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loveに関するkoutakiのブックマーク (6)

  • 今日の大手紙社説 - finalventの日記

    繰り返し、伊藤和也さんの死に哀悼を捧げます。 日人も世界に出るなら、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」というのはあるかとは思う。 ついでなんで、補足すると、蛇は誘惑の蛇で賢さは悪に通じるずるがしこさ、そして鳩というのは燔祭になるもの、つまり、神のために命を捧げるもの。素直に神にその命を捧げるようにということ。 つまり、これはとても矛盾している。でも、それを矛盾にしないように生きていくのが、中近東の世界の知恵。そしてその知恵には快活な笑いというものがある。 史的イエスがこれを言ったかどうかはわからないが、こうした矛盾の聖句には、イエスとして描かれた人の独自の、中近東的なヘレニズム的(ヘブライズムじゃなくて)なユーモアのセンスがある。イエスの言葉には、ナスレッディン的な笑いがある。 自分の矛盾を笑おう、自分の弱さを笑おう、そうすることで自分を超えていこうというのは、おそらく中近東

    今日の大手紙社説 - finalventの日記
  • 出不精の彼氏

    デートは最初だけで段々私の家にくるようになり気付いたらセックスして読んで話してメシってグウタラするだけになった。最初はそれでも良かったけど、そのうち私が飽きてきた。外すらしたがらねえ。 その日も家にきた。しかも黙っていきなり家のドア開けてヤッホーとかいった。私はわきげを抜いていた。彼氏に、私、激怒。「何あんたその態度ここは自分の家だとでも思ってんのかああ図々しく連絡もしないで私んちに来て出て来たメシってい散らかしてセックスしてゲームして帰るわけかッ?金払え!!!!」「か、かねーっ!?」「タダメシ!タダフウゾク!タダゲーム!金!もう金に換算しろ!!!!!払え!電気代払え!家賃払え!ていうか死ね!!」「なあああ!?!?!」「とりあえず今日はこのお前が置いていった土鍋を、土鍋を持って帰れ。はしを持って帰れ。歯ブラシを持って帰れ。茶碗を。私が聞きやしねえポルノのCDを。かえれ。て言うか置

    出不精の彼氏
  • 彼女に何か言えることがあるとしたら - ohnosakiko’s blog

    昔、恋人のいる人をすごく好きになってしまったことがあった。毎日その人のことを考え、どうしてもその人と付き合いたい、抱きしめられたい、キスがしたい、セックスしたいと思った。彼女がいてもいい、一回セックスできたらそれで満足とまで思い詰めた。 そしてついにその人に好きだということを打ち明けたら、あっさり付き合えることになった。でも恋人とは別れないという前提付き。 私はそれでもいいと言った。その時は当にそう思っていた。そして、その人に自分が性的に承認されたことに有頂天になっていた。 何度か一緒に事をしセックスをした。一緒にいる時、その人はとても優しかった。増々その人のことが好きになった。 だがそのうち、私は苦しくなってきた。彼女からこの人を奪いたい。この人のたった一人の人になりたい。私以外の人とはセックスしてほしくない。最初に「それでもいい」と思った前提はみるみるうちに崩れた。よくある話だと思

    彼女に何か言えることがあるとしたら - ohnosakiko’s blog
    koutaki
    koutaki 2007/11/29
  • 空中キャンプ:みんなホストになりたい

    わたしにはわかる。男はみんな、ホストになりたいとおもっていることを。「俺はちがうぞ」とか言わせない。男であれば全員が、やり手のホストみたいに女をたらしこみたいと願っている。そうに決まっているのだ。みなまで言うな。わたしにはわかっているのだからね。いいねえ、女たらし。「女たらし」って、「女をたぶらかして」を短くしたものかしら。たぶらかし。たらし。いずれにせよ語感がいいね。もて遊んでる感じが。わたしもどうにかたらしたくて、この夏も必死にがんばってきたのだけれど、気がつけばもう終戦記念日。夏が半分終わってしまった。もう海にはくらげがでるし、そろそろとんぼが飛びはじめる。ちょっと、もう。夏をどうするの。ここはホストに学ぼうとわたしは考えた。どうすれば女の子をたぶらかせるのかを学ぼうとわたしはおもった。 ホストについて興味ぶかいのは、「素の自分は大したことがない」と冷静に理解していることだ。彼らは自

  • 恋をしている感覚 - finalventの日記

    恋というのはなにかしら狂気めいたものがあり、世界の認識が変わる。ただ、誰もが自分の恋というのをうまく理解できない。それはまず身体を巻き込むように世界が変わる。そして、その恋とやらが終わるとき、身体が引きちぎられるようにまた世界が鉛の彫像のようになってしまう。 それがなんどか、おそらく数回だろうが、繰り返されると、人は世界と他者に奇妙な対応を取るようになるというか、ほのかに定常的な狂気を抱え込んでしまうように思える。 この恋のような何かがゆるく続く愛情のようなものに変成するのかもよくわからない。 ただ、これは親子関係というか原初的な性を含んだ愛の関係の病理と関係しているのだろうとは思う。その意味で、恋の感覚は、反復の病理を質としているのではないかと思う。 自分はそうした世界との関係がよくわからないまま、単純にいえばズタボロになったので恐い世界とはなっているし、そこからずいぶん長い時間を掛け

    恋をしている感覚 - finalventの日記
  • 男の保健室 : 「賢い女を落とす方法」

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