2009年3月10日のブックマーク (3件)

  • テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか: DESIGN IT! w/LOVE

    いまの時代って、もしかたら単純に情報過多というよりもテキスト情報過多といったほうがいいのではないのかなんて思います。 言い方を変えると文字情報過多。さらに言い方を変えると、一人の人間が摂取する情報全体の割合のなかで占める文字情報の比率がもしかしたら高くなっているんではないかと思います。 「方法依存症」というエントリーでは、方法論の情報収集ばかりを行う割には、自分でその方法を試してみてそこからのフィードバック情報を自分で活かすことが少ない人を方法依存症という風に仮に呼んでみました。 ただ、それは方法論の話に限らず、もっと一般的な話としてみた場合でも、テキスト化された情報の収集には熱心な割に、自分で何かを実際に体験してみて得られる生の情報を役立てるということが相対的に少なくなっているのではないかと思うんです。 純化された情報自分で体験してみて直接情報を得るよりも、誰かがテキスト化した情報を間接

    leva
    leva 2009/03/10
    その意味から(極論ではあるけど)他者の経験の表出は所詮ゴミでしかないと思っています(たまにすごく同じプロセスをたどった方がいて、参考になることはあるけど)
  • 方法依存症: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 方法論の収集ばかりに明け暮れている人を、仮に方法依存症と名づけてみたい。 方法依存症に値するもうひとつの条件は、方法論を収集している割にその方法を使ってうまくいったことがすくないということである。 これはもったいない。意欲があるのに空回りしてしまっているのだから。 そこで、このことについてちょっと考えてみた。 まず、そのことを考えていくにあたって、方法を区別してみる。 形式知化された方法と暗黙知的な方法に。 形式知的な方法:例えば、KJ法形式知化された方法とは、方法に含まれるタスクの内容が明文化でき、かつタスクを行う手順やプロセスが明記されているものをいう。逆に暗黙知的方法とはそうでないものを指している。 例えば、KJ法であれば、 最初に単位化された情報を書き込んだ束を作成

    leva
    leva 2009/03/10
    同意。また、型を真似ぶ前提としてその必要性が身体知として理解できている必要があるだろう。とすれば「どうすればいいの」に対してHowtoを探すのではなく、とりあえず手を動かして失敗を重ねる方が数段よいのだろう
  • CiNiiはRDFへ舵を切った

    The 4th season - Story of the one person library and "full stack" librarian. 4月1日からリニューアル予定のCiNiiの試験公開が始まりました。"ciexam"というホスト名すらカコイイ。examですよexam。青くなりそう。 インターフェースが変わったことはもちろんですが、 Firefoxでアクセスすれば、 ほら、「俺はOpenSearchできるぜ!Come on!」と訴えている! (青くなった矢印クリックで"CiNii Opensearchを追加"と出ます。) しかも、「CiNiiのAPI(1)-OpenSearchについて」によれば、OpenSearchの出力はxhtmlRSS、ATOMで出力可能。つまり、RSSなりATOMの検索結果をフィードとして登録しておけば、新着通知も受けられるなんて素敵仕様さ。 h

    leva
    leva 2009/03/10
    良さそうなRDF、関係者の皆様お疲れ様です。しかし、本文が読めないのは読めないときっちり(RDFにも本文にも)書いてほしいですね