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人生と東京に関するlaislanopiraのブックマーク (237)

  • クレジットカードを渡されて放置される……高所得な港区の子どもが抱える問題 « ハーバー・ビジネス・オンライン

    東京都港区は、東京湾の西側に位置する人口総数が25万3639人(2018年1月1日時点)の自治体。知名度が高いTV局や広告代理店などといった一流企業が、汐留などのビジネス街を形成しています。六木や赤坂、さらには高級住宅街として知られる白金も港区に位置します。 総務省の資料とみらめっこしてみると、港区の平均所得は1000万円を超えることが伺えます。 ブランド力により生まれた「港区女子」という言葉を、耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。実はそんな港区でも格差が激しい現状があり、住む子供が「生きづらさ」を抱えていました。 「港区には、格差があります。民間マンションと公営住宅のどちらに住んでいるかが大きな分かれ目ではないでしょうか。仕事をしていて感じることもしばしばです。ですが、子供たちは仲良くわいわいと遊んでいますよ」 そう話すのは、港区内にある保育室で働く女性職員。保育室とは待機

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  • 30年前のガイドブックで自分の思い出の地を巡る

    1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー) 前の記事:名画で学ぶ写真講座! 写真は手前にある物にピントを合わせると上手に見える > 個人サイト Web独り者 彼女がいる風の地主恵亮 思い出の街 街は刻々と変わっていく。自分が住んでいた街に10年後に訪れれば、そこはもう別の街かもしれない。もちろんその街は自分が住む前にも存在しており、変化する中の一つとして自分が住むことになり、引っ越していなくなっていく。 1989年に出版された、 ガイドブックです! 自分が住む前のその街のことを知るべく、1989年に出版されたガイドブックを手にいれた。これを持って歩けば、私が知る前、知っている頃、現在という3つの時間を旅できるのだ。ということで、東京・小平市にある鷹の台駅を訪れた。 鷹の台駅に来

    30年前のガイドブックで自分の思い出の地を巡る
  • 二子玉川は『人生が正しくない人お断り』感がすごい?「少なくとも見た感じ多様性がゼロに近い」「ドラマのセットとエキストラみたい」

    田舎から上京してきて初めてニコタマ行ったときは自分は田舎の畑の土で汚れている…感がすごかったです(駅付近とかやたらキレイだったから…)

    二子玉川は『人生が正しくない人お断り』感がすごい?「少なくとも見た感じ多様性がゼロに近い」「ドラマのセットとエキストラみたい」
  • マック赤坂氏、14回目で最後と決めた港区議選で初当確 - 社会 : 日刊スポーツ

    2017年の東京都議会議員選挙を含め、国政選挙などに13回、立候補したマック赤坂氏(70)が、21日投開票の東京都港区議会選挙で、当選が確実になった。 赤坂氏は「私は残りの人生のすべてをかけて今般の統一地方選、港区議会選挙に最後の挑戦をする決意をいたしましたことをここに表明します」と最後の選挙と覚悟を決めて立候補していた。深夜0時40分の段階で1144票を獲得し、34議席中30位で当選確実の一報が入った。赤坂氏は「まだ、ちょっと信じられない。最終確定までは当かな? という感じですけど当確…平成の最後にビッグニュースがきたね」と、14回目の挑戦で、初の当選確実に驚いていた。

    マック赤坂氏、14回目で最後と決めた港区議選で初当確 - 社会 : 日刊スポーツ
  • 酒乱、暴力、流血が日常。1985年の新宿ゴールデン街で過ごした青春。――小説家・馳星周さん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:藤和成 ノワール小説の名手として知られる馳星周さん。 北海道田舎町で育った読書好きの少年は、18歳で上京。同時に、新宿ゴールデン街という、新宿歌舞伎町のなかでも最もカオスな一画に足を踏み入れ、濃密な青春時代を過ごします。 そこを訪れる、身勝手な酔っ払いたちを嫌悪していたという馳さん。しかし一方で、自らを育て、小説家としての礎を築いてくれたゴールデン街には愛憎半ばする特別な感情を抱いているようです。 新宿ゴールデン街で過ごした、青春時代について伺いました。 一通の手紙から膨らんだ、東京への思い ―― 少年時代からの虫だったそうですね。ただ、当時は自宅近くに大きな屋がなかったとか? 馳星周さん(以下、馳):地元は北海道の日高地方。サラブレッドの生産地で、人より馬が多いと言われるような、ものすごい田舎でした。屋も街に一軒しかなく、それ

    酒乱、暴力、流血が日常。1985年の新宿ゴールデン街で過ごした青春。――小説家・馳星周さん - SUUMOタウン
  • 田舎者と貧乏人を初めて見た話

    誰にも言えない偏見を、そっと書き残す。 東京に生まれた。 新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。 小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。 中高時代は都心まで通学し、遊ぶところは新宿、渋谷だった。 1年間浪人し、そのまま地方の国立大学医学部に進んだ。 まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。 私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。 まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。 「え?むしろ親、医者じゃないの?」 喉元まで出かかって飲み込んだ。 私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外

    田舎者と貧乏人を初めて見た話
  • 渋谷駅で全裸の女性が疾走? 渋谷署が保護し「事件性は無い」という

    ハフポスト日版ニュースエディター。 関心分野は医療、介護、性について、選択的夫婦別姓、動物など。あとアニメとマンガが好き。

    渋谷駅で全裸の女性が疾走? 渋谷署が保護し「事件性は無い」という
  • 髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人・髭男爵の山田ルイ53世さん。 成績優秀で「神童」と呼ばれ、地元・兵庫県で有数の進学校に合格しながらも、中学2年生から引きこもりに。大検を取り大学に通うも中退し、「逃げるように」上京したそうです。 短くない下積みを経て「ルネッサーンス!」のフレーズとワイングラスでの乾杯漫才で大ブレイクしましたが、その後、テレビ仕事は激減し「一発屋」と呼ばれるようになりました。現在は、執筆業で再び注目を浴びている山田さん。そんな激動の東京生活について伺いました。 6年

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  • 蟻鱒鳶ルが再開発の危機?三田のガウディが作る即興建築 | yokoyumyumのリノベブログ

    【PR開示】当ブログはアフィリエイトプログラムに参加しています。記事内にプロモーションを含む場合があります。 蟻鱒鳶ルが再開発の危機?三田のガウディが作る即興建築

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  • 高さ4000m・幻の読売タワーとは? 昭和最強のメディア人・正力松太郎の夢をたどる旅

    1960年代後半。東京タワーの333m、東京スカイツリーの634mをはるかに上回る、4000mのテレビ電波塔を建てるという計画があった。 それをひそかに推し進めていたのが、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも言われた昭和最強のメディア人、正力松太郎だった。 以前日テレビで少し働いていた僕は、その夢の跡を見たくなって旅に出た。 ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラーメン、競馬が好き。(動画インタビュー) 前の記事:品の“体脂肪率”を算出し、表にまとめた ~吉野家の牛丼5.9%、ファミチキ15.1%~ > 個人サイト 文化放想ホームランライター 時の総理をしのぐ力を持っていた 昭和の日を形作った、正力松太郎。読売新聞を世界一の発行部数

    高さ4000m・幻の読売タワーとは? 昭和最強のメディア人・正力松太郎の夢をたどる旅
  • 22時以降に東京を起って行ける場所(追記しました)

    22時以降に23区内を起って、どこかひとりで泊まりにいける場所はないだろうか。 できれば東京の近郊で、海の近くとか、山の近くだと尚いい。温泉とかもいいな。 目的としてはちょっと疲れたので気持ちをボーッとさせること。 夜発のフェリーに乗って大島、とかは考えたのだけどちょっと出発時刻の22時に間に合う自信がない。 そして関東出身でないので土地勘がなくあまり候補地が思いつかず。 どこかないですかね? …………………… 以下どうでもよく恥ずかしすぎる事情なので見たい人だけ見て もうすぐ、メンタル等をだめにしたことを事由に退職します。 最終的には自分で判断したことなので辞めるという出来事に対しては納得しているけど、 やっぱりしたくて就いた仕事だったので、 正直後悔や自分がだめだったことへの気持ち的な苦しさがものすごくあって。 そして突然だが最近の私は酒癖があまりよくなくて、 このままでは送別会(たぶ

    22時以降に東京を起って行ける場所(追記しました)
  • 新宿・歌舞伎町:ホストの街に散る命--事件記者ルポ | 毎日新聞

    東京最大の歓楽街・歌舞伎町。平日夜でも人波は絶えない=東京都新宿区で2018年10月31日、春増翔太撮影(画像の一部を加工しています) 10月2日午後7時過ぎ、東京・歌舞伎町のビルから20代の女性が飛び降りた。 「すごい音がして外を見たら、女性が倒れていました。そばにはスーツを着た男性もあおむけて倒れていて、頭を押さえていました」。直後の様子を目撃した近くの飲店の女性店員(21)が話した。女性は転落した際、真下にいた通行人を巻き込み、男性が重傷を負った。女性は搬送先の病院で死亡が確認された。 屋上に通じる外階段には女性のが残されていたという。自殺とみられるが、事件性がないため警察による発表はなされず、動機は明らかになっていない。

    新宿・歌舞伎町:ホストの街に散る命--事件記者ルポ | 毎日新聞
  • 知らなかった東京裏面史、『ふたつのオリンピック』 - HONZ

    分厚いのに一気に読んでしまった! 迫力の一冊。著者は誰かって? そう、あの『東京アンダーワールド』のロバート・ホワイティングだ。60年代初頭、アメリカの軍の仕事で19歳で来日。いつしか日に住み着くようになって、野球と相撲を語る現在に到るまでの、破天荒な自伝だ。1964年から2020年へ、オリンピック開催を背景にした「東京」が時代とともにあぶり出される。 著者のプロフィールはこうだ(書より)。 1942年、アメリカのニュージャージー州生まれ。大学在学中、合衆国空軍に入隊して来日。除隊後は上智大学で政治学を専攻した。出版社勤務などを経て、日米の文化をテーマとした執筆活動を開始。……(著作として『菊とバット』『和をもって日となす』『東京アンダーワールド』『東京アウトサイダーズ』『サクラと星条旗』『イチロー革命』などが挙げられている。ベストセラーも多い) 来日の頃、60年代初頭は、戦後15年

    知らなかった東京裏面史、『ふたつのオリンピック』 - HONZ
  • 「東京は夜の七時」が生まれた日 小西康陽と野宮真貴が明かす創作秘話

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    「東京は夜の七時」が生まれた日 小西康陽と野宮真貴が明かす創作秘話
  • ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 佐藤 譲 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」にご登場いただくのは、スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫さんです。高畑勲監督・宮崎駿監督と数々の作品を手掛けてきた鈴木さんは、1948年に名古屋市で生まれ、1967年に慶應義塾大学入学とともに上京しました。東京で暮らし始めて、およそ50年。学生時代は5回以上引越した一方で、結婚後は恵比寿の同じ家に40年以上も住み続けています。 インタビュアーの佐藤譲さんは、鈴木さんのもとで働いていたスタジオジブリ出身の編集者・プロデューサー。鈴木家の別階に住んでいたこともある、鈴木さんを公私ともよく知る方です。

    ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン
  • サブカルの闇と「エロ隠し」 - 恋する段差ダンサー

    実家で「お宝雑誌」を発見したきっかけ(後述)から「80年代ロリエロがどのようにアートや萌え絵として隠されてきたか」を回顧しつつ「サブカルの終わり」を考察していきます。 ★大学の「写真芸術」講義と「尖ったアート」 karapaia.com ルイス・キャロルの「写真の講義」大学のとき受けてた。先日のアラキの話もあったけど*1、当時、写真学科や美術学科の先輩たちの感覚はみんな似たようなもので、つまり大御所であった旧来芸術家からスタンダードを学ぶというよりは「当時」ニューウェイブだったアラキや、こういったルイス・キャロルに代表される「ロリ趣味的なもの」のほうに惹かれていたようだ。 音楽だってパンクやテクノの時代、「オーソドックスなものはヌルい!」という考え方で、より過激で前衛的で反社会的なもの。それがアーティストとして「尖っている」ということでもあったし、当時の若者のトレンドでもあったんじゃないか

    サブカルの闇と「エロ隠し」 - 恋する段差ダンサー
  • 夢破れても東京にいればいいのに

    帰る必要なくない? てか帰ったらどうにかなるの?? 地方は東京から帰ったら給料のいい仕事結婚ができるの???

    夢破れても東京にいればいいのに
  • 埼玉県南部住みはいつ実家を離れるのか

    生まれてこのかたずっと埼玉県に住んでいる。今新社会人だが一人暮らしを一回もしたことがない。この間中学の同窓会があり近所の友人にも話を聞いたが東京で働いているやつは大体まだ実家にいた。 彼彼女と同居していたやつやらオタク仲間と同居している女も一部いたが家賃がめんどい、実家がデカイ一軒家で都内まで1時間なのにせっまい部屋に金払う意味がない、金がないなど色々 自分も実家を出るタイミングがわからない。実家暮らしってちょっと恥ずかしいんだが楽 めちゃくちゃ楽 実家が東京埼玉横浜の一軒家の人達 どのタイミングで実家離れしているんだろうか

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  • 「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) @gendai_biz

    名門校出身者たちを目の当たりにして 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。 私は高校時代ま

    「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) @gendai_biz
  • 通称『生首屋』と呼ばれている手芸店、取り扱ってるものは「糸」と「地球外生命体のミイラ」

    まつじ @matsujun5213 都電の荒川遊園地前にある手芸店 『河内屋糸店』 店内には210万光年離れた惑星から時空を超えて転送された地球外生命体のミイラという設定で手作りした、店主の深澤さんの作品が数百店並んでいた。 深澤さんが亡くなり、今月末で閉店。普通の手芸用品もミイラもセール中なのでマニアは急いで訪れよう pic.twitter.com/sbUByt0hjk 2018-03-17 18:37:34 まつじ @matsujun5213 河内屋糸店は異様な店構えの所為で、手芸用品店なのに女性客が全然来なかったらしい。 近所からは『生首屋』と呼ばれている 店を閉めるにあたり「家に地球外生命体のミイラがあっても邪魔だし手芸用品も安くなってるし、みんな買いに来て〜!発信をしようにもSNSが分からないから困ってる」とのこと。 pic.twitter.com/0nEgzgyt60 2018

    通称『生首屋』と呼ばれている手芸店、取り扱ってるものは「糸」と「地球外生命体のミイラ」