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noteと会社に関するlatteruのブックマーク (7)

  • 東映株式会社を退職します/セクハラについて|総合サポートユニオン

    はじめにセクハラ・パワハラ・過重労働で労使交渉をしていた東映株式会社を、10月2日に退職しました。 会社で長時間労働・セクハラ・パワハラに遭い精神疾患を患った上、その被害に対する会社への対応が不十分で、不信感が募っている中、たまたま、以前より興味を持っていた企業よりオファーを頂いたため、転職することを決めました。 今後も会社との交渉は続けていきますので、現状をお伝えさせていただきます。 現場環境の改善は不十分東映は労働環境改善に真摯に向き合ってほしいです。 現状、「ユニオンに加入している人がひとりだから要求は個別の事案に限られる」と言われ、建設的な話し合いをしてくれない状況です。テレビ企画制作部部長は団体交渉で、件に対し「労働時間路管理していくことが難しいのであれば(プロデューサーとしての)適性の問題」「仕事の向き不向きがありますよね」など発言し、会社が原因で起きている問題を、ひとりの能

    東映株式会社を退職します/セクハラについて|総合サポートユニオン
  • 建材業界で新規事業を立ち上げて、8ヶ月で「業界シェア80%」をとれた理由|鶴岡 友也/BLUEPRINT, inc. 最高事業責任者

    ぼくは「スタートアップを量産する会社」を運営しています。 事業をバンバン立ち上げて、PDCAを回しまくって、うまくいったものだけを法人化する。「スタートアップファクトリー」とよばれる、日ではまだ珍しいビジネスモデルです。 かつてヘンリーフォードが「T型フォード」によって自動車を大量生産したように、事業立ち上げのプロセスを「型」にして、起業に再現性をもたせる。 まるで工場のように、革新的な「会社」が次々に生まれていくーー。 それがぼくらの目指す世界です。 「そんなにうまいこといくわけない、ただの絵空事だろ」と思われるかもしれません。 でも実際、うまくいきはじめているんです。 SaaSモデルとして、初めての成功事例が、この「建材サーチ」というサービス。建材業界に特化したVertical SaaSです。 https://lp.kenzai-search.jp/実はこの事業、構想から半年で法人化

    建材業界で新規事業を立ち上げて、8ヶ月で「業界シェア80%」をとれた理由|鶴岡 友也/BLUEPRINT, inc. 最高事業責任者
  • ベンチャーの最初の面接で人事との1対1はやめてほしいというポエム|hishinuma_t

    どうも.7月から転職した沼の人です. 唐突ですが,今回の転職でいくつかの企業を受けてきて,表題の事象が発生したそこそこ多数の会社に対して気で受ける気が失せたのを急に思い出したので書いておこうと思います. なお,これは特定企業への批判を述べたいわけでなく,エンジニア(n=1)の心理的に,これは当にお金をかけたマイナスでしかないと感じたので,改善されればいいなと思って書いています. また,この記事は主に小規模なベンチャー企業に向けて書いていることで,様々な部署異動や社風管理などをする中~大企業において人事の人が面接を最初に行うのは仕方がないと思っています. ということで題今回の転職で,ベンチャーではカジュアル~1次面接でPMレベルのエンジニアが出てくるか,人事の人が出てくるかに二分されることが多いような印象を受けました. 人事の方が出てくるいくつかの会社では,転職サイト経由で人事の方から

    ベンチャーの最初の面接で人事との1対1はやめてほしいというポエム|hishinuma_t
  • 週休3日制を3年運用してわかったこと|DeployGate

    こんにちは、デプロイゲート採用広報チームです! 今回はお試しのトライアル期間を含めて、約3年間に渡って運用している週休3日制について、導入の経緯や目的を振り返ってみたいと思います。また会社側から見たときのメリットやデメリットなどもご紹介したいと思います。 みんなの働く時間を有意義にしたい「楽しく働く、楽しく生きる」をコアバリューにしている弊社では、仕事はただのお金を稼ぐための手段だと割り切って「早く終わらないかな〜」などと思いつつ過ごすのはとてももったいない事だと考えています。できれば一度きりの人生仕事からもプライベートからも大いに刺激を受けて、学びを得て、それらを双方に還元しながら人生を豊かにしていけるとすごく楽しそうですよね。 ですので、せっかく人生の貴重な時間を弊社に使おうと思ってもらえたチームメンバーには、「毎日めっちゃ有意義な時間を過ごしてます!」と声を大にして言ってもらえるよ

    週休3日制を3年運用してわかったこと|DeployGate
  • 36歳で印刷会社の社長になった僕が、減り続ける売上をなんとか立て直した話|工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役

    僕が35歳のとき、父親がガンになりました。 父は印刷会社を創業し、以来ずっと社長をしていました。しかし、ガンのこともあったのでしょう。急に僕を呼び出して「おまえ、来年から社長な」と告げたのです。 ちなみに治療はうまくいき今はピンピンしていますが、病気のことがなかったら、このタイミングで社長になることはなかったかもしれません。 僕は36歳で、印刷会社の二代目社長になりました。 このnoteは、印刷会社の息子として生まれ、36歳で継承し、業界が下降トレンドのなか、なんとか生き延びる道を探り出した話です。 同じような後継ぎの経営者や、いわゆる斜陽産業で踏ん張っているみなさんに届けばいいなと願いながら書いてみます。 * 経営方針がなくてもうまくいっていた 父は何ひとつ言語化しない経営者でした。 経営方針も、経営理念も、一切言語化しない。年度が変わっても「今期の戦略はこうです」などと示されたりはしま

    36歳で印刷会社の社長になった僕が、減り続ける売上をなんとか立て直した話|工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役
  • 竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura

    2000年、バブルがはじけ切って就職氷河期が始まった頃。 ぼくは大学生をやっていた。 就職協定というものがあって、学生は就職活動するのは4年生、関西では4回生と呼んだけど、になってからね、と言われていたのが突然、ぼくが3回生になった途端、はい今から就職活動です!と叫ばれて、何かその真似ごとみたいなのはしたけれど、そもそも求人は少ないし、その少ない求人の中でたいしてやる気のない学生を採用するような会社はもちろんないし、結果ぼくはスムーズにニートになることに。 しかし、大学卒業直後のニートとは大学時代のゴロゴロした生活から大学を抜いたものでしかなくて、ぼくの大学生活とは漫画麻雀とバンドとバイトと単位でできていたから、バンドもバイトも辞めたぼくは、仕事もないんだからバイトは続けろよとはすごく思うのだけれど上手いことできているのかどうか卒業を控えて家族経営だったバイト先が家族ごと夜逃げして潰

    竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura
  • 去年の12月に社員の皆さんへ「なんで会社に来ないといけないんだろう」って話した時のこと|田中邦裕

    さくらインターネットでは、幹部の人(リーダー以上)を対象に、モーニングミートアップという、月に一回、社長のありがたい話()をしています。 でも、そもそもなんで社員が朝早くから社長の話を聞かないといけないんだ?とも思い、昨年の12月17日に「なんで通勤ラッシュにもまれて、朝の9時(当社の定時は9時半〜18時半なので、参加する人は9時〜18時に前倒し)にわざわざ集まって、社長の話を聞かなきゃいけないんだ?」って話を、前置としてしました。 当時は、社長は何言ってんだろうと思った人も多かったみたいですが、それから半年たって、その時の疑問が解決し始めて、なかなか示唆的だったので、前置き部分だけ公開してみます。 多分、9 時になっても(参加者が)集まらないと思うので、最初少し余談といいますか、お話をさせていただきます。 「遅刻」ってありますけれども、遅刻の概念が日で広まったのって、明治以降らしいんで

    去年の12月に社員の皆さんへ「なんで会社に来ないといけないんだろう」って話した時のこと|田中邦裕
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