タグ

ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (10)

  • H-Yamaguchi.net: 人道・人権大使の 「シャラップ!」より問題なのは

    最近はネットのおかげか暴言ネタに事欠かない(ちっともありがたくないが)。暴言に対して当に怒ったり悲しんだりしている人もたくさんいるのだろうが、どうも見ていると、ネタとして消費されている場合の方が多いような風情が感じられなくもない。「他人の不幸は蜜の味」などというが、他人の暴言も、何の味かはともかく、人々がおいしく召し上がるもののようだ。特に有名人やら政治家やら官僚やらの暴言は、ひときわ美味らしい。昨今の「大漁」ぶりにマスメディアの方々も笑いが止まらないのではないかと想像する。 都知事の件、大阪市長の件がネタとして消費され尽くした後の暴言界で今、話題の中心となっているのはおそらく、復興担当だった官僚のツイッター発言炎上事件だろう(この件)。しかし、それにやや隠れたかたちになってはいるものの、私としてはむしろ、こちらに注目したい。 「日の人権大使が国連で暴言 「シャラップ」」(共同通信20

    H-Yamaguchi.net: 人道・人権大使の 「シャラップ!」より問題なのは
  • なぜTOEFL義務付けなどという発想が出てくるのか - H-Yamaguchi.net

    自民党教育再生実行部が大学入試にTOEFL義務付けを提言したと報じられたのは、しばらく前のことだった。これが夏の参院選の公約になるらしい。 「「大学入試にTOEFL義務付けを」 首相に自民提言」(朝日新聞2013年4月8日) 提言自体は公開されておらず、報道だけでは内容がよくわからないので、放置していた。しかし最近、提言をとりまとめた政治家のインタビューが別の記事になっていて、これがあまりに笑止な内容だったので、さすがにひとこと書きたくなった。 「(争論)大学入試にTOEFL 遠藤利明さん・江利川春雄さん」(朝日新聞2013年5月1日) 私も副大臣や政務次官として国際会議に出ました。公式な会合は通訳がつきますが、大事なのはその前のあいさつから始まって、夜のパーティーとか、みんなでわいわいやっている場での会話です。それが次の会合に生きてくる。でも悔しいことに英語で話せない。中高で6年もや

    なぜTOEFL義務付けなどという発想が出てくるのか - H-Yamaguchi.net
  • 「デスブログ」といういじめ - H-Yamaguchi.net

    あるタレントのブログを「デスブログ」と呼ぶ人たちがいる。「このデスブログに書かれた人物や企業などはかなりの確率で不幸に見舞われるため、「デスノートのブログ版」としてこの名が定着している」(ニコニコ大百科による説明)のだそうだ。今問題になっているボーイング787旅客機についてもこのブログで言及があったという情報が出ていたが、それだけでなく、少なくとも過去数年にわたって、数多くの例で、何かよくないことが起きるとこの「デスブログ」が検索され、「ほうらやっぱり書いてあったやっぱりデスブログだ」と囃し立てる事例が、少なくともネット上では相次いでいる。 この件、前々から気になっていた。これは「いじめ」ではないのだろうか。 誰のブログであれ、特定のブログが「デスブログ」であるという科学的根拠はない。そのブログに何か書かれたことによってその対象に悪いことが起きる、という事実はない。一般の人々がすべて科学的

    「デスブログ」といういじめ - H-Yamaguchi.net
  • H-Yamaguchi.net: 「ぞっとした」にぞっとした話

    最初に目にしたときから、何か違和感があった。 福島第一原発の事故に関する民間事故調(正式には「東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会」というらしい)の報告書が公表されたとするニュースについての話だ。たとえばこれ。 「菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調」(読売新聞2012年2月28日) 東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。 報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。 バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡

    H-Yamaguchi.net: 「ぞっとした」にぞっとした話
  • コピペの「作法」 - H-Yamaguchi.net

    レポートの採点などをしていると、いわゆる「コピペ」に気づくことがある。いうまでもないが、一般的に大学教育の場でのレポートにおけるコピペは一種の不正行為とされている、いわばご法度の行為だ。よって来なら減点なり失格なりといった対応をするわけだが、対応をするからにはきちんと証拠を押さえていないといけないから、そこまでの確証がない場合は、多少疑わしくても見逃す場合がけっこうある。世の中にはレポートや論文のコピペ、剽窃チェックのためのツールはすでに存在している(これとかこれとか)から、それらを使うという手もあるが、教育という場にこういったものを入れるべきなのかどうか、議論があるところだろう。 しかしここで論じたいのは、コピペの是非そのものではない。あくまで個人としての意見だが、コピペするにも「作法」みたいなものがあるんじゃないだろうか、という点についてだ。 職業柄あまりこういうことを書くのはどうか

    コピペの「作法」 - H-Yamaguchi.net
  • こういう新人研修はやめてほしい - H-Yamaguchi.net

    なんでも、新人研修で「100人と名刺交換してこい」といわれたのだとか。まだ3月だから入社前のはずだが、まあ今から、というのはわからなくもない。ないのだが、だからといって、「100人と名刺交換」はなかろうと思う。新人研修するのは勝手だが、なぜ社外の人を巻き込むのだ。 しかもだ。名刺にあった会社名を知らなかったので尋ねたら、アニメとはまったく関係のない不動産会社だった。マンション販売とかを手がける会社である由。いや確かにこの日はビジネスデーだったから、名刺持ってる人はたくさんいただろうよ。名刺交換してくれる人もたくさんいただろうよ。だけどさ、相手の身になってみろ。別に不動産会社の新人さんの名刺なんか欲しくないって。 そう思いながらしかたなく名刺交換だけ応じてあげて、新人さんが何やら一生懸命話すのを聞きながら、やっと気づいた。これは名刺集めじゃないか、と。飛び込み営業とか、いきなり電話営業とかを

    こういう新人研修はやめてほしい - H-Yamaguchi.net
  • 大人にいいたいこと:だったら成せきも平等にしてください - H-Yamaguchi.net

    だったら成せきも平等にしてください 4年1組 山口 浩 きのう、お父さんが、「これ、どう思う?」と聞きながら、ある新聞の記事を見せてくれました。「小学校に「学級委員長」不在の鳥取県、20年ぶり復活へ」と書いてあります。「鳥取県の小学校には、学級委員長がいないんだってさ」と、お父さんは言いました。ぼくはびっくりしました。 ぼくが、「どうして鳥取県の学校には学級委員長がいないの?」と聞くと、お父さんは、「まあ記事を読んでごらん」と言いました。記事には、こんなふうに書いてあります。 小学校でずっと学級委員長を置いてこなかった鳥取県。「リーダーを選ぶのではなく平等を重視すべきだ」との考えが教員にあり、徒競走でも順位を決めないほどだったが、この春、鳥取市の1校で約20年ぶりに学級委員長が生まれることになった。 「じゃあクラスで話し合いをしたりするときはどうするんだろう」とぼくが言ったら、お父さんが、

    大人にいいたいこと:だったら成せきも平等にしてください - H-Yamaguchi.net
  • はてブのコメントを採点するという一人遊び - H-Yamaguchi.net

    ネットサービスの1つでソーシャルブックマークというのがある。自分ではほとんど利用しないが、「はてなブックマーク」、通称「はてブ」は、自分の記事に対する反響を見るためにけっこうよくチェックしている。ブックマークをつけるときにひとことコメントみたいなのができるようになっていて、各ユーザーの画面からはブックマークをつけた記事についてのコメントになっているわけだが、記事のほうのページをみると、その記事をブックマークしたユーザーのIDとともにそのコメントが並んでいるから、ちょうどコメント欄のようになる。 ずらっと並んだコメントを見ていて、既視感を覚えることがよくあって、何だろう何だろうとずっと思っていたのだが、最近思い当たった。 小テストだ。 職場で「Moodle」を使っている。オープンソースのLMSで、機能は充分とはいいがたいが、それなりには使える。で、そのMoodleには、オンラインで小テストや

    はてブのコメントを採点するという一人遊び - H-Yamaguchi.net
  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
  • もしストリートビュー撮影車のスケジュールがあらかじめわかっていたら - H-Yamaguchi.net

    グーグルマップの新しい機能「ストリートビュー」に対して、主に肖像権やらプライバシー保護やらの観点からあちこちで議論が起きている。グーグル側は公道から撮影すると言ってるが私道にも入り込んでるし(私の家の前も私道だがしっかり撮影されてる。そもそもある道路が私道であるかどうかのチェックなんて気でするとは思えない)、顔をぼかしたって服装やら場所やらで個人が特定できる場合は少なからずある。来、公共の場所を撮影して公開する分には法的に問題ないし実際にも問題にならない場合が多かろうが、それを「点」ではなく「線」や「面」で全国的に行うと「量」ではなく「質」の問題となるから話は別という主張もあって、それなりに説得力がある。とはいえ、それ自体違法というわけでもなさそうだし(違法だという主張もあるようだが素人目にはあまり説得力を感じられない)、これによって恩恵を受ける場合もあるし、将来的に新たな可能性もあろ

    もしストリートビュー撮影車のスケジュールがあらかじめわかっていたら - H-Yamaguchi.net
  • 1