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ブックマーク / pmazzarino.blog.fc2.com (25)

  • 陰謀論と詭弁の宴 東京都知事選雑感反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。多くの常識的な都民をうんざりさせた東京百鬼夜行のような都知事選から2週間。世間も落ち着きを取り戻してきたところで、振り返ってみました。 投票前に各戸に配られた選挙公報は、過去最多56人の候補者の主義主張が満載されたぶ厚いものでした。主張の9割はイカれたたわごとなので、すべて目を通すのが苦痛でしかありません。この候補者たちは都知事選を、陰謀論や差別思想を自由に発表できる闇の文化祭かなんかだと思ってるんでしょうか。 知事というのは、いうなれば都道府県の雇われ経営者みたいなものです。県政全体に目を配り、舵取りをする能力・資質が求められるので、自分の好き嫌いだけで物事を決めるような人がなってはいけません。都政とまったく関係ない個人的な主義主張を叫ばれても迷惑なだけ。 通常であれば、公言したらクソミソにけなされるような愚論や陰謀論を、政治的主張という大義名分を

  • 『セクシー田中さん』の原作改変問題の検討と改善案反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。遅ればせながら、日テレと小学館から公表された『セクシー田中さん』ドラマ化の経緯についての報告書を読みました。 全体的な印象をいいますと、日テレのほうが詳細ですし(総文字数だと小学館版は日テレ版の3分の2くらい)、自分たちにとって有利なことも不利なことも併記しようとする姿勢が見られます。日テレ版を読んだあとに小学館版を読むと、小学館のほうは原作者と担当社員に不利なことをなるべく書かないよう配慮してるような印象を受けます。 ネット上では日テレのほうを強く批判する声が多いようですが、批判されることを覚悟の上で自分たちに不利になる証言も載せたのだから、当然の反応でしょう。報告書とは来、事実関係をあきらかにするために作られるものだから、それでいいんです。保身のために、何も批判できないようなあいまいな文言の報告書でお茶を濁すようなマネをしなかっただけでも評価す

  • 松本人志さんの罪についての考察と提案反社会学講座ブログ

    ●まつもtoジャニー こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。 でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。 24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。 でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。 ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。 いい人は犯罪をするわけがない。社会的地位の高い人が犯罪者であるはずがない。無名の人間が犯罪を告発するのは売名

  • 続・エスカレーター片側空けの件反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。前回のブログ(エスカレーター片側空けの歴史を踏まえた提案)では、エスカレーターの片側空けをやめるべきであるとする意見を書きました。その後わかった追加情報などを補足しておきます。 片側空けの習慣がなかなかやめられないいちばんの理由は、それが合理的で効率がいいと思ってる人が多いからです。でも、片側空けが定着するまでの歴史とさまざまな人たちによる実証研究、メーカーの主張などを総合して検討すると、じつは片側空けは利用者全体の効率を下げている可能性が高いのです。みんなで両側に立って乗ったほうが、結果的に全員が早く移動できて社会全体の効率がよくなるし、事故も減って安全になります。 それと前回指摘したのは、急ぐ人のために片側を空けろというけど、真剣に急いでる人が実際どれだけいるんですか、って疑問。気で急ぐのなら、階段を駆けるはずで、エスカレーターを歩いてる人は、

  • 無宗教な私から見た政治と宗教の問題反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。私は無宗教・無信心な人間です。などといいますと、自分もだとおっしゃるかたがいるのですが、たぶん違うと思います。私がこれまで見てきたかぎりでは、無宗教だと自称する日人の大半は、宗教に無知で鈍感なだけなことが多かったので。 これから私は一連の旧統一教会や政治と宗教をめぐる問題について、ひとりの無宗教者・無信心者としての見かたをお話しします。 私はべつに共感を求めているのではありません。たとえ共感できないことでも、よのなかには自分とは異なる価値観や考えかたが存在するのだと認識していただければけっこうです。 信仰の多様性といってもいいかもしれません。あなたが信仰(信教)の自由と多様性を尊重する人間ならば、たとえ私のものの見かたや考えかたに納得できないとしても、尊重しようとするはずです。 もし、あなたが私に対して強い敵意や嫌悪感を抱き、私のような考えの者を排

  • 参議院は選挙でなく抽選にしちゃえばいいんじゃない?反社会学講座ブログ

    ナポリ3区の有権者のみなさま、ごきげんいかがでしょうか。新党アルデンテ代表のパオロ・マッツァリーノが地元に帰って参りました。10年前から新党です。今後もずっと新党です。 きっといまごろ日では、参議院選挙で大盛り上がりだと思いますが……え、全然盛り上がってないの? ほら、だからずっと前から私はご提案してるのですよ。『日列島プチ改造論』に書いたように、どうせみんな選挙に関心がないのなら、参議院はいっそのこと裁判員制度と同様に国民から抽選で議員を選んでしまえというアイデアです。 県ごとの人口に応じて定数を決めて、県民から抽選で選べばいいので簡単です。 裁判員制度だって導入前には、日では絶対うまくいくはずがないと悲観的な予言が多かったことをおぼえてますか? けど、やってみたら、なんだかんだ続いてるじゃないですか。参議院もやればできますよ。 以前著書でご提案した際には、報酬は日国民の平均年収

  • 陰謀がバレたひとたちのドキュメンタリー反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。呉座勇一さんは『陰謀の日中世史』で、陰謀はほとんど成立しないといってます。陰謀に関わる人間の数が増えるにしたがって情報が流出する可能性も高まるので、陰謀は企んだとしてもたいていバレて失敗するものだと。 その実例が、なんとつい最近起きました。愛知県知事のリコール運動で署名が大量に偽造されたことがバレて、事務局長や関係者が逮捕されたのです。 みなさんすでにご存じとは思いますが、なんでみんなもっと喜ばないのですか? 興奮しないのですか? われわれは、違法な手段で政治を変えようと画策した陰謀がバレて失敗した実例をこの目で見られる幸運に恵まれたのですよ。貴重な歴史の瞬間に立ち会えたことを、もっと喜びましょうよ。 地上波のテレビドキュメンタリーは早朝・深夜に追いやられてしまったので、私は番組表でタイトルだけチェックして興味があるものは録画しておきます。 先日、

  • それは説教ではない。きみは論破されたのだ反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。かれこれ20年近く前から在宅ワークです。いまは書き下ろし単行の原稿がようやく終盤に差し掛かったところです。書き上がってから全体を見直して手を入れるので、発売はまだしばらく先になると思います。 年末から録りためたテレビ番組をほぼ消化できました。『逃げ恥』の新春スペシャルドラマは、連ドラのときと変わらず、社会問題をぶっこんでくる姿勢が頼もしい。家庭と仕事の両立をはばむ日社会のゆがみという従来からの問題に加えて、今回はコロナ禍ですよ。多くのドラマがコロナ禍という状況を無視してるなか、正面切って取り組んでたのは勇気があります。 勇気ある行動には、必ずケチをつけるひとが現れるもの。ツイッターを検索してみると、圧倒的に支持する意見が多いなか、批判的な意見もちらほらあるといった感じでした。 おもしろい反応だなあと思ったのは、少数の批判派に「説教臭くてムリ」「フ

  • 池袋暴走事件と法の正義反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。池袋暴走事件の裁判がはじまり、被告が無罪を主張したことで、感情的に批判してるひとが多いようです。聞くところによると、テレビのワイドショーではコメンテーターがこぞってタコ殴り状態だそうです。 でも、ちょっと待ってほしい。みなさんの正義も暴走してます。 ホンネをいえば、私もあの被告に情状酌量の余地はないと思ってます。実刑判決でも全然かまわない。高齢だから事実上の終身刑になったとしても、同情はしません。 ただ、被告が裁判で無罪を主張することは、それとはまったく別問題です。法の正義、法手続き上の正義というものがあるのです。 日人は、裁判で無罪を主張すると「ふてぇ野郎だ!」「反省の色がない!」と感情的に批判しがちですが、被告が無罪を主張するところからはじめるのは、裁判の形式として妥当なやりかたです。まず、無罪であるという被告の主張から出発し、検察側が被告の主

  • レジ袋有料化の本当の理由反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。私はこれまで一貫して、「それは根拠のある事実なのか」を追求してきました。その姿勢は『反社会学講座』以来ずっと変わってません。社会現象や文化と呼ばれるものが事実であるかどうかは、統計と歴史でしか確認できません。だから私はしつこく統計や歴史にこだわるのです。 信じる信じない、などという愚か者のたわごとは、どうでもいい。重要なのは事実かどうか、それだけです。フェイクを信じてもそれが事実に変わることはないし、事実を信じなければ事実でなくなるわけでもない。 フェイクを信じるのは個人の勝手ですが、フェイクで他人を批判・攻撃する行為は許されません。 『反社会学講座』で最初に取りあげたのは少年犯罪のウソでした。「少年犯罪は増えている」というフェイクで少年法の罰則強化や道徳教育の強制に世論を誘導しようとする連中を許せなかったんです。 私が最近レジ袋のことを話題にしてる

  • トロッコ問題のバカらしさを、頭の悪いひとにもわかるように解説します反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。『教職研修』1月号掲載の連載記事で、トロッコ問題の問題点を指摘しました。ことの経緯は、ある小中学校で、授業を担当したスクールカウンセラーがいわゆるトロッコ問題を取りあげたところ、親から苦情が来て、学校側が謝罪したというもの。 ネットを見ますと、トロッコ問題そのもののバカバカしさに気づかない論理思考力欠乏症のひとたちが、苦情をいった親をモンペと決めつけたり、謝罪した学校の態度を批判したりと、お粗末な感情論ばかり。そんなひとたちのために、トロッコ問題のどこがヘンなのか、解説します。 まずは、トロッコ問題をご存じないかたのために説明を。手書きのきたない絵ですいません。ブレーキが壊れたトロッコが暴走し、こちらに向かってきます。線路の先には5人の作業員がいて、このままだと轢かれて死にます。あなたが手動でポイントを切り替えればトロッコの進路を変えられますが、そち

  • 私と『新潮45』反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。アメリカトランプは、他人の悪口をいうのを日課にしてるくせに、自分が批判されて議論に負けそうになると「魔女狩りだぁ~」と被害者ぶるのを得意技としています。 日では、議論に負けそうな連中が「言論弾圧だぁ~」と泣きごとをいうのが常套手段になってるようです。「沖縄の新聞潰せ」「朝日新聞死ね」などと汚い罵り言葉を吐き出しているのと同じ口から、「新潮45休刊は言論弾圧だ」なんてアカデミックな言葉が突然出てくるんだから驚いちゃいます。ケツの穴からクラシック音楽が聞こえてきたようなもんです。 いちおう私も以前『新潮45』に連載してましたから、広い意味では関係者のひとりといえます。まったくの部外者よりは有意義な指摘ができるはずなので、この機会に思うところを書かせてもらいます。 『新潮45』休刊の理由は長年にわたる部数低迷という会社側の説明は、ホンネだと思いますよ。

  • BIのすすめ反社会学講座ブログ

    ナポリ3区の有権者のみなさま、こんにちは。新党アルデンテ代表パオロ・マッツァリーノでございます。 選挙前恒例、勝手にマニフェスト発表、のつもりで、今回はいつもの思いつきアイデアでなく、以前から調べていたベーシックインカム(長いので以下BIと略します)を提案しようと思ってたら、なんと希望の党が公約のひとつに掲げてるではありませんか。 ただ、党のサイトを見たかぎりでは、具体的なことは一切書かれてないんですよね。ホントにわかってるのかな? なんかこの党、公約のすべてが適当なんです。その証拠に、希望の党は福祉の財源をあきらかにしてません。かたや自民党はどうかというと、財源としての消費税率アップは明言してるものの、あいもかわらず場当たり的な福祉政策ばかり。旧来の福祉が限界を迎えている国難は無視ですか。 となると、合理的な選択肢はこうなります。消費税を10パーセントに上げて、その代わり月額5万円のBI

  • ジャズファン目線からの日野事件反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。しつこいようですが、日野さんの暴行事件について、ここ数日ずっと考えてました。情緒ウィルスに冒された人々が歪んだ論理をばらまくことを、私は許せないので。事件そのものも不愉快ですが、世間の反応がもっと気持ち悪い。なんとかこの得体のしれない気持ち悪さの正体を暴きたい。私は思考をあきらめません。 今回は、ジャズファンとしての目線から、事件質と世間の反応の気持ち悪さについて考えました。 題の前に、松人志さんがテレビで、体罰はむかしは当たり前だったのに、いまはなぜありえないのかわからないといったことにお答えします。松さんは誤解してますが、むかしもいまも体罰は違法です。むかしは順法意識が薄い人が多かったので、平気でルールを破っていたというだけのこと。 明治以降、日の法律で体罰が認められたことは一度もありません。法治国家では原則的にすべての暴力は違法とさ

  • 何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 寝屋川の中学生殺人事件の容疑者逮捕を受けて、月曜以降、デタラメなコメントがテレビからあふれ出すと思うので、先制攻撃をしておきます。 さっそく、金曜夜の報道ステーションでやらかしてました。コメンテーターの藻谷さんは、かなりまともな人です。殺人事件の件数はずっと減少していて、いまはもっとも少ない時代だという事実をきちんと指摘してたところまでは、よし。 ただ、そのあと続けて、地域の絆が薄れているのではないか、犯罪を防ぐために、われわれはもっと地域の絆を大切にすべきだ、みたいなことをいうんです。 決定的に矛盾したことをいってるのに、ご自分で気づいてないのですね。むかしに比べて地域の絆が弱くなった。と同時に、犯罪はむかしより減っている。だとしたら、絆が弱まるほど犯罪は減るという結論になってしまいます。 報道関係者のみなさん、立ち読みでもけっこうです。私の『「

  • 日本の戸籍にもミドルネームを反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 日の戸籍にも、ミドルネームを正式に導入することを検討してみてはいかがでしょう、というのが日の提案です。 そんなことして、なんの意味があるのか? おおいにあるんです。いわゆるキラキラネーム問題を解決できるかもしれません。 こどもに読みにくい名前をつける習慣は、日では鎌倉時代からあったわけで伝統といえなくもないのですが、近年、英語のような名前に漢字をムリヤリ当てるものなどが増えてきました。親はいいけど、学校の先生が読めなくて困るし、なによりこども人がイヤな思いをすることもあるんじゃないか、などと世間の風当たりはかなり強い。 こないだネットの芸能ニュースで読みました。お笑い芸人のゴージャスさんが、生まれた娘にエスメラルダという名前をつけたいけれどムリだろうなと悩んでるそうです。ほとんどの人にとってどうでもいいニュースですが、じつは、同じ悩みを持つ

  • 少年犯罪の実名報道は偽善である:反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 『週刊新潮』の未成年犯罪者実名報道を批判する意見を『新潮45』に寄稿したところ、掲載拒否をされました。 これまで反社会学講座などでやってきた私の流儀を踏襲し、事実に基づき感情論に流されず現実的な提言までしたつもりですが、自社批判が混じると、この程度の毒でもダメなんですねえ。 せっかく書いたのにもったいないので、長文になりますが以下に全文を公開します。「人権」一辺倒の不毛な実名報道議論に一石を投じられれば嬉しいです。 少年犯罪の実名報道は偽善である テレビのニュースを見ていると、コンビニ強盗の報道がしょっちゅうある気がしませんか。実際、犯罪統計を調べてみたら毎年五〇〇件くらい起きてるので、私の気のせいではなかったようです。 不思議ですよね。いまやコンビニの防犯カメラ設置率は一〇〇パーセントです。そんなことは強盗犯も知ってるはずです。 なのに、なんでコ

  • しつけが悪いのを「やんちゃ」とごまかすな反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 ちかごろ、しつけの悪いこどもや犬を、「やんちゃ」という言葉で美化・正当化する人たちがいるのが気になります。 「ウチの子、やんちゃなんですぅ」と嬉しそうにいう親や飼い主。それがいいことだと思ってるの? 不穏な空気を感じます。「元気」ではなく「やんちゃ」とわざわざいうのはそこに、騒いだり暴れたりして他人に迷惑をかけているというニュアンスが含まれてるからです。 こどもが被害者になることにはやたら神経質になっているクセに、こどもや犬が騒いで周囲に迷惑をかけたり暴れたりして加害者になることには無頓着な親たち。自分のしつけがなってないのを、「やんちゃ」というかわいらしい響きの言葉でごまかしてるだけ。ぶしつけなガキや犬など、ちっともかわいくない。 私はこどもや若者の権利や自由を擁護しますけど、しつけにはかなりキビシいほうです。体罰は絶対に否定しますがしつけは絶対

  • 不愉快な日々 - 反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 ここんところ、なんとも不愉快な日々が続きました。結果的に人質事件は残念な結果に終わってしまったようですが、それに匹敵するくらい後味が悪いのは、バッシングのほうでした。人質ふたりに対するバッシングのひどさは想像以上で、日人はどんだけ日人が嫌いなのかと、海外の人たちも呆れる始末。 毎度おなじみの自己責任論は出るだろうなと思ってましたけど、もっとヒドかった。日に迷惑かけたんだから自害しろだの、あれは韓国人だというデマを流しておとしめようとしたり、正気とは思えぬ発言の数々。でまた、そういう意見をいってるのが無名・匿名の一般人だけじゃないんですよね。そこそこ名のある人やテレビに出てるような人までがツイッターで堂々と発言してるってのがね。しかも10代20代の若者じゃない、いい歳こいたおっさん、オバサンなんですよ。やっぱり問題はゆとり教育じゃなかったんだな

  • 過去を舞台とした現代劇反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 完成が遅れている単行の原稿執筆にいそしんでおります。そのため、あまりブログやツイッターの更新ができません。 朝はテレビをつけたまま、なんやかやとやりながら、朝ドラの『マッサン』を耳で聞いているだけのことが多いのですが、ときどきセリフが耳にひっかかるんです。 「うちのワインは安全・安心!」 「ウイスキーで日を元気にしたい!」 どちらのセリフも、大正時代の人はおそらく、いわなかったはずです。 「安全・安心」「日を元気にしたい」といったフレーズが頻繁に使われるようになったのは、かなり最近のことです。「安全・安心」は90年代後半ごろから、「日を元気に」はもっとあとです。つまり、新語・流行語といってもいいくらい。 でも、みなさんすっかり慣れてしまい、むかしからあるフレーズだと思ってるから、大正時代を舞台としたドラマで現代語が使われても違和感を感じない