本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の書状に書かれた「波把波羅」の文字に研究者の注目が集まっている。横に「ぱわはら」と読みが振られているだけでなく、社会問題となっているパワーハラスメント(パワハラ)と同じ意味合いで用いられていることから、光秀がこの言葉を知った経緯について今後論議を呼びそうだ。 書状は天正10年(1582年)5月に明智光秀が大和国の筒井順慶に宛てたもので、滋賀県安土市の古民家で昨年見つかった。これまで見つかった光秀の書状の中で最も長く、主君・信長に対する不満をおよそ8万字(原稿用紙200枚分に相当)にわたって書き綴っている。 「波把波羅」の文字が確認できたのは本文中51カ所。冒頭では「波把波羅(ぱわはら)とはすなはち威権に因(よ)りてただ有無を言はせぬ鬼畜の所業なり」と振り仮名を添えて説明しており、信長から受けた仕打ちについて語る際には必ず用いられている。また、「波羅」は修