神戸市のスラムの一つ長田区の番町地区(現在は同和地区指定されていない) 神戸市のスラム問題(こうべしのスラムもんだい)では、兵庫県神戸市における近代以降のスラム問題について説明する。 概要[編集] 1867年(慶応3年)の開港を機に、外国人居留地が整備され、北野地区に異人館街、西国街道沿いに元町商店街と業務街である栄町通りが発展し、明治期には神戸の都心の骨格が形成され[1]、神戸市への人口流入は飛躍的に増大した。明治4年には北野村、宇治野村、花熊村の戸籍ですでに従来の村民の2-3倍に当たる来住人や借家人が見られた。流入者の多くは「日稼人足」であった。海外との貿易の拡大に連れ、荷役作業の労働需要が高まりを見せ、居留地建設をはじめとして市街地、道路整備などの公共工事に伴う土木作業の労働需要が増え、こうした力役・補助的労働者が必要とされた。彼らは力仕事の傍ら、行商にも出て生計を立てた[2]。 日
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