路上で女性に抱きついてけがを負わせたとして、警視庁世田谷署は6日までに、強制わいせつ致傷の疑いで、仮面ライダーシリーズなどに出演した俳優の青木玄徳容疑者(30)=東京都世田谷区=を逮捕した。逮捕は5日。 青木容疑者が3月末まで所属していた事務所によると、青木容疑者は特撮ドラマ「仮面ライダー鎧武」に出演していたほか、人気ミュージカル「テニスの王子様」などで活躍していた。 逮捕容疑は3月4日午前1時半ごろ、世田谷区太子堂4丁目の歩道で、30代の女性に背後から抱きつき、首に軽いけがをさせた疑い。 世田谷署によると、青木容疑者は「見知らぬ女性に後ろから抱きつき、両胸をもんでしまいました」と容疑を認めている。直前まで近くで酒を飲み、「酔っていて気が大きくなった」と話しているという。 女性が直後に110番して発覚。青木容疑者は逃走したが、現場近くに落とした所持品などから関与が浮上した。
大学で歴史の教員をしていた際に開設した「史論家練習帳」を、この原稿をもって閉じることにしました。まずは長年更新できなかったことでご心配をおかけした(かもしれない)読者のみなさま、また本稿の掲載にあたって懇切なサポートをいただいたYahoo!ニュース個人のスタッフのみなさまに、ふかくお詫び申し上げます。 昨秋に、開設時の勤務先を離職しましたので、職業的な意味での「歴史学者」を廃業しているのは自明のことです。それにいたる経緯は、本日刊行となる『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)にまとめたので、ご関心のある方はそちらをご参照いただくとして、最後にこの場をお借りして、より本質的な意味での、私にとっての「歴史」の喪失について記したいと思います。 歴史を語らなくなった識者たち歴史学者という肩書で、雑誌に連載を持たせていただいたとき(2012年)、初回の一行目に「歴史というものは、人間の社会
本コラムでは、歴史や技術的な観点を重視しつつ話題を選んでみたい。見過ごしがちな着眼点を選びつつ、日本のアニメの歴史との関係を絡めて語っていこうと思う。 第1回目のテーマは「ピンポイントの光」である。近年、特にバトル重視の作品では、ロボットのパーツや装具、武装の一部を常時光らせながら戦う演出が増えている。メカのインジケーターやエネルギーの存在を示すライン状のストライプ、そんな輝きが激しいボディアクションに連動するとき、アニメ特有の感情が喚起される。料理におけるトッピングみたいな位置づけだが、確実に目が離せなくなる効果を有しているのだ。 自分が強く意識した事例としては、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」(2007)のエヴァンゲリオン初号機が挙げられる。碇シンジが初起動した機体は、第三新東京市の夜景で使徒と戦うその中でグリーンのラインを常時光らせていて、実に衝撃的だった。1995年のテレビシリーズ
線の味わいにこだわる作品が現れて、実に嬉しい。それは春新番組のテレビアニメ「メガロボクス」(4月5日深夜よりTBS系)のことである。古典的名作「あしたのジョー」連載開始50周年記念作品で、近未来社会を舞台に原典のエッセンスを投影した異色作だ。その「線のこだわり」も出崎統の監督デビュー作であるアニメ版第1作目「あしたのジョー」(1970)の描線と、おおいに関係がある。 アニメ版「ジョー」はボクサーのハングリー精神、情熱と闘志を鮮烈で革新的な映像で描きぬいて強い印象を残した。中でも当時最新鋭の「トレスマシン」による「線の表現」は独特のものがあった。これはスポーツ根性ものをブームにした「巨人の星」(68)の途中から導入されたものだ。ディズニーが1961年の長編「101匹わんちゃん」から電子写真技術によるコピー機(ゼロックス)を採用し、動画のラフな鉛筆線をセルへ転写し始めた潮流を受けたもので、日本
あまりにも露骨だった「ね」 「ある業界の常識は、世間の非常識」という格言は、よく目にする。近年、その代表例として挙げられそうなのが、自民党の丸川珠代・参議院議員(47・東京選挙区)の証人喚問での質問だろう。 *** 3月27日、参院予算委員会で佐川宣寿・前国税庁長官(60)の証人喚問が行われた。ここで丸川議員が質問を行ったのだが、その内容に世論の批判が集中した。多くの人が鮮明な記憶をお持ちだろうが、念のために振り返っておく。 丸川議員「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」 ... つづきを読む
宮崎駿監督(77)と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、ジブリ映画「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを監督した高畑勲氏が5日、東京都内の病院で死去した。82歳だった。 関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後入退院を繰り返していた。心臓が悪かったという情報もある。 昨年11月に高畑監督に会った別の関係者によると、以前よりも痩せていて、歩く時は体を支えられていたという。この関係者は「子供のような好奇心でキラキラした表情が印象的な人だが、元気がなく、全く違った人みたいだった」と話した。通夜、葬儀は近日中に営まれる。 高畑監督は東大卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎監督と出会い、アニメ制作会社をともに移籍しながら、70年代にはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などを生み出した。85年に宮崎監督らとスタジオジブリを設立。「火垂る
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