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古代に関するkousyouのブックマーク (97)

  • 「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓...発掘作業中に発見

    Archaeologists Discover 'Perfectly Preserved' Tomb From 2,500 Years Ago <イタリアでは昨年にも、2600年間手つかずだった古代エトルリアの墓が公開され、希少な工芸品が大量に見つかっていた> 「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓が、イタリアの遺跡で発見された。 【画像】「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓...発掘作業中に発見 南エトルリアとヴィテルボ県の考古学・美術・景観監督局がフェイスブックで発表したところによると、墓はサン・ジュリアーノにあるエトルリア文明のネクロポリスで発掘作業中に見つかった。サン・ジュリアーノはローマから約30キロ北西のバルバラーノ・ロマーノ市に位置する。 ネクロポリスは古代の巨大墓地で、紀元前7世紀ごろから同3世紀ごろ、岩をくり抜いて作られたエトルリア人の墓が数百基ある。 エト

    「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓...発掘作業中に発見
  • 思わずワクワクする考古学の発見2023年版、古代のミイラ工房他

    2023年5月、エジプト、ギザのサッカラで古代エジプトのミイラ工房が発見されたと当局が発表した。石造りの寝台やミイラ作りの道具など新たに発見された遺物は、プトレマイオス朝と第30王朝のものだ。(PHOTOGRAPH BY FAREED KOTB, ANADOLU AGENCY/ GETTY IMAGES) 2023年は、考古学界にとって実りの多い年だった。私たちは、AIなどの技術が大発見につながる事例を目の当たりにし、科学者たちは過去に発掘された遺物に新たな光を当てることができた。 また、今年は考古学上の新たな発見が続いた1年でもあった。たとえば、エジプトのミイラ工房では、古代の埋葬技術の秘密が明らかになった。イタリアの海底に沈む2000年前の神殿は、アラビアの砂漠から来た貿易商人たちが建てたことがわかった。そして、ジャングルの奥深くに眠っていた壮大なマヤ文明の都市が、レーザー技術によって

    思わずワクワクする考古学の発見2023年版、古代のミイラ工房他
  • 古代のユダヤ神殿に女性司祭がいた、呪いの言葉から判明、研究

    エジプトのナイル川に浮かぶエレファンティネ島には、紀元前5世紀末に破壊されたユダヤ神殿の遺跡がある。この場所では、パピルスや陶片に記された古代のテキストがたくさん見つかっており、今回の研究のテーマとなった呪いの言葉もそのひとつだ。(PHOTOGRAPH BY BILDARCHIV STEFFENS, BRIDGEMAN IMAGES) ある陶片に記された2400年前のメッセージについて新たな調査が行われた。それによると、このメッセージは古代において一般的だった呪いの最古の例であるのみならず、ユダヤ神殿に女性司祭が存在したという初の直接的な証拠かもしれないという。論文は2023年10月22日付けで学術誌「Religions」に発表された。 古代アラム語で書かれたこの12語の文は、エジプト南部に位置するナイル川の中州、エレファンティネ島にある初期ユダヤ神殿の遺跡で1925年に発見された。 この

    古代のユダヤ神殿に女性司祭がいた、呪いの言葉から判明、研究
  • サラミス海戦時の艦隊集結地付近の水中から古代の建物や神像が発見

    紀元前480年のサラミス海戦時、ギリシア艦隊が集結していたサラミス島のキノソウラ( Kynosoura )半島とアンペラキア( Ampelakia )湾の海域で2018年6月から7月にかけて行われた水中調査の結果、水中にサラミス海戦の時期まで遡ることができる遺跡が発見されたと、2019年6月、ギリシア共和国文化スポーツ省(Ministry of Culture and Sports)が発表した。非常に大きな発見としてNewsweek他各紙が報じている。 浅瀬に建てられていたその構造物は、長さ約50フィート(約15.24メートル)、南北軸上に北と西に伸びて構築されており、都市の港に直接隣接した最も低い場所にあるアゴラの縁にあった主要な公共建造物の1つだった可能性が高いという。古典時代からヘレニズム時代に建てられ3世紀のローマ時代後期まで使われていたと考えられている。現地の現在の桟橋はこの水中

    サラミス海戦時の艦隊集結地付近の水中から古代の建物や神像が発見
    kousyou
    kousyou 2019/06/24
    更新しています。サラミス島で紀元前5世紀頃まで遡ることができる建物や遺物が水中から見つかったとのニュースです。
  • 古代ヨーロッパの鉄器時代とケルト人(大陸ケルト)の盛衰

    青銅器時代から鉄器時代へヨーロッパにおける青銅器時代のはじまりは、地中海地域で前3000年頃、アルプス以北ではまず前3000年から前2000年にかけて銅器時代があり、前2300年から前1800年頃にかけての時期に青銅器時代に移行した。まずボヘミアやアルプス地方を中心とした中部ヨーロッパで最初の青銅器文化(ウニェティチェ文化)が出現、二百年ほど遅れてアルプス西部、ローヌ河源流近くのフランス・スイス国境地帯と、アルモリカ半島ブルターニュ地方の二か所を中心とした西ヨーロッパでも青銅器時代が始まる。 前2000年ごろ、アナトリア地方中部で誕生した冶金術によって鉄器の使用が始まり、その担い手となったヒッタイト帝国が滅亡すると、鋳鉄技術の拡散がはじまった。おそらくインド・ヨーロッパ語族のドーリア人を通じて、黒海北岸に棲む騎馬遊牧民キンメリア人に伝わり、キンメリア人がスキタイ人に追われて中央ヨーロッパへ

    古代ヨーロッパの鉄器時代とケルト人(大陸ケルト)の盛衰
    kousyou
    kousyou 2019/05/03
    更新しました。古代ヨーロッパの青銅器時代から鉄器時代にかけて登場した古代ケルト人(大陸ケルト)についてのまとめです。
  • 「肥沃な三日月地帯(” Fertile Crescent ”)」とは

    ブレステッドによる「肥沃な三日月地帯」の提唱1916年、考古学者ジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(” James Henry Breasted “ , 1865-1935)が著書” Ancient Times — A History of the Early World ”で提唱した歴史的・地理的概念である。同著は日語訳は未発売だが、すでに著作権保護期間も切れており、WEB上で公開されており、無料で閲覧することができる。同書の101頁で「肥沃な三日月地帯(” Fertile Crescent ”)」について以下の通り記している。 This fertile crescent is approximately a semicircle, with the open side toward the south, having the west end at the southeast cor

    「肥沃な三日月地帯(” Fertile Crescent ”)」とは
  • 『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』岡田明子,小林登志子 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    現代より遡ること5000年。紀元前3000年頃、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方で人類最古の都市文明を築いたシュメル人が信じた神々とその神話がどのようなものであったか。後世、多くの神話に影響を与えたと思われる洪水神話、未だに読み継がれる英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』をはじめとしたシュメル神話の全体像を描く一冊。 シュメル人の文明はキシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ラガシュ、ウルク、ウルなどの都市国家を主体として成立した。都市国家はそれぞれ都市神というその都市の守護神を持ち、その都市国家の力が強まれば都市神の地位も向上する。ニップルの都市神エンリル、ウルクの都市神イナンナ(イシュタル)、ウルの都市神ナンナ(シン)、アダブの都市神ニンフルサグ、ラガシュの都市神ニンギルス(ニヌルタ)・・・などだ。また個々で信仰の対象としていた個人神や神格化された実在の王など、最

    『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』岡田明子,小林登志子 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2019/03/27
    更新しています。ギルガメシュというとどうしてもあの金ピカ思い出すんですが、その妹ってどんなキャラなのか、いろいろ妄想が捗ります。
  • 蘇我氏のルーツ、朝鮮半島出身の渡来人? 新説で迫る:朝日新聞デジタル

    飛鳥時代に天皇を超えるほどの権力を握ったとされる大豪族の蘇我氏。そのルーツが朝鮮半島西南部の全羅道(チョルラド)地域からの渡来人とする新説を、奈良県教育委員会の坂靖(ばんやすし)・文化財保存課長補佐(考古学)が唱えている。「日書紀」では悪者扱いされたが、先進文化の受容など開明的だったとも言われる蘇我氏の実像に、新著「蘇我氏の古代学 飛鳥の渡来人」(新泉社、体2500円)で迫った。 近年、奈良県明日香村では蘇我氏との関わりが指摘される重要な発掘調査が相次いでいる。6世紀前半に王権内で権力を握ったとされる蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性が指摘される都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半ごろ)。また、養護学校の校舎建て替え工事に伴って新たに発見された小山田(こやまだ)古墳(7世紀中ごろ)をめぐっては、645年の乙巳(いっし)の変で滅ぼされた蘇我蝦夷(えみし)の墓との説も浮上した。専門家による蘇我氏

    蘇我氏のルーツ、朝鮮半島出身の渡来人? 新説で迫る:朝日新聞デジタル
  • 「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著

    「第九軍団のワシ(“The Eagle of the Ninth”)」(1954)は英国を代表する児童文学作家・歴史小説家ローズマリー・サトクリフ(1920~1992)がローマ帝国時代のブリテン島の歴史を題材にして描いた、サトクリフ初期の代表作である。続く「銀の枝(”The Silver Branch”)」(1957)、「ともしびをかかげて(”The Lantern Bearers”)」(1959)、「辺境のオオカミ(”Frontier Wolf”)」(1980)はいずれも作の主人公マーカス・フラビウス・アクイラの末裔たちを主人公にして描いており、あわせて「ローマ・ブリテン四部作」と呼ばれている。 サトクリフは作を執筆する上で二つの歴史をもとにしたという。第一に、ブリテン島に配置されたローマ帝国の第九軍団ヒスパナの消滅である。第九軍団はカエサルによって創設され、ブリテン島が支配下に入っ

    「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著
  • 古代の蛮族ゲルマン軍、数倍規模か、定説覆す発見

    4人のゲルマン人戦士の骨盤骨が、木の枝に串刺しになった状態で発見された。今のデンマークのアルケン・エンゲで行われた、戦闘後の儀式の一環と見られる。(ANIMATION: PETER JENSEN, ARCHAEOLOGICAL IT, AARHUS UNIVERSITY AND MOESGAARD MUSEUM.) デンマークの広い湿地帯で発見された2000年前の人骨から、北欧における「蛮族」ゲルマン人の戦闘に関する定説を覆す事実が浮かび上がってきた。5月21日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表されたこの論文ではまた、ゲルマン人が自分たちの戦闘を記念するために儀式を行っていたという独自の解釈が披露されている。 調査チームは何を発見したのか デンマーク、ユトランド半島のモスー湖畔の広大な湿地にあるアルケン・エンゲ遺跡から、少なくとも82人分の骨に相当する計2095個の人骨およ

    古代の蛮族ゲルマン軍、数倍規模か、定説覆す発見
  • 3600年前の高貴な墓を発見、古代カナン

    墓から見つかった男性の遺体が身に着けていた3600年前の黄金の首飾り。先端に水鳥の細工が施されている。(PHOTOGRAPH BY PETER LANYI, THE ISRAEL MUSEUM, JERUSALEM) 現在のイスラエルにある古代カナンの都市国家メギドで、3600年前の王家のものとみられる墓が発見された。手つかずの墓に多くの財宝が眠っていただけではない。考古学者らが興奮しているのは、紀元前15世紀初めにエジプトに征服されるまでこの重要な地を治めていた王朝について、新たな発見があるかもしれないからだ。 メギドは、ハイファから南へ30キロ、現在のイスラエル北部に位置していた。紀元前3000年から西暦1918年まで、5000年近くにわたって戦略的な要衝であり、交易路でもあった。イズレル谷を見下ろすこの場所は、歴史を変えるような決定的な争いを数多く目撃し、「ハルマゲドン」と呼ばれるよ

    3600年前の高貴な墓を発見、古代カナン
  • 3千年前の神殿が破壊される、ここが貴重だった

    2010年当時のアインダラ神殿。鉄器時代の貴重な石の彫刻が多数施されている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL DANTI) 3000年前に建造された壮麗な神殿、シリアのアインダラ神殿が、トルコによる空爆で破壊された。謎めいた巨大な足跡があるほか、旧約聖書に記されたソロモンの神殿の姿を解明する手がかりとなる建造物を残していた神殿だ。 その大きさにおいても、発掘された範囲の広大さという点においても、シリア屈指の遺跡だった。なかでもよく知られていたのは、ライオンとスフィンクスを表した石の彫刻と、古代エルサレムにあったユダヤ教最初の神殿「ソロモンの神殿」に似ている点だ。 シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)とシリア文化省によると、1月26日、クルド人勢力が支配する都市アフリンの南部をトルコが攻撃。空爆により、神殿の大半が破壊されたと

    3千年前の神殿が破壊される、ここが貴重だった
  • 「ウル第三王朝」が「第三」なら第一と第二はどこにあるのか探してみた

    探してみたっていうか前から無いなー無いなーってずっと思いながらなんとなく探してた。ええ、結論。ありました。 じゃなくて… 見つからないということが判りました。 第一と第二があると想定して「第三」と呼んでたのに 第二王朝の存在が不明 わりと「あるある」なパターンなんですが、どうしてこうなったのかというと。 ・「シュメール王名表」を元に都市国家ウルの王朝を想定 ・しかし第二の部分は実在したという証拠のある王様が今のところでてきてない ・ウルの場合、確実な歴史記録のあるのは「第三王朝」として知られる王様たちから ・第一の何人かは実在の証拠があるが、第二のあたりの時代はそもそもウルに単独の王がいない 年表だとこういうこと。(出展元「初期メソポタミア史の研究」) 第一王朝のあとはウルクの支配を受け、その後ルガルザゲシ以降はアッカド王朝の支配下に入るので、ここに果たして王朝が入るのかどうか今は微妙なカ

    「ウル第三王朝」が「第三」なら第一と第二はどこにあるのか探してみた
  • 【気候科学】火山の噴火と古代エジプトの衰退 | Nature Communications | Nature Portfolio

    古代エジプトにおける社会暴動のきっかけは、火山の噴火、気候変動、そして、ナイル川の夏の洪水の抑止であった可能性を示した論文が、今週掲載される。この新知見は、火山活動と気候と社会の相互作用があったことを実証している。 大都市アレクサンドリアに首都を置いたプトレマイオス朝時代(紀元前305~30年)のエジプトの繁栄は、ナイル川と直接結び付いていた。夏になると発生するナイル川の洪水は、主にエチオピア高原でのモンスーンによる降水に起因しており、ナイル川流域の農業を成立させるために必須だった。詳細に記述された当時の文献には、ナイル川の洪水がないことと社会不安との相関が示されている。ただし、洪水が抑止された根原因は明らかになっていない。 今回、Francis Ludlowたちの研究グループは、火山-気候の数値モデリング、氷床コア記録に基づく火山の噴火時期のカタログ、社会経済的行動に関する古代エジプト

    【気候科学】火山の噴火と古代エジプトの衰退 | Nature Communications | Nature Portfolio
    kousyou
    kousyou 2017/10/19
    “ナイル川流域の降水帯が弱まって、ナイル川の洪水が系統的に抑止された時期が、火山が噴火した時期と一致していたことが判明し(中略)複数の社会暴動の事例について、噴火現象との関連が統計的に示された”
  • 「嘆きの壁」で初の古代ローマの建造物発掘、円形劇場か エルサレム

    【10月17日 AFP】イスラエルの考古学当局は16日、エルサレム(Jerusalem)旧市街(Old City)のユダヤ教の聖地「嘆きの壁(Western Wall、西の壁)」で、同地で初めて発掘された古代ローマ帝国時代の公共建造物を公開した。 2年間にわたる発掘作業を指揮したイスラエル考古学庁(IAA)の考古学者によると、発掘されたのは円形の劇場のような建造物。放射性炭素年代測定などから2世紀から3世紀ごろに造られたもので、未完成とみられるという。 IAAによれば、 史料にはこのような建造物の存在が示唆されていたが、過去およそ150年間同地で行われてきた近代の考古学的調査で、そのような建造物は発見されていなかった。 約2000年の歴史を持つ嘆きの壁の新たに発掘された部分は、幅約15メートル、高さ約8メートルで、用いられた石の保存状態は非常に良いという。IAAによれば、約1700年の間、

    「嘆きの壁」で初の古代ローマの建造物発掘、円形劇場か エルサレム
  • 兵馬俑がヘレニズムの影響で作られたとの説 - 枕流亭ブログ

    レコチャイでまた面白歴史記事が出たのでご紹介。 英学者が「始皇帝の兵馬俑、古代ギリシャ彫刻からインスピレーション」と指摘―英紙(レコードチャイナ) http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82798 2014年2月3日、英紙デイリー・メールは、中国の世界遺産・秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)は古代ギリシャ彫刻からインスピレーションを得て造られたとする学者の説を紹介した。新華網が伝えた。 英紙デイリー・メールの記事を新華網が引用したものをレコードチャイナが伝えているという孫記事であることを冒頭に示しています。 デイリー・メールの記事はこちらですが、 http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2522067/Chinas-Terracotta-Army-inspired-ancient-G

    兵馬俑がヘレニズムの影響で作られたとの説 - 枕流亭ブログ
  • 2500年前の墓から完全な大麻草13本を発見

    大麻草は、2500年ほど前に中国トルファンで埋葬された成人男性の体の上に置かれていた。(PHOTOGRAPH COURTESY OF HONGEN JIANG) 中国北西部の古代墓地から、13の大麻草が原形をほぼ留めた状態で出土した。考古学者らは、古代ユーラシア文化において大麻が儀式や医療目的でどのように用いられていたかを理解する上で、貴重な発見であるとしている。 今回の発掘についての論文は、植物に関する科学誌「Economic Botany」に発表された。それによると、中国科学院大学の考古学者蒋洪恩氏の研究チームは、中国のトルファン盆地で白人の特徴を持つ35歳前後の成人男性の墓を発見した。男性の体は木の寝台に横たえられ、頭の下にはアシで作られた枕が置かれていた。 胸の上には、それぞれの長さが90センチほどの大麻草が13、体に対して斜めに置かれていた。根は脚に向けて骨盤の下あたりに置か

    2500年前の墓から完全な大麻草13本を発見
  • 数学教えていた? 平城京にペルシャ人の役人 木簡に名前

    現在の奈良市に位置し、奈良時代の都、平城京の遺跡から1960年代に発掘された木簡(2016年10月5日撮影)。(c)AFP/Nara National Research Institute for Cultural Properties 【10月6日 AFP】奈良文化財研究所(Nara National Research Institute for Cultural Properties)は5日、現在の奈良市に位置し、1000年以上前の都、平城京の遺跡から発掘された木簡を改めて調査した結果、ペルシャ人の役人が働いていたことを示す新しい証拠が見つかったことを明らかにし、古代の日が予想よりも国際色豊かだった可能性があると指摘した。 日と現在のイランの間の直接的な貿易関係は遅くとも7世紀に始まったことが知られているが、1960年代に発見された木簡を改めて調査したところ、さらに広範囲な交流が見

    数学教えていた? 平城京にペルシャ人の役人 木簡に名前
    kousyou
    kousyou 2016/10/07
    “このペルシャ人は日本の役人が教育を受ける施設で働いており、ペルシャが得意としていた数学を教えていた可能性があるという。”
  • 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「 破斯 ( はし ) 」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日の国際性を裏付ける成果となる。 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「 員外大属 ( いんがいだいさかん ) 」という役職名、中国語でペルシャを表す「 波斯 ( はし ) 」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元

    奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 国内最古級の硯の破片 再び出土 糸島の三雲・井原遺跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    糸島市教委は28日、同市の三雲・井原遺跡で、弥生時代中期後半~後期のものとみられる国内最古級の 硯 ( すずり ) の破片が出土したと発表した。同遺跡で同時期の硯が確認されたのは、昨年12月に続き2例目。 市教委によると、前回の硯よりやや小さく、長さ5・4センチ、幅3・9センチ、厚さ0・5センチの破片。前回から約15メートル離れた場所で2014年度に行った発掘調査で出土した。 当初は 砥石 ( といし ) の一種と思われていたが、複数の専門家に観察を依頼し、厚さや裏面の加工の違いなども含め、前回とは別の硯の破片であると判断した。 同遺跡は、中国の史書「魏志倭人伝」が記す伊都国の王都とされ、硯は中国の出先機関・ 楽浪郡 ( らくろうぐん ) から渡来した人々が文字を書くために使用したとみられる。 二つの破片が見つかった周辺は、全体約700平方メートルのうち約80%が未発掘。市教委は国の史跡指

    国内最古級の硯の破片 再び出土 糸島の三雲・井原遺跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)