サハラ砂漠の洞窟には、小さな13個の手形が残されている。最新の研究から、それが人間のものではないことが明らかとなった。 2002年、エジプト南西のリビアとの国境付近に広がる広大な砂漠のど真ん中で、アマチュア冒険家が”獣の洞窟(Cave of Beasts)”を発見した。ワディ・スーラIIとも呼ばれるこの洞窟には、およそ8,000年前のものと思われる5,000点にもおよぶ絵や彫刻が残されていた。
イラクやシリアだけでない…。政治的空白や社会混乱が起きるところにIS(イスラム国)も存在している! その最新の例を我々はリビアで目にしている。先日ISがリビアで誘拐した21名のエジプト人キリスト教徒を斬首・殺害したこと、エジプトが報復としてリビアのISを標的に空爆を実行したことで、「ジハーディスト」が北アフリカの各国で活動していることが明らかになった。 リビアのIS戦闘員らは何故このエジプト市民を誘拐し、残虐に殺害したのか? このエジプト人らはなぜリビアに来たのか? 以前から多くのエジプト人は就労のために隣国リビアに向かっていることは知られている。その中にはコプト教徒も含まれている。ISは先月エジプト人らを人質にとった。そのうちムスリムは釈放し、コプト教徒は拘束して、一昨日殺害してその後殺害時の映像を公開した。ISが他国と同様にリビアでもこのように活動する中、その狙いは、敵とみなす人物や政
2015.02.19 Thu エジプト、「ダーイシュ」に対する戦いを拡大 SYNODOSが選ぶ「日本語で読む世界のメディア」(東京外国語大学) 21人のエジプト人コプト教徒がリビアのスルトで「ダーイシュ(IS)」戦闘員の手で惨殺されたビデオの公開は、エジプトならびに世界に衝撃をもたらした。その数時間後にあたる昨日(16日)、エジプト空軍はダーイシュの主要拠点であるダルア(東部)を標的とした空爆を開始した。一方、エジプトの外交活動は、ロシア政府およびフランス政府の協力を得て、安全保障理事会において同テロ組織への「新しい対策」を採用するためのイニシアチブをとった。これは、アブドゥルファッターフ・スィースィー・エジプト大統領が、フランソワ・オランド仏大統領をはじめとしたヨーロッパの政府首脳ら、ならびにアラブ指導者らと電話会談を行った結果である。 ダルナにおける空爆は、スィースィー大統領の声明に即
(CNN) イスラム過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」は15日、リビアの海岸でキリスト教の一派であるコプト教徒のエジプト人約20人の首をはねて殺害したとするビデオを公開した。 ISISの宣伝部門「アルハヤト・メディア」が約5分間のビデオを流した。オレンジ色の服を着て後ろ手に縛られた犠牲者ひとりひとりの背後に、黒装束の過激派メンバーらが立っている。 ビデオには英語を話す覆面の人物が登場し、米軍が殺害した国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者の名を挙げて「お前たちがビンラディン師の遺体を隠した海に、お前たちの血を混ぜることを神に誓う」と宣言。合図とともに犠牲者全員が倒され、首を切られる場面が収録されていた。 エジプトのマハラブ首相は13日、リビアで行方不明となった労働者21人の捜索に全力を挙げると話していた。 地元メディアによると、リビア議会は同日、ISISの英
イラク北部から恐ろしい話が伝わってくる。そして、シリアの内戦では虐殺が続いている。これらの事態は、中東で構造的な転換が進行している証しだ。第1次世界大戦からほぼ100年経った現在、敗戦国オスマン帝国の崩壊を受けて形成されたこの地域の国家体制が、揺らいでいるのだ。 現在の中東の地図は、第1次世界大戦に勝利した英国とフランスが線引きした。戦争終結前に両国が協定を結び、中東での勢力範囲を確保した。しかしこの協定は、この地域の歴史、民族的・宗教的伝統や帰属関係、それに現地の人々の意思をまったく無視したものだった。 人工的に引かれた国境線 イラク、シリア、レバノンの国境線は恣意的・人工的に引かれた。この体制が揺らぎ始めている。米国主導のイラク侵攻は、フセインを権力の座から追い払っただけではない。スンニ派による少数支配にも終止符を打った。イラクで多数を占めるシーア派は、抑圧から解放されると、米国が後押
「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る 池内恵 イスラーム政治思想史、中東地域研究 国際 #シリア#イエメン#アラブの春#エジプト#リビア#ハンナ・アーレント#多数決型#コンセンサス型 「アラブの春」と呼ばれた、チュニジアとエジプトに始まる、アラブ世界の社会・政治変動が生じてから3年が経とうとしている。リビア、イエメン、シリアと急速に連鎖し、一時はバーレーンを通じて湾岸産油国に及ぼうかと見えた変革の波は弱まり、むしろ逆行しているようにさえ見えるかもしれない。今年7月3日のエジプトのクーデタでは、民衆のデモが、選挙で選ばれた政権の軍人による排除を歓呼して迎えた。シリアでは社会からの異議申し立ては政権による過酷・苛烈な弾圧を招き、国土を焦土化する内戦の淵に沈みこんだ。リビアではカダフィ政権打倒に立ち上がった各地の民兵が、政権崩壊後も武装解除を拒み、国土を割拠した
米大統領選において、これまでほとんど争点にならなかった外交問題が、ここにきてにわかに脚光を浴び始めた。 イスラム教の預言者、ムハンマドを侮辱する映像がユーチューブ上で流れた。イスラム教徒たちはこれに激怒した。映像が流れるや、リビアではデモ参加者の一部が暴徒化。ベンガジの米総領事館にミサイルを撃ち込み、米大使をはじめとする外交官4人を殺害する事件にまで発展した。その後反米デモはアフガニスタンやインドネシアにも飛び火している。一方、映像の制作者やその支持者は、「表現の自由」は米憲法が保障する「権利」として一歩も引かない構えだ。 今回の事件のポイントは二つある。 一つは、事件が起こったリビアは、かってのカダフィ独裁体制ではない、ということ。チュニジアで2010年12月に起こった独裁政権打倒運動「Arab Spring」(アラブの春)に触発され、民主化の道を歩んできた。 民主化の道を歩み始めたリビ
2012年アメリカ在外公館襲撃事件(2012ねんアメリカざいがいこうかんしゅうげきじけん)は、アメリカ合衆国で作成された映画"Innocence of Muslims"(イノセンス・オブ・ムスリム)がイスラム教を侮辱するものとして、これに抗議するためエジプトやリビアなどアラブ諸国のアメリカの在外公館が2012年9月11日以降、次々に襲撃された事件である。一連の襲撃事件で、在リビアのアメリカ領事館ではクリストファー・スティーブンス駐リビア大使ら4人が殺害された。公務中のアメリカ大使が殺害されるのは、1979年に駐アフガニスタン大使だったアドルフ・ダブス(英語版)が殺害されて以来のことであった[1]。 エジプト、リビアを発端とした反米デモは他のイスラム諸国にも波及することとなった。またスーダンでは、批判の対象はアメリカだけではなく、イギリスやドイツなどといったヨーロッパ諸国にも向けられた[2]
【カイロ=貞広貴志、ワシントン=山口香子】リビアやエジプトで発生したイスラム教の預言者をからかう米映画に対する民衆の抗議デモは12日夜(日本時間13日未明)、チュニジアなど周辺国に飛び火し、イスラム圏全域へと拡大する様相を見せ始めた。 リビア東部ベンガジの米領事館襲撃事件について、米政府内では、米同時テロから11年の機会をとらえた計画的犯行との見方も浮上している。 チュニジアの首都チュニスでは12日、米大使館前に集まった約50人が米国旗を燃やした。エジプト・カイロの米大使館前のデモは、12日も夜通し行われた。モロッコやスーダン、パレスチナ自治区ガザ市でもデモがあった。 米政府高官は12日、記者団に対し、襲撃は「複雑な攻撃だったのは明白だ」と述べ、米映画への抗議行動がエスカレートした結果ではなく、武装勢力による計画的犯行との見方を示した。米当局のテロ対策担当者もAP通信に対し、「(襲撃が)自
日本で大地震が発生し、それに伴う津波が間をおかず押し寄せ、そこから引き起こされた原発事故が拡大していく過程で、年初以来、アラブ世界の政治変動に大部分の時間を割いていたBBC、アル=ジャジーラ、CNNなどの国際ニュース・テレビ局の関心が、一転して日本に集中した。3月11日から1週間は、ほぼ常に日本の状況がトップニュースだった。2週間が経過した現在も、日本の状況はトップ3に入り、克明に伝えられている。ほかの2つはリビアとイエメンの情勢であり、さらに、シリアで勃発した反政府抗議運動や、エジプトの民主化の過程が詳細に報じられている。中東の激動はいよいよ拡散し、加速している。日本の状況はあたかもそれらリビアやイエメンといった大混乱の危険地帯と同列であるかのように、国際メディア報道上では取り扱われている。 日本のメディアは震災と原発事故報道一色となり、日本語のテレビや新聞・雑誌を通じて世界のニュースを
2011年02月25日10:21 カテゴリ法/政治 独裁政権はなぜ一斉に倒れるのか チュニジアに始まった中東のドミノ現象は、リビアで最大の山場を迎えている。ムバラクは30年、カダフィは40年以上も続けてきた独裁政権が、なぜ数ヶ月の間に一斉に倒れるのだろうか。これは前にも紹介した協調ゲームの応用問題である(利得a>b>0は対称とする)。 自由独裁自由 a 0 独裁 0 b いま人々が独裁に甘んじているとすると利得はbだが、全員が一挙に独裁に反抗し、政権を倒して自由になれば、利得はaに上がるとしよう。このときナッシュ均衡は複数あり、どちらが焦点(focal point)に選ばれるかは初期値に依存する。パレート効率的なのはaだが、独裁bから出発すると自分だけカダフィに反抗しても殺されて利得は0になるので、独裁政権に服従するbがナッシュ均衡になる。この「恐怖の均衡」が40年間つづいてきたと考え
リビア・エジプト国境のリビア側で警備にあたる若者たち。自動小銃などで武装していた=2011年2月22日、和田浩明撮影 国境を越えると、解放区だった。 リビアで最高指導者カダフィ大佐の41年にわたる独裁支配に反発した住民らが蜂起、支配権を確保した同国北東部の町イムサードに22日夜(日本時間23日未明)入った。自動小銃を肩に警備にあたる若者たちは、人生で初の「自由」に満面の笑みを見せながら「国民を殺したカダフィは許せない。すぐに去るべきだ」と語った。 ◇「自由なリビアへようこそ」 「向こうは無政府状態だよ」。エジプト側国境の職員に送り出されてリビア側にたどり着いたのは宵闇も迫るころ。武装した男たちの一群が出迎えた。 「どこから来た」と問われ「日本だ」と答えると、「自由なリビアへようこそ」と歓迎された。パスポートを出すとチェックしただけで返してくれた。正式の入管手続きを行う職員の姿は見えない。男
リビア東部(CNN) 反政府勢力が制圧したとみられるリビア東部に21日、CNNのベン・ウィーデマン記者が入り、街の様子などを取材した。西側のテレビ局が現地入りしたのはデモ発生以来初めて。 同地では、民間人の服装をした集団が拳銃や機関銃を装備し、通りで警戒に当たっている。政府軍を退却させた反政府勢力は、一定の秩序を保つために委員会を設置した。 反政府勢力の指導者を名乗る人物は、同地の軍司令官と接触しており、軍の大部分が反政府勢力に加わったと話している。 近郊の砂漠では、軍が撤退する際に火を放ったとみられる弾薬が燃えていた。 反政府勢力側は、同国最高指導者カダフィ大佐を支持する部隊が同地奪還の動きに出ることを警戒、武装した人員を配置しているという。 商店などの多くは21日現在も営業しており、市民生活は一見、平常に近い状態に見える。しかし道路には帰国を目指すエジプト人のものとみられる車が連なって
リビア情勢はどうなるのか。展開が急なわりに問題の軸がうまく見いだせず、漫然と事態を見ていたのだが、今朝ワシントンポストとフィナンシャルタイムズの社説を読んだら、すっとわかった。もうすべて終わっている。簡単に言えば、カダフィー「大佐」はすでに国際的な人道上の犯罪者だから、生き延びてもその国の石油は西側社会が抑えるということ。終わり。これって、イラク戦争2.0ではないのか。 リビア問題を見る上でキーとなる条件がいくつかあった。IT革命、アラブ諸国の民主化、独裁体制の崩壊……とかではない。まず、リビアは小国であることだ。隣国エジプトの人口は8300万人だが、リビアは640万人。エジプトの十分の一も満たない。「不安定化するイスラム諸国」とかのお話に付随するイラスト地図を見ると、エジプト並みサイズの国で暴動が起きているというイメージを持ちやすいが、あの国土にエジプトの十分の一の国民が散らばっていると
アラブの春(アラブのはる、英語: Arab Spring)とは、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモを主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せており、アラブの春の事象の一部に含む場合がある。各国におけるデモは2013年に入っても続いた。なお、“Arab Spring”という言葉自体は2005年前後から一部で使用されていたものである[27][28][29][30]。 しかし、ほとんどの国で混乱や内戦が泥沼に陥り、強権的な軍政権に戻ったり、ISILのような過激派組織が台頭したりするなど、いわゆる「アラブの冬」として挫折を見せている[31][32]。 中東地域は、世界の原油・天然ガスの産出・埋蔵量の多くを持ち、ア
エジプト情勢(中東への影響) 2011年02月12日 13:45 エジプト中東関連 先ほどエジプトの今後に関して取りあえずの考えをまとめてみました。甚だ杜撰ですが、その都度考えをまとめて置くのも大事でしょう。 と言うことであのアラブ諸国、中東への波及問題、影響について、取りあえず考えられるところを自分なりにまとめてみました。請うご批判。コメント期待しています。 先ず第1に、エジプトの影響は避けられないでしょうね。アラブ世界、中東におけるエジプトの地位、影響力は(彼ら自身が思っているほど、と言うか昔ほどではないと思うが。何しろ今では中東中に大学はあるし、情報はむしろal jazeerah やロンドン発行の新聞の方が影響力もある。カイロ大学と「アラブの声」時代のアラブ民族主義のように中東全体を鼓舞するイデオロギーもない)はチュニジアとは比較にならないと思います。 そのエジプトで3週間前には難攻
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