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村上春樹に関するkotobukuのブックマーク (20)

  • 村上春樹が語る、小説『ノルウェイの森』 | くらげだらけの井戸

    「100パーセントの恋愛」であり、村上春樹の作品の中で「唯一のリアリズム小説」である 『ノルウェイの森』。村上さん自身はこの小説をどう捉えているのでしょう? 村上さん自身の言葉から探っていきます。 「村上春樹全作品 1979~1989 ⑥ ノルウェイの森」(講談社,1991)の序文にあたる、 「自作を語る」 100パーセント・リアリズムへの挑戦 と題された小冊子で、村上さんは『ノルウェイの森』について以下のように語っています。 (ちなみに引用部分に出てくるカジュアリティーズという言葉は、辞書的には事故などの死傷者、被害者、または損害を受けた物、損失物という意味です) そしてこの話は基的にカジュアリティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)についての話なのだ。それは僕のまわりで死んでいった、あるいは失われていったすくなからざるカジュアリティーズについての話であり、あるいは

    村上春樹が語る、小説『ノルウェイの森』 | くらげだらけの井戸
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    kotobuku 2011/06/21
    「自作を語る」100パーセント・リアリズムへの挑戦
  • 映画「ノルウェイの森」を見ました - 内田樹の研究室

    好きな小説映画化されたとき、どこを見るか。これはなかなかむずかしいです。 基的にはやりかたは三つあると思います。 (1)原作をどれくらい忠実に映画化したか、その忠実度を評価する。 (2)原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか、フィルムメーカーの創意工夫を評価する。 (3)原作のことは忘れて、単独の映画作品として、「同じジャンルの他の映画」とのシナリオや映像や演技の質的な違いを評価する。 『ノルウェイの森』の場合、なにしろ累計発行部数が1000万部を超えた「超ベストセラー」です。 僕だって三回読んでしまったくらいですから、「原作を読んでないふりをして映画を見る」ということは不可能です。 となると、残る選択肢は「忠実度を見る」か「裏切り度を見る」かしかありません。 僕はあらゆる映画評において「できるだけいいところを探してほめる」ことを心がけているので、「忠実度においてすぐれ

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    kotobuku 2010/10/29
    内田樹【映画「ノルウェイの森」を見ました】
  • ゲームセンターとしてのハルキランド - 熊田一雄の日記

    *斎藤美奈子『文壇アイドル論』(文春文庫、2006年(初出2002年)) 初期の村上春樹を「住宅街のはずれにあるこじんまりとした喫茶店」にたとえ、読者はそこに集まる客であり、次々に発表される小説ゲーム機であるとしています。こじんまりとした喫茶店からどんどん進化を遂げるハルキランド。客はあたえられたゲーム機に込められた謎を一生懸命解こうとします。そしてついにハルキランドはゲームを置いている喫茶店からゲームセンターに変貌するのです。そのようなたとえで村上春樹の小説に込められたメッセージを解読しようとムキになっている読者(批評家たち)を揶揄しています。 *上手いたとえですね。このたとえを応用するならば、ハルキランドの客たちは、ゲームセンターの外の「新たな貧困問題」にはあまり興味がないようです。

    ゲームセンターとしてのハルキランド - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    初期の村上春樹を「住宅街のはずれにあるこじんまりとした喫茶店」にたとえ
  • オウム真理教/フェミニズム/村上春樹『1Q84』 - 熊田一雄の日記

    1995年のオウム真理教による無差別テロ事件に際して、女性のバックラッシュ・ライターである与那原恵さんが「フェミニズムは無力だった」と、あたかもフェミニズムに救われなかった高学歴女性がオウム真理教に多数入信したかのような言説を流布させました。事実の裏付けはなかったのですが、寡聞にして、フェミニズム側からの格的な反論は読んだ記憶がありません。 大ベストセラー『1Q84(1-3)』では、「フェミニスト的偽装」(ササキバラ・ゴウ)に長けた作家の村上春樹さんが、いつもの通り女性の登場人物たちを「聖母か娼婦か」(田中美津)という古典近代的な女性差別の図式によって分断し、さらに『ノルウェイの森』以来の「魔性のレズビアン」(渡辺みえこ)という第3の差別的カテゴリーも設定しています。そして、オウム真理教をモデルにしたとおぼしきカルト教団をテーマに選んでいます。私は、村上春樹さんのような(あるいはマスメデ

    オウム真理教/フェミニズム/村上春樹『1Q84』 - 熊田一雄の日記
  • 『1Q84』または闇を背負えない弱さ - 熊田一雄の日記

    リトル・ピープルと呼ばれるものが善であるのか悪であるのか、それはわからない。それはある意味では我々の理解や定義を超えたものだ。我々は大昔から彼らとともに生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明であったころから(村上春樹『1Q84』BOOK2、新潮社、2009年;p.276)。 大ベストセラー『1Q84』では、オウム真理教をモデルにしたとおぼしきカルト教団の「悪の権化」と思われていた指導者が、実は「リトル・ピープル」という超自然的存在の単なる「代理人」に過ぎなかった、と設定されています。そして、連合赤軍事件をモデルにしたとおぼしき過激派集団の暴力も、「リトル・ピープル」が引き起こした、とされています。思うに、村上春樹さんは、「オウム真理教の悪」(「麻原彰晃(松智津夫死刑囚)の悪」)や「連合赤軍の悪」を、「自分も犯しえたかもしれない悪」として自分の身に

    『1Q84』または闇を背負えない弱さ - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    「自分も犯しえたかもしれない悪」として自分の身に引きつけて深く理解する努力をしないで、「リトル・ピープル」という超自然的存在にすべての悪を「責任転嫁」しようとしている
  • 小森陽一による村上春樹批判 - 熊田一雄の日記

    小森陽一「村上春樹論ー「海辺のカフカ」を精読する」(平凡社新書、2006年)を読了しました。マルクス主義の立場からの村上春樹批判で、極端な議論だけれども、村上春樹さんの作品における「女性嫌悪(ミソジニー)」の問題を考えるヒントにはなります。 事実、カフカ少年は大島さんに、「父は自分のまわりにいる人間をすべて汚して、損なっていった」と訴え、「父はそういう意味では、特別ななにかと結びついていたんじゃないかと思うんだ」と言います。それに対して大島さんは、「そのなにかはおそらく、善とか悪とかいう峻別を超えたものなんだろう。力の源泉と言えばいいのかもしれない、という解釈を与えます(上・350ページ)(小森2006;p.245)。 『海辺のカフカ』を読んで<癒し>を感じたあなたにわかっていただきたいのは、ブッシュ政権が、世界中の言葉を操る生きものとしての人間を騙そうとする言語戦略と、『海辺のカフカ』の

    小森陽一による村上春樹批判 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    村上春樹さんの作品における「女性嫌悪(ミソジニー)」の問題を考えるヒント
  • 渡辺みえこさんの村上春樹論 - 熊田一雄の日記

    渡辺みえこさんの『語り得ぬもの:村上春樹の女性(レズビアン)表象』(お茶の水書房、2009年)を読了しました。面白いですが、期待が大きかっただけに、個人的には「いまいち」という感想です。この人、以前の『女のいない死の楽園 供犠の身体 三島由紀夫』(現代書館、1997年)もそうでしたが、センスがよくて着眼はとても鋭いのだけれども、学問的な論証がいかにも粗い。学者よりも評論家に向いている才能だと思います。

    渡辺みえこさんの村上春樹論 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    『語り得ぬもの:村上春樹の女性(レズビアン)表象』(お茶の水書房、2009年)
  • 村上春樹の父子関係 - 熊田一雄の日記

    村上春樹のイスラエル・スピーチつまり「壁と卵」の話を、内田樹さんがブログで英語原文から詳細に分析しています。 「そして、唐突に村上春樹は彼がこれまで小説でもエッセイでも、ほとんど言及したことのなかった父親について語り始める。 My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfa

    村上春樹の父子関係 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    『1Q84』では、「根源的な『恐怖』」を、「リトル・ピープル」という形で、ラブクラフト的な(ある意味ではグノーシス主義的な)「邪神」として表現しているように思われます。
  • 森岡正博さんの弱さ - 熊田一雄の日記

    森岡正博さんの『感じない男』(ちくま新書、2005年)を読みました。「私(という一男性)の性行為における快感=射精の快感=排泄の快感」という男性に関する近代的な「不感症神話」が所与の前提とされ、「女性に対する戦時性暴力」の背後には、女性の「感じる身体」に対する嫉妬があるのではないか、と論じられています。では、男性がみんな「感じる身体」を獲得したら、「女性に対する戦時性暴力」はなくなるのでしょうか?とてもそうは思えません。思うに森岡さんも、村上春樹さんと同様、「(自分も戦時性暴力の加害者になるかもしれないという)闇を背負えない弱さ」を抱えた書き手(あえて「学者」とは言わない)の一人なのでしょう。 http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20100713

    森岡正博さんの弱さ - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    森岡さんも、村上春樹さんと同様、「(自分も戦時性暴力の加害者になるかもしれないという)闇を背負えない弱さ」を抱えた書き手(あえて「学者」とは言わない)の一人なのでしょう。
  • リトル・ピープルとは - 熊田一雄の日記

    『読売新聞』に2009年6月16日から3日間に渡り、村上春樹さんのインタビューが掲載されていました。 16日のインタビューでは、村上春樹さんは「1Q84」に登場する「リトル・ピープル」について次のように答えています。 神秘的なアイコン(象徴)として昔からあるけれど、言語化できない。非リアルな存在としてとらえることも可能かもしれない。神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれていて、ある状況で突然、力を発揮し始める。例えば、鳥インフルエンザのような、特殊な状況下で起動する、目に見えないファクターでもある。あるいは、それは単純に我々自身の中の何かかもしれない。 『毎日新聞』2009年9月17日号掲載のインタビューでは、村上春樹さんは以下のように答えています。 リトル・ピープルがどういうものか、善か悪か、それは分からないけれど、ある場合には悪(あ)しき物語を作り出す力を持つもので

    リトル・ピープルとは - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    深い森の中にいるリトル・ピープルは善悪を超えていると思うけれども、森から出てきて人々にかかわることによって、ある場合には負のパワーを持つのかもしれません。
  • 「悪」を抱えて生きる? - 熊田一雄の日記

    *村上春樹『約束された場所でーunderground2』文藝春秋、2001年 村上さんは、書後半の河合隼雄氏との対談内で 『ふたつの考え方があると思う』、しかしそのどちらかだとは断言できないとしています。 『ひとつは会社というのはこっち側のシステムであり、そこには一種宗教的な色彩さえある。こういう言い方をすると問題があるかもしれないけれど、そこにはある意味ではオウム真理教のシステムと通底している部分があるかもしれない。実際に被害者のサラリーマンの中には、自分だって同じ立場だったら命令を実行していたかもしれないと告白した人も何人かいました。 もうひとつは「いや、それはぜんぜん違うものだ。こちらのシステムはあっちのシステムとは異質のものだ、一方が他方を包含して、その間違った部分を癒していけるんだ」という考え方です。僕はその二つのどっちだとも、まだ今のところ簡単には言えません。』(村上春樹『約

    「悪」を抱えて生きる? - 熊田一雄の日記
  • ひきこもりとセカイ系 - 熊田一雄の日記

    JMM [Japan Mail Media] No.595 Monday Edition より引用 ■ 三ツ谷誠  :金融機関勤務 「自室という子宮 〜母胎回帰としての引き篭もり」 (例えば、このような「引き篭もり」の若者(30代、40代も含まれるとは思いますがまあ広義で)を対象に、農業、漁業、林業の体験プログラムを企画する法人に、法人税の免除、政府系金融機関を通じた長期優遇ローンの設定(低金利かつ当初10年間返済なし等)、民間金融機関の類似ローン商品の政府保証設定などを与えるという政策が考えられると思います。 民間資ではなく、過疎に晒された地方自治体が企画者となっても、何らかの形でその企画を保護する政策はありうるでしょう。 ここでは「体験プログラム」としていますが、基的にはそれは「開拓・開墾」という要素を含むので、可能な限りその農業法人になるべく多くの「引き篭もり」層を就職させ、事業

    ひきこもりとセカイ系 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    20世紀後半から現在まで続く村上春樹の異常な人気の背骨にも、「引き篭もり」的な孤独を村上春樹の主人公たちが抱えていることが指摘できるように感じます。
  • 『1Q84』または準<ひきこもり>の書いた<セカイ系>の物語 - 熊田一雄の日記

    オウム真理教の暴力性の根源は、根教義にある「他者との共感共苦を断って心を安定させよ」という「聖無頓着」の教え、原始仏教の名を借りたニヒリズム思想にあります。村上春樹さんはそのことがまるで分かっていないのだと思います。この小説を一言で言えば、孤独に生きている普通の男性主人公とヒロインとが、<セカイ>を代表して、オウム真理教をモデルにしたとおぼしき「さきがけ」というカルト教団を操っている悪の根源、「リトル・ピープル」という名のラヴクラフト的な「邪神」たちと戦う、というものです。準「ひきこもり」的な作家が書いた<セカイ系>の物語と言ってもいいでしょう。この物語に決定的に欠落しているのは、<孤独>と<セカイ>との間の具体的な<人と人とのつながり>です。このが大ベストセラーになったということは、そうした準「ひきこもり」的な生活をしている読者が、現代日にそれだけたくさんいるということでしょう。現

    『1Q84』または準<ひきこもり>の書いた<セカイ系>の物語 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    オウム真理教の暴力性の根源は、根本教義にある「他者との共感共苦を断って心を安定させよ」という「聖無頓着」の教え、原始仏教の名を借りたニヒリズムの教え
  • 村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記

    現在放映中のヘアカラー(ダリヤ社)のテレビCMにおけるキャッチフレーズは、「パパである前に男であれ!」です。しかし、現代日では「ママである前に女であれ!」とはまだおおっぴらには言えないと思います。 もはや社会現象と化した村上春樹さんの大ベストセラー『1Q84』では、男性主人公「天吾」の母親は、夫がいながら赤ん坊の天吾を連れて別の男と駆け落ちして、眠っている天吾の傍らでその男とセックスしていたが、その男に絞め殺されてしまったと設定されています。「母である前に女であろうとした」女性を簡単に殺してしまうところに、「フェミニズムに理解がある」つもりでいる村上春樹さんの「無意識の女性嫌悪」を見ることができると思います。 『ノルウェーの森』における作者の無意識の女性嫌悪については、上野・富岡・小倉『男流文学論』(筑摩書房、初出1992年)にも指摘があります。渡辺みえこ『語り得ぬもの:村上春樹の女性表

    村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    村上春樹さんの女性観。「若い女性の肉体に、中年女性の気配りを兼ね備えている女性がいいなあ。レズビアン?俺が男の味を教えてやるぜ。それでもわからなければ、排除してやる。」ということではないでしょうか。
  • 村上春樹さんと教団宗教 - 熊田一雄の日記

    村上春樹さんの父親は、高校教師を辞めた後、浄土宗の僧侶をしていたそうです。少なくとも村上春樹さんの作品中では、男性主人公は父親との関係に葛藤を抱えていることが多いです。村上春樹さんの教団宗教に対する、全否定はできないというアンビバレンスは、おそらく父親に対するアンビバレンスと関係しているのでしょう。 (河合)天才的な人は最初からこんな馬鹿なことはしないです。たとえば親鸞なんか「弟子はとらない」と言っています。しかし言っているにもかかわらず、あとになってあれだけすごい教団ができてしまった。だからもう、これからは宗教性の追求というのは個人でやるより仕方ないんじゃないかと僕は思てますけれどね。 (村上)異議を唱えるようですが、個人でそれができるほど強い精神を持っている人は、多くの場合宗教なんかにいかないんじゃないでしょうか。宗教を求める世間の大多数の人は、個人でやっていくことはむずかしいだろうと

    村上春樹さんと教団宗教 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    宗教を求める世間の大多数の人は、個人でやっていくことはむずかしいだろうと僕は思う
  • 藤井省三『村上春樹のなかの中国』 - ものろぎや・そりてえる

    藤井省三『村上春樹のなかの中国』(朝日選書、2007年) もともと小説はそんなに読む方ではなかったが、学生の頃、村上春樹は割合と読んでいた。あの淡々と乾いた感覚を私は自然に受け入れていた。好きとか嫌いとかいう力みかえりもなく、空気のようにごく自然に。しばらく離れていたので新しい作品は読んでいない。 中国語圏での村上春樹現象について書は四つの“法則”で読み解く。第一に、台湾から始まって香港、上海を経由して北京へとブームが波及する“時計回りの法則”。第二に、それぞれの地域で高率の経済成長が半減する時期に村上現象が起こる“経済成長踊り場の法則”。第三に、“ポスト民主化運動の法則”。村上の小説に時折現れる学生運動の挫折感に民主化運動の葛藤を投影する人々が多いようだ。第四に、欧米での村上受容とは異なり、『羊をめぐる冒険』よりも『ノルウェーの森』の人気が高い“森高羊低の法則”。 中国大陸では鄧小平時

    藤井省三『村上春樹のなかの中国』 - ものろぎや・そりてえる
  • 1Q84、村上春樹 : 金融日記

    僕は最近、日中でとにかくものすごく売れて、BOOK 3の発売日には屋に朝から行列までできたという村上春樹の最新作「1Q84」を、みんなからはかなり遅れて読んでみることにした。全部読むのに一週間かかった。僕はこういう流行、またはバブルみたいなものには一番早く乗るか、さもなくばかなり遅れて、だいたい数ヶ月から1年ぐらい後に、じっくりといろいろな評判を念入りに確かめた後に乗ってみることにしている。すべてのブームに飛び乗っていてはお金も時間も足りないし、かといってひとりの物書きとして―いつから僕は「物書き」になったのかという当然の疑問はひとまず脇に置いておくとして―日中でブームになったものは自分の目で、耳で実際に確かめてみないわけにはいかないからだ。たとえそれがあまりよくない評判で、お金と時間を使ったことを後悔させられることがおおむね確定していたとしてもだ。そうやって僕なりの感想を、それが良

    1Q84、村上春樹 : 金融日記
    kotobuku
    kotobuku 2010/07/11
    「1Q84」のテーマは僕に言わせれば「不条理な社会システム、あるいはそこに巻き込まれる不条理な人々」だ。
  • 村上春樹のエルサレムでの「イスラエル賞受賞スピーチ」についての考察・・

    kotobuku
    kotobuku 2010/05/13
    どっちにしろ、どこの国のなんの賞もらおうがもらうまいが、スピーチで何を云おうが何を云ったとしても、小説は小説、すばらしい小説はすばらしいし、カスはカス、実はどーでもええのである。
  • 村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と

    村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    kotobuku
    kotobuku 2010/05/13
    「どんなに卵が間違っていても」という表現は、思わず胸にくるものがあった
  • 銀幕閑話:第249回 村上春樹と東アジア - 毎日jp(毎日新聞)

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