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人生とフランスに関するlaislanopiraのブックマーク (75)

  • 『フランソワ一世』by 出口 治明 - HONZ

    大航海時代(もっとも鄭和艦隊に比べれば小航海に過ぎない)が、実質的に始まった16世紀前半のヨーロッパには、個性豊かな君主たちがひしめきあっていた。ヘンリー8世、カール5世、フランソワ1世の三つ巴の争い、それにスレイマン大帝やマルティン・ルター、メディチ家のレオ10世が絡むのだ。役者を一瞥しただけでも面白くないわけがない。ところが、この豪華絢爛たる顔ぶれの中で、何故かフランソワ1世について書かれたものは少なかった。そのミッシングリンクを埋める傑作が現れた。 書は3部構成を採っている。プロローグは、誕生から即位までの21年。母親ルイーズと姉(「エプタメロン」を書いたマルグリット)に溺愛され甘やかされた若者。こうして育てられたフランソワが「どうして自分の偉大さを誇大視せずにいられるだろうか」「この若者の少年期が、のちにフランスの運命に重くのしかかることになるのだ」。 次が、即位からカンブレーの

    『フランソワ一世』by 出口 治明 - HONZ
  • 中田英寿と「永遠の旅人」と租税逃れと - kojitakenの日記

    https://twitter.com/mtcedar1972/status/566781547341041664 杉山真大@震災被災者 @mtcedar1972 避税地域に籍を移すならまだしも、最近じゃ決まったとこに定住すらせず課税を逃れる「永遠の旅行者」ってのもいる訳だし>「タックスヘイブン」モナコ国籍の中田英寿にピケティの感想を聞いてみたい (id:kojitaken) http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150215/1423963138 … 中田英寿自身がモナコ国籍を取得する前に、その「旅人」をやってたようです。 中田さんが旅人であることの所得税的な意味合い : xeseaのブログ(2010年7月25日) 中田さんが旅人であることの所得税的な意味合い 中田英寿とは元日本代表サッカー選手で現在はモナコ市民権を持つ旅人である(いまでも旅人であるかど

    中田英寿と「永遠の旅人」と租税逃れと - kojitakenの日記
    laislanopira
    laislanopira 2015/02/16
    意識高い系の人はこうしてモナコやシンガポールに財産を逃がすことをかっこいいと思うようになる
  • 『ドイツ・アメリカ連合作戦』協力といがみ合い - HONZ

    もし、あなたがタイムマシーンに乗って時間を旅する旅行者ならば、第二次世界終結目前の1945年5月5日、オーストリアのチロル地方にあるイッター城で奇妙な戦闘を目にすることが出来るだろう。この日、この時、こじんまりした城に籠る小さな混成部隊は、まるでフィクションの中の出来事にしか思えないメンバーで構成されていた。この城を陥落させるため、激しい攻撃を仕掛ける武装親衛隊と戦っていたのはアメリカ軍兵士とドイツ国防軍兵士、武装親衛隊将校、オーストリア人レジスタンス、そして来は救出されるべき対象者であったフランス政府の要人たちだ。 ヒトラーは占領した国々の要人を連合国と交渉する際のカードとして使えるのではないかと考え、逮捕し名誉囚人として拘禁していた。書はその名誉囚人を救出するために行われた「奇跡」の作戦、イッター城の戦いを描いたノンフィクションだ。なぜ奇跡なのか。それはつい昨日まで敵同士であったア

    『ドイツ・アメリカ連合作戦』協力といがみ合い - HONZ
  • 百科全書の国が生んだ知の巨人、ジャン・ティロール教授:日経ビジネスオンライン

    スウェーデン王立科学アカデミーおよびスウェーデン中央銀行(リクスバンク)は10月13日、2014年度ノーベル経済学賞をフランス・トゥールーズ第1大学(トゥールーズ・スクール・オブ・エコノミクス)のジャン・ティロール教授に授与すると発表した。 ティロール教授は1953年フランス生まれで、今年61歳である。フランスのエコール・ポリテクニークなどで学位を取得した後、81年に米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得。84年からMIT准教授、教授を経て、現在トゥールーズ第1大学産業経済研究所(IDEI)学術担当所長を務めている。 ティロール教授の研究範囲は広く、産業組織論、規制政策、組織論、ゲーム理論、ファイナンス、マクロ経済学、経済と心理学などの分野でそれぞれ第一級の研究を行ってきた。 自然科学の分野であれば専攻が細かく限定され、それぞれの専門分野の中でしのぎを削っているというのが

    百科全書の国が生んだ知の巨人、ジャン・ティロール教授:日経ビジネスオンライン
  • 『パリの国連で夢を食う。』世界一のお役所で働くということ。 - HONZ

    国連で働く女性職員をといえば、事務所の中ではパリっとしたキャリアスーツを着てパソコンを猛烈に叩き、難民キャンプや料調査、医療現場では髪をひっつめにして笑顔で支援にあたる、という絵が思い浮かぶ。キャリアウーマンの頂点、超エリートだと思っていた国連職員。しかし真実の姿はちょっと違っているようだ。 著者の川内有緒は日の大学を卒業後、アメリカに留学。その後、東京の大手のシンクタンクでリサーチやコンサルティングを専門にしていた。仕事はやりがいがあったが、あまりの忙しさ転職を考え、ネットで探すと国連職員の募集があった。どうやら自分にも勤まりそうだと応募をしたが、それっきりナシのつぶて。すっかり忘れた2年後に「あなたは書類審査を通りました」の通知が来た。なんとパリに面接に来いという。 そこからは怒涛の展開だ。英語スペイン語は達者だが、フランス語はからっきし。しかし千載一遇のチャンスを逃すまじ、と臨

    『パリの国連で夢を食う。』世界一のお役所で働くということ。 - HONZ
  • ラ・ヴォワザン - Wikipedia

    ラ・ヴォワザン(フランス語: La Voisin、1640年4月11日[1] - 1680年2月20日)は、17世紀のフランスの黒魔術師、毒薬製造・販売者。名はカトリーヌ・モンヴォワザン(Catherine Montvoisin)、旧姓はカトリーヌ・デエー(Catherine Deshayes)。当時のフランスで流行していた数々の毒殺事件の主犯ともいえる女性である[2]。 宝石商の夫と娘との3人で暮し、豪邸に客たちを招いて夜会を開くなど、表向きは趣味の良い生活ぶりであったが、その裏では毒薬の実験、媚薬や堕胎剤の製造、悪魔崇拝の儀式を行なっており[2][3]、黒ミサにも精通していた[4]。夫と死別後、表向きは占い師・助産師として生活していたものの、裏では堕胎業や黒魔術で活動[5]、後に毒薬の製造・販売・輸出を始めた[6]。国内の貴婦人たちは身分を隠して媚薬や堕胎剤、さらに毒薬などを買い求め

    ラ・ヴォワザン - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2014/09/16
    フランス上層部に食い込んだ黒魔術師
  • 『辻静雄』を知っていますか? 新刊超速レビュー - HONZ

    二昔以上も前に世話になったおじさんに逢った。このムックを書店で見かけた時、そんな気がした。いまは亡き辻静雄の名前、どれくらいの人が知っているのだろう。『辻調理師学校(現・辻調理師専門学校)』の創始者、といっても、地元大阪ではいざしらず、全国的にはどんなものなんだろう。 グルメという言葉が根付いた頃、後に直木賞を受賞する海老沢泰久が書いた『美味礼賛』を読んだ。辻が亡くなる少し前に出版されただ。面白かった。フランス料理などろくにべたこともなかったのに、物のフランス料理を日に持ち込んだ辻の人生は抜群に面白かった。 読売新聞大阪社の社会部記者であった辻は、『割烹学校』を開いていた岳父に薦められ、フランス料理を学ぶ。といっても、自分で作るわけではない。仏文出身であった辻は、文献を渉猟し、フランスへ渡り、物をべ歩く。そして帰国。辻調理師学校を創設する。 辻の活躍はきわめて多岐にわたるので

    『辻静雄』を知っていますか? 新刊超速レビュー - HONZ
  • モンブランで行方不明になった登山家、遺体を32年ぶり発見

    [パリ 9日 ロイター] - フランスとイタリアを分かつモンブラン山系で32年前に行方不明となった登山家の遺体が、氷の中から発見されたことが分かった。

    モンブランで行方不明になった登山家、遺体を32年ぶり発見
  •  シャルル・パテ 映画産業の父(4) - 映画中毒者の映画の歴史

    シャルル・パテは映画興行・製作・機材の開発といった映画に関わるあらゆる面で、他社に対しての優位を保持していた。映画初期において、映画興行・製作・機材の開発といった面はめまぐるしい勢いで変化をしていた。当初は写真が動くだけで満足していた観客は、徐々にプラスαを要求するようになっていった。映画は垂れ流しの消費物から「作品」へと変化していった。機材は超高級品から、値段が下がっていった。 当初、家内手工業的に製作されていた映画は、時代の流れによって工場的大量生産の時代へと変化していた。シャルル・パテは市場の変化に合わせて機敏に動き、資をため、この工場的大量生産時代に世界トップの地位を占め、そして大量生産時代を促進させた。 パテ社の勢いは相当なものだった。1908年にエジソン社を中心としたカルテルであるMPPCが設立され、パテ社もその一員として加わった。ヨーロッパの映画会社の中でMPPCに加入して

     シャルル・パテ 映画産業の父(4) - 映画中毒者の映画の歴史
  • 天才数学者の青春 『定理が生まれる 天才数学者の思索と生活』 - HONZ

    数学のノーベル賞と言われる「フィールズ賞」を受賞した天才数学者による、定理を証明するまでの舞台裏と日常――このの内容を一言でいうと、そうなるだろう。ただ、ほとんどの人が、なんとも不思議で神秘的な瞳を持つ、の帯の著者写真(こちらでどうぞ)に目を奪われるように思う。 写真では、肩まで下りるワンレングスの漆黒のストレートヘアと、細面の顔に浮かぶ深い黒の瞳が印象的だ。服装はといえば、数学者というよりも、おしゃれな手品師のようで、白いシャツにドレッシーな黒のスーツ。おまけにトレードマークのクモのブローチは、繊細に左胸を飾っている。おでこに手をあてるポーズ自体、なかなかビシッと決められる人は少ないだろう。 1973年生まれのこのフランス人が、2010年のフィールズ賞受賞者での著者、セドリック・ヴィラーニだ。弱冠28歳でリヨン高等師範学校数学教授となり、ポアンカレ賞など、とにかくすごい数学賞を総な

    天才数学者の青春 『定理が生まれる 天才数学者の思索と生活』 - HONZ
  • 中山美穂 辻仁成と離婚へ 電撃婚から12年…心の溝埋められず (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

    女優の中山美穂(44)と歌手で芥川賞作家の辻仁成(54)夫離婚することが26日、分かった。夫婦間での話し合いは始まっており、離婚は避けられない状況だ。2人は2002年に交際8カ月で電撃結婚し、その後パリへ移住。04年1月には長男(10)が誕生した。幸せな生活が続いているように思われていたが数年前から埋めようのない心の溝が生じていた。 【写真】中山美穂と離婚へ向けた話し合いに入っている辻仁成  スポニチ紙の取材では、2人は現在もパリで結婚生活を続けているが、すでに離婚に向けた話し合いに入っている。2人の知人は「離婚は避けられない状態のようです。ただ、お子さんのことなど、いろいろ決めなければいけないことがあるので、離婚届を出すまでにはもう少し時間がかかるのでは」と明かした。 2人は01年7月に出会い、同年10月頃に雑誌の対談で意気投合。02年6月3日に電撃結婚した。当時、中山は「私は宝

    laislanopira
    laislanopira 2014/03/27
    パリで暮らす意味が不明 日本でしか仕事がないのに…
  • 「世代」の概念はいつ作られたのか? | Kousyoublog

    ジャック・ル・ゴフ「中世とは何か」に「世代」という観念が1968年のパリ五月革命に意味を持たせるために革命に関った人々によって作られたという記述があったので、一応参考として引用しておく。 一応の文脈として、古代・中世・近代など歴史上の時代区分が現在に近くなればなるほど短く・細かくなるという指摘に対してル・ゴフは逆説的だといい、「世代」という概念についてこう言っている。ちなみに、ジャック・ル・ゴフ(1924~)はフランス・アナール学派のリーダーで西洋中世史の権威中の権威のような人。 『今は「世代」という疑わしい概念が好まれる傾向にありますね。戦争世代――と言えば暗黙のうちに第二次世界大戦です――、「ベビーブーム世代」、一九六八年世代……。世代はだいたい二十年から二十五年の幅の時代を表しています。こうしていわゆる「加速する歴史」に対応しているというわけです。 一見するとこの手段にはメリットが

  • 旧東独からの移民が女性管理職になる:日経ビジネスオンライン

    筆者:連載の3人目は、外資系企業で活躍する管理職の女性を紹介します。モニカ・ピッシュ=ロスバーさん(Monika PICH LOSBAR)(43歳)。米GEキャピタルのフランス支社で事業部長をしています。子どもの頃、旧東ドイツからフランスに移民してきました。現在はフランス人の夫と中高生の息子(13歳、16歳)の4人家族。パリ郊外の住宅街に暮らしています。 編集者S:旧東ドイツからフランスに移民! そして事業部長にまで! 私たちには想像できないような苦労をしてきた方のような気がします。そもそもフランスには移民が多いのですか。 筆者:多いですよ。純粋フランス人なんて探すのも一苦労。例えば、前サルコジ大統領の両親も、オランド大統領の祖先も移民の家系だし、現政権は閣僚にも移民の女性を登用しています。先祖を三代遡れば、何らかの形で移民してきた人にあたる、と言われているくらいです。私も実際にフランスに

    旧東独からの移民が女性管理職になる:日経ビジネスオンライン
  • ジャン=クロード・ロマン - Wikipedia

    ジャン=クロード・ロマン(フランス語: Jean-Claude Romand、1954年2月11日-)はフランスの犯罪者。無職であるにもかかわらず、実に18年間もの間自分のことを世界保健機関(WHO)に勤務するエリート医師だと偽り続け、周囲の人々から大金を騙し取った上、その金をほとんど使い果たし、最終的には自分の家族全員を殺害するという凶行に及んだ。 ジャン=クロード・ロマンはジュラ県ロン=ル=ソーニエの裕福な家庭に生まれ、リヨン大学医学部に進学した。当時、同じ医学部にいたフロランスという女性と交際していたが、ある日彼女から別れを告げられてしまう。その時のショックがもとで大学の進級試験に失敗し、落第してしまった。その後、離れて暮らす母親から「進級試験には受かったのか」という電話が入ったが、この時つい「試験にはちゃんと受かった」と嘘をついてしまう。 その後、順調に進級しているふりをして友人

  • 『シャルル・ドゴール  民主主義の中のリーダーシップへの苦闘』 by 出口 治明 - HONZ

    8月15日は、日がポツダム宣言を受諾して第2次世界大戦が終結した日であるが、欧州の戦いでは、「自由フランス」を率いてドイツに徹底抗戦したのがドゴール将軍であった。ドゴールは、レジスタンスに象徴される救国の英雄であったが、臨時政府首相を1946年初頭に辞任した後は、不遇の時代(人の弁では「砂漠の横断」)を過ごした。そして、1968年、67歳の老雄は、アルジェリアの独立を巡って祖国フランスが騒乱の渦に巻き込まれ、まさに進退極まった時に、再登板するのである。そして、ドゴールは、時をおかず、憲法を改正して、第5共和制と呼ばれる安定した政治システムを創り上げた。その後、約10年間、ドゴールは初代大統領として、フランスを見事に統治したのである。 書はドゴールのまとまった評伝である。終生の伴侶イヴォンヌとの出会い、ドゴールの家族に対する深い愛情(とりわけ障がいを持って生まれた次女アンヌへの愛しみ)

    『シャルル・ドゴール  民主主義の中のリーダーシップへの苦闘』 by 出口 治明 - HONZ
  • 『サルコジ』マーケティングで政治を変えた大統領 - HONZ

    書の前半は現フランス大統領、ニコラ・サルコジを主役にした、ロマンスと陰謀が渦巻くドタバタ喜劇だ。1996年、サルコジはW不倫の果てに前離婚した。新しい、セシリアは内務相となったサルコジの仕事に口を挟むどころか、省内に執務室を構え、人事にまで介入し始める。国庫から直接引き落とされるクレジットカードまで作っていたという。 ところが、そのとは不倫を理由にまた離婚。首尾よくサルコジはスーパーモデル、カーラをにするのだ。そのカーラの男性遍歴は奔放そのもので、エリック・クラプトンからミック・ジャガーまで登場する始末だ。 ついに大統領府に入ったカーラは、それまでセシリアの寵愛を受けていた側近を一掃する。歌舞伎やシェークスピア作品を現代風に脚色したのではない。すべて実話であり、進行中なのだ。 書の後半は、この特異な国家元首サルコジの政治手法とその分析にあてられる。野党は一釣りでズタズタにさ

    『サルコジ』マーケティングで政治を変えた大統領 - HONZ
  • 『シャルル・ドゴール』 乱世の英雄 - HONZ

    どれほどの絶望を、乗り越えなければならなかったのか。 第一次大戦中に捕虜として拘禁された収容所から脱走を試みること6回。その全てが失敗に終わった。ナチス占領下のフランスを離れイギリスで行っていたレジスタンス活動のために反逆者と呼ばれ、祖国から死刑判決を言い渡された。起死回生を期した軍事作戦の失敗で英首相チャーチルの信頼を失い、自ら命を絶つことすら考えた。 普通の神経なら、並みの人生なら、1つだけでも立ち直れなくなるほどの失敗を何度も乗り越え、彼は2度祖国を救った。そして、フランスの英雄となった。 シャルル・ドゴール。その名はフランスの国際空港から広場、果ては原子力空母にまで刻まれる。2010年の調査でも、フランス人の70%がこの男を「フランスで最も重要な歴史人物」として挙げたという。国民投票での敗北によりその政治生命に終止符を打ったドゴールが、なぜ今でもこれほど支持されているのか。「ドゴー

    『シャルル・ドゴール』 乱世の英雄 - HONZ
  • 『ヴァチカンの真実』とThe Economist June 27th-July 3rd - HONZ

    映画「天使と悪魔」のヒットを期待したのだろう、バチカンをテーマにしたがこの上半期だけでも何冊か出版された。かろうじて最後までページをめくったのは書だけだ。残りのは時間とお金の使い方としてはあまり有効ではないであろう。 そもそも書も1991年に英語版が出版されたあと、今年になって20ページばかりを追加した増補版である。書は写真集であり、永久不滅ともいえるヴァチカンがテーマであるから、それでもあまり不都合はないのだが、ナショジオをもってすら映画人気にあやかるものらしい。 では、なぜブログで紹介したかというと、たんに表紙がキレイだったからだ。じつはこの週末は上洛していて読書どころではなかったのだ。楽しみに1冊だけ持っていったが駄で、あてが外れた。京都ゴルフ倶楽部というまさに古都の箱庭のようなゴルフコースを堪能したあと、久しぶりに祇園町で友人たちと遊興した。 とはいえ、京都で遊びな

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  • ちきりん女史の結婚ネタが堂に入っている件で - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    決して「ためにする議論」をしたいわけではありませんが、最近の荻上ちきりん(伊賀泰代)女史の結婚制度批判がなかなか面白くて、首肯し賛同する部分あり、否定し反論したい部分あり、幅広くて楽しいです。 結婚はオワコン!? http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130514 そういうちきりん女史自身が結婚できているのかは知りませんが、文中でどういう理屈かフランスやドイツの事例が重ねて記述されてて面白かったのでピックアップ。 もちろん、独仏両国では事情が違うと思うんですよね。フランスの場合、1998年だかに審議され99年に施行されたパクス法にて準婚姻という制度が確立したため、いわゆる緩やかな結婚、事実婚、同居状態に対する地位が明文化されました。これによって、実質的な婚姻を行うカップルの組数よりパクス法による準婚姻状態となる組数が多くなるという現象が発生しました。 一方、ドイ

    ちきりん女史の結婚ネタが堂に入っている件で - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 60年前の恋を追う、93歳の元赤軍兵士

    1942年にドイツの捕虜収容所で撮影されたニコライ・バセニン(Nikolai Vasenin)さん(左)と、2007年に従軍記章を授与された際にロシアで撮影された同氏。(c)AFP/VASSENINE FAMILY ARCHIVE 【4月13日 AFP】「彼女の名前はジャンヌ。髪は焦げ茶色で普通の娘だった。だが、何としても彼女を見つけないとならないんだ」 ニコライ・バセニン(Nikolai Vasenin)さん(93)はソビエト赤軍の元兵士で、第二次世界大戦ではフランスのレジスタンスのために戦い、戦後はソ連の強制労働収容所に囚われた。そして今、60年前に失った恋人を探している。「私は93歳だ。もう待ってはいられない」 バセニンさんの人生は波乱に満ちていた。ナチス(Nazis)・ドイツに捕らえられ、収容所から脱走し、フランスのレジスタンスに合流した後、帰国したソ連で再び収容所に入れられた。レ

    60年前の恋を追う、93歳の元赤軍兵士