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物語に関するkowyoshiのブックマーク (7)

  • 三匹の子ぶたのお話 | SOGO_etext_library

    ネット上でもっと気軽に読める文書を増やしたい、こう思っている私sogoが勝手に始めたプロジェクトです。 The Story of the Three Little Pigs 日語題:三匹の子ぶたのお話 Joseph Jacobs(1854-1916) ぶたが詩を歌っているころ さるはタバコを噛んでいた めんどり雑にタバコを吸って アヒルはガーガと鳴いている 昔々、三匹の子ぶたを産んだ母ぶたがいました。母ぶたは子ぶたを育てていくことができなかったので、子ぶたの将来を想って外に出すことにしました。最初に出ていった子ぶたはわらの束を持った男に出会いました。そこで子ぶたは言いました。 「ねぇおじさん、家を建てたいんでわらをちょうだいな。」 男は子ぶたにわらをあげました。子ぶたはわらで家を造り、そこに住むことにしました。ほどなく、おおかみがやってきてドアをノックしました。 「子ぶたさん、子ぶたさん

    kowyoshi
    kowyoshi 2020/03/24
    子供の頃、ラボ教育センターで英語込みで学んだ話はこのバージョンだった。
  • 系統学で見る「赤ずきん」のルーツ

    民話「赤ずきん」は、さまざまなバージョンが世界中で語られている。最新研究では「赤ずきん」と、もう1つの似た物語「狼と七匹の子山羊」がどこで生まれ、どのように進化していったかが定量分析によって追跡された。 Map by Matthew Twombly, NG staff. Source: Tehrani, J. J. PLOS ONE 2013;8(11):E78871 これは世界中で語られてきた物語だ。「赤ずきん」が祖母の家を訪ねると、祖母をべたオオカミが、祖母の服を着て、赤ずきんのこともべようと待ち構えていた。その後の展開は、話のバージョンによって異なる。 赤ずきんはべられたのか? 通りがかった狩人がオオカミの腹を割いて赤ずきんを助け出したのか? 赤ずきんがオオカミをだまして外へ出るのか? イランの一部地域では、幼い女の子が一人で出歩いたりしないという理由から、危険な目に遭うのは男

    系統学で見る「赤ずきん」のルーツ
    kowyoshi
    kowyoshi 2015/09/06
    宗像教授シリーズに、こういう話なかったっけ?
  • 民話「赤ずきん」の進化を系統樹で解明、英研究

    米カリフォルニア(California)州ロングビーチ(Long Beach)で行われたハロウィーンのパレードに赤ずきんの仮装で参加したこども(2012年10月28日撮影、文とは関係ありません)。(c)AFP/ Robyn Beck 【11月15日 AFP】「赤ずきんちゃん」の行き先は、おばあさんの家だったのかもしれないが、人類学者らの関心は、赤ずきんちゃんの由来とその話がどのようにして広まったのかにある──。 米オンライン科学誌プロスワン(PLOS ONE)で13日に発表された最新の論文によると、英ダラム大学(Durham University)の人類学者、ジャミー・テヘラニ(Jamie Tehrani)氏率いる研究チームは、種の進化の生物学的研究に広く用いられている数理モデルを適用することで、有名な民話「赤ずきん」の「系統樹」に相当するものを作成したという。 今回のプロジェクトでは「

    民話「赤ずきん」の進化を系統樹で解明、英研究
    kowyoshi
    kowyoshi 2013/11/15
    月光条例に反映は…今さらムリだって
  • 「ごん狐」は死を覚悟して村人の家に行った 今、明かされる児童文学史上の大きな謎 | JBpress (ジェイビープレス)

    作者は、昭和初期に活躍した童話作家・新美南吉。 物語は、南吉が村の茂平(もへい)というおじいさんから聞いた話とされる。 いたずら好きの小狐「ごん」は、村に住む兵十(ひょうじゅう)という男が捕ったウナギを逃がす。 その後、兵十の母が亡くなる。兵十は、どうやら病気の母にウナギをべさせるつもりだったらしい。 ごんは後悔して、兵十の家にひそかにべ物を持っていく。しかし兵十にごんの意図は通じず、かえって迷惑をかけたり、神様のおかげだと思われたりする。 しまいにごんは、栗を持って兵十の家に入ったところ、兵十に「またいたずらをしに来た」と思われて撃たれる。倒れたごんに近づく兵十は、土間に置かれた栗を見て、すべてを悟る。 なんとも悲しい話である。 しかし、『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新美南吉の小さな世界』を著した作家・編集者の畑中章宏さんは、今あらためて「ごん狐」をはじめ、新美南吉の諸作品を読み返

    「ごん狐」は死を覚悟して村人の家に行った 今、明かされる児童文学史上の大きな謎 | JBpress (ジェイビープレス)
    kowyoshi
    kowyoshi 2013/09/30
    そのうち、「真説・ごん狐」とか出るのかしら
  • 三遊亭円朝『塩原多助一代記』

    三遊亭円朝『塩原多助一代記』 『真景累ヶ淵』があまりに面白かったので、調子に乗って同じ円朝の作で『塩原多助一代記』を読む。これも大当たり。 国民的教養だった「塩原多助」 塩原多助の物語は昔から気になっていた。 一番最初に知ったのは実は漫画版の『サザエさん』。テレビ版とちがい、漫画版は時事ネタのオンパレードなのだが、そこで信号の色の呼称が「青」から「緑」に正式にかわった、というネタを織り込んで、カツオが学芸会において愛馬・青との別れを演じ青を「ミドリよ」と呼ぶ漫画があった(ところで現時点ではウィキペディアによれば「青信号」が正式なそうであるが、あの漫画は一体なんだったのだろう?)。オチのコマで「塩原多助はアオでいいんだって!」と先生がとびこんでくる。これが塩原多助との最初の出会いである。 この主人公多助が愛馬・青と別れるシーンはどうも大変に有名らしく、その後もちょっとした小ネタとしてよく聞い

    kowyoshi
    kowyoshi 2012/09/25
    賞味な話、塩原多助に関して言えば、未だにサザエさんの「ミドリよ(よよよよよ)」以上の印象がない
  • [2010/08/11]「終戦特集(1) “軍神”の物語はいま!」

    間もなく戦後65年を迎えようとしていますが、戦前から戦中にかけて「軍神」とたたえられた軍人たちがいました。 日中戦争で亡くなった徳島市のある大尉もそんな一人です。 生前は全く無名だった彼は、なぜ「軍神」と言われるようになったのでしょう。 昭和12年に始まった日中戦争中国・揚州へ空爆に向かい、撃墜されて戦死したひとりの軍人がいました。 梅林孝次、29歳。 その死の直前にとった行動が美談として全国に広がり、彼は「軍神」と呼ばれるようになりました。 先月、徳島県立文書館では、「軍神」・梅林の資料を展示する準備が進められていました。 2,000点を超える膨大な資料は、遺族が3年前にこの文書館に託したものです。 「ひとりの若者が『軍神』にまつりあげられていくその過程を完璧に追うことができる資料群。戦争へと突き進んでいった当時の日社会の一断面を紹介できればと」 梅林孝次は、明治41年生まれ。 兵

    kowyoshi
    kowyoshi 2010/08/20
    軍神と泣きゲーキャラの関連性とか考えてみたけど…止めた
  • グエボスの少女のはなし - The Secret Doctrine(秘密教理)

    あのころ、ぼくは大学を休んでバイトで稼いだ金を元手に、海外のさまざまな国を放浪していた。まだベトナムでは戦争が続いていたときの話だ。 その国の言葉でメウーリョと呼ばれる山間の農村地方へ行ったのは、首都にある小さなユースホステルで知り合った徴兵忌避者のアメリカ人からマリワナ煙草の巻き方とともに、いまの時期その地方へ行けば農家の手伝いの仕事が得られ、物価の安いこの国にしてはそこそこの収入になるということを教わったせいだった。 当時のぼくはすっかり日へ帰る気をなくしていて、この国での滞在費用を稼げるのであればどんな仕事でもやろうという気分だったので、翌日には荷物をまとめて宿を引き払い、ポケットに残った小銭でメウーリョ地方行きの切符を買っていた。 車内はおろか屋根の上にまで荷物と乗客を乗せたバスで山道を走ること1日半、やっとたどり着いたマティロという賑やかな村で、望みどおりの仕事を得ることができ

    グエボスの少女のはなし - The Secret Doctrine(秘密教理)
    kowyoshi
    kowyoshi 2009/01/12
    なるほど。
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