命をとるか」
《当事者》という枠組みに関連し、あまりにも繰り返し反復されるモチーフがある。「存在」と「言葉」の... 《当事者》という枠組みに関連し、あまりにも繰り返し反復されるモチーフがある。「存在」と「言葉」の緊張関係、あるいは相容れなさだ。▼当事者として、《存在》を全面受容してもらうことを求めれば、《言葉》を対等に扱ってもらうことはできない。また、言葉を対等に聴いてもらおうとするなら、存在の全面受容は諦めなければならない。具体的状況をいくつか列記してみる。 私は37歳だが、「支援されるべき当事者」と見做されるときには、子供扱いを受ける。つまり、《言葉》をまともに相手にされない。しかしそれは実は、《存在》としては無条件に肯定されることであり、そのことの恩恵もある。▼以前、脳性マヒのかたの講演会を聴いたとき、同様の話をされていた。40歳をすぎた成人男性なのだが、車椅子を押されて服を買いに行くと、店員は介助者にはオトナ言葉で話しかけるが、本人には幼児言葉で話しかけてくるという。▼「障害者役割(disabl
2006/03/15 リンク