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人物に関するlittleumbrellasのブックマーク (23)

  • 【日本の解き方】経済学者・青木昌彦氏を悼む ノーベル賞級の国際的評価 新鮮な問題意識と厳しい仕事

    米スタンフォード大の名誉教授で経済学者の青木昌彦さんが15日、米西部で77歳で亡くなった。青木さんは、日経済の比較制度分析で国際的な評価を受けた数少ない日経済学者である。青木さんの師匠であるレオニード・ハーヴィッツ氏がノーベル経済学賞を受賞した2007年に、青木さんも同時受賞してもおかしくなかった。 青木さんもハーヴィッツ氏も数理的な手法を使うので、数学出身の筆者にとって青木さんとの議論は楽しかった。 青木さんと知己を得たのは、筆者が米プリンストン大に留学している時だった。帰国後、国土交通省に出向した時、青木さんが経済産業省の独立行政法人、経済産業研究所所長を務めていたので、同研究所のコンサルティングフェローにしてもらった。出向先の国交省ではきちんと手続きしたが、親元の財務省は難色を示した。その時も、青木さんに助けられた。 その後、財務省の財務総合研究所と内閣府の経済社会総合研究所の

    【日本の解き方】経済学者・青木昌彦氏を悼む ノーベル賞級の国際的評価 新鮮な問題意識と厳しい仕事
  • 池内恵 - Wikipedia

    池内 恵(いけうち さとし、1973年9月24日 - )は、日のイスラム研究者。東京大学先端科学技術研究センター教授。イスラム政治思想を専門とし、日における中東政治、中東地域研究の代表的研究者の一人。父は独文学者の池内紀、叔父は天文学者の池内了。 経歴[編集] 東京都出身。1992年3月、東京都立国立高等学校卒業。1996年3月、東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修課程卒業。1998年3月、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了。2001年3月、同専攻博士課程単位取得退学。 2001年4月、日貿易振興会アジア経済研究所研究員。2003年10月、日貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター研究員。 2004年4月、国際日文化研究センター助教授。2007年4月、同准教授。 2007年12月から2008年3月まで、アレクサンドリア大学客員教授。 2008年10月

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    littleumbrellas 2015/05/23
    それぞれ違う分野の学者家系って他にもあるのかね。
  • 世界初の抗生物質を作ったのは日本人だった! …なのになぜ無名? | ダ・ヴィンチWeb

    結核、梅毒、コレラ、チフスなどの感染症は、死につながる恐ろしい病気だ。感染という名の通り、1人が罹れば周りの人も罹る可能性がある。これらの感染症は、長い間有効な薬や治療法がなく、なぜ病気になるのか、なぜうつるのか、原因もわかっていなかった。ようやく19世紀に原因となる病原菌が発見されたが、治療法は自己免疫力に頼るのみだった。 こうした中、ある時を境に人間が病原菌に対して圧倒的優位に立つ。きっかけとなったのは、抗生物質の誕生だ。 『サルバルサン戦記 秦佐八郎 世界初の抗生物質を作った男』(岩田健太郎/光文社)は、明治6年生まれの日人、秦佐八郎が、世界初の抗生物質「サルバルサン」を開発するという史実を元にした小説である。 秦佐八郎による、世界初の抗生物質開発秘話 明治42年1月、37歳の秦はドイツ・フランクフルトのある研究所を訪れる。所長は、免疫の研究で、ノーベル生理医学賞を穫ったばかりのパ

    世界初の抗生物質を作ったのは日本人だった! …なのになぜ無名? | ダ・ヴィンチWeb
  • 昭和天皇の苦難と成長 『昭和天皇伝』 (伊藤之雄 著) | 書評 - 文藝春秋BOOKS

  • 『震災復興 後藤新平の120日』

    後藤新平が関東大震災のときにいかに考え、いかに行動したか。当時の後藤新平についての記録を整理し、大震災翌日の内務大臣任命からの120日に焦点をあててた編集(後藤新平研究会)のセンスが光る好著である。この120日は虎の門事件による山内閣の瓦解によって区切られるのだが、同時に僕の調査したかぎりでもまさに後藤の退場と同時に当時のマスメディアの多くは震災への関心を失った(記事が急減する)。日人は忘れやすい国民だ。だが後藤新平は高橋是清とともに何度も現代の日で語られ続けてもいる。この忘却と想起のバランスがどのような教訓をわれわれに与えるだろうか? さて後藤は大臣任命直後にすでに予算規模30億円の巨額で、「欧米最新の都市計画」を採用すべし、と復興政策を独力で案出している。しかも9月4日にはさらにその案は具体性をもつ。今日でも意義があるので下に後藤が9月6日に閣議に提出した「帝都復興の議」の要点を

    『震災復興 後藤新平の120日』
  • 「スターリン―「非道の独裁者」の実像』書評 20世紀はどんな時代だったのか|好書好日

    スターリン 「非道の独裁者」の実像 (中公新書) 著者:横手 慎二 出版社:中央公論新社 ジャンル:新書・選書・ブックレット スターリン―「非道の独裁者」の実像 [著]横手慎二 20世紀のある時期に誕生し、70年余の生命を保ち、そして崩壊したソ連の社会主義政権。その前半期を担ったのがスターリンである。彼の没後、指導部の一員だったフルシチョフは、「粗暴、大粛清、軍事的失敗、個人崇拝」の4点を挙げて、スターリン批判演説を行った。 同時代史の中でゆれ動くスターリン像から少しずつ客観的、歴史的に実像が練られている。書は未公刊の資料は使用していないが、近年ロシアで明かされている文書も引用して、新たに実像に迫る意欲的な書である。フルシチョフの批判は、ある面では適切でないことがわかる。 たとえば1936年から38年までの間に、政治上の理由で逮捕された者は134万人余に及ぶが、そのうちの68万人余が粛清

    「スターリン―「非道の独裁者」の実像』書評 20世紀はどんな時代だったのか|好書好日
  • 祥伝社40周年記念作品『ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物』

  • 姜 克実『石橋湛山』

    「ナショナリズムの超克」−姜先生によればこのテーマこそ石橋湛山が最後に残したメッセージだという。戦前からの小国主義の立場、特に政界の第一線を引退してから強まった脱冷戦的な発想を引き継ぐ石橋の思想であり、今日的な意義がある、我々が立ち向かわなければならない問題だ。この石橋湛山の生涯とその業績の全体像を明晰な文体と分析でまとめあげたこの著作は、いまの日社会に石橋が残したものを再検討する素材を十分に提供したものである。 書ではいままでの著者の石橋湛山研究の成果がふんだんに盛り込まれている。僕も姜先生の著作のほとんどを読んできたので、この一般にも読みやすい石橋の伝記は、いろんな意味で喜ばしい。特に今日でいうデフレ脱却論争ー金位解禁論争と言われるものーに至るまでの湛山の思想形成とその内容が、僕にはとても参考になった。 1 湛山の思想形成には日蓮宗的な宗教教義よりも、その初期には「血気の多い素朴

    姜 克実『石橋湛山』
  • 田中秀臣 on Twitter: "宇沢弘文先生死去。お悔み申し上げます。個人的には、大学に入った当時、日本は反経済学ブームというものがあって、その中核にいた人というイメージです。実際に必修科目でとった大学一年のときの指定原書はジョーン・ロビンソンとイートウェルの『現代経済学』(宇沢訳)でした。"

    宇沢弘文先生死去。お悔み申し上げます。個人的には、大学に入った当時、日は反経済学ブームというものがあって、その中核にいた人というイメージです。実際に必修科目でとった大学一年のときの指定原書はジョーン・ロビンソンとイートウェルの『現代経済学』(宇沢訳)でした。

    田中秀臣 on Twitter: "宇沢弘文先生死去。お悔み申し上げます。個人的には、大学に入った当時、日本は反経済学ブームというものがあって、その中核にいた人というイメージです。実際に必修科目でとった大学一年のときの指定原書はジョーン・ロビンソンとイートウェルの『現代経済学』(宇沢訳)でした。"
  • ボブ・ヘイズ - Wikipedia

    ロバート・リー・ヘイズ(Robert Lee "Bullet Bob" Hayes、1942年12月20日 - 2002年9月18日)は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソンビル出身の陸上競技元選手およびアメリカンフットボール元選手。ニックネームは弾丸を表すBullet[1]。1964年東京オリンピック金メダリスト。オリンピックの金メダルとスーパーボウル優勝リングを両方獲得した唯一の選手。 ヘイズは1962年、フロリダA&M大学在学中100ヤード走で9秒2の世界新記録を出し、翌1963年には再び世界新記録の9秒1を出した。ヘイズのこの記録は、11年後のアイボリー・クロケットによるまで破られることはなかった。 東京オリンピック[編集] ヘイズは、1964年の東京オリンピックでスプリンターとしての才能を十分に発揮した。男子100m走に於いて1レーンという悪状況にもかかわらず、10秒0(10秒06

    ボブ・ヘイズ - Wikipedia
    littleumbrellas
    littleumbrellas 2014/08/10
    “オリンピックの金メダルと、スーパーボウル・リングを獲得した最初の選手”
  • Göran Edman - Wikipedia

    littleumbrellas
    littleumbrellas 2014/07/21
    ディスコグラフィがすごいことになってる。主張しない感じだから使い勝手がいいんだろうな。
  • Tommy Steele - Wikipedia

    littleumbrellas
    littleumbrellas 2014/04/30
    “English entertainer, regarded as Britain's first teen idol and rock and roll star”
  • 「ベートーヴェンやバルザックは、1日をこう過ごした」

    こなしきれないと思われるほど多くの仕事を抱えていると、どこから手を付けるべきかさえわからないことがある。だが、思い出してほしい。ベートーヴェンからビヨンセまで、歴史に残る伝説的な人物も、あなたと同じくらいのわずかな(あるいは、たくさんの)時間しかなかったのだ。

    「ベートーヴェンやバルザックは、1日をこう過ごした」
  • 重松宗育 - Wikipedia

    静岡県清水市(現静岡市)生まれ。東京外国語大学(英米語科)卒業、京都大学大学院修士課程を修了。静岡女子大学(現静岡県立大学)講師、静岡大学人文学部講師、助教授を経て、教授。2001年、関西医科大学教授として医学英語、こころのセミナーなどを担当し、2006年退職。 現在、静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派承元寺住職をつとめる。 『星の王子さま、禅を語る』(筑摩書房、こころの) 1988、のち改訳(ちくま文庫) 2013 『モモも禅を語る』(筑摩書房、こころの) 1991 『禅の贈りもの』(法蔵館) 1991 『アリス、禅を語る』(筑摩書房、こころの) 1995 『野性の実践』(ゲーリー・スナイダー、原成吉共訳、東京書籍) 1995、のち改訳(山と渓谷社) 2000、のち思潮社 スナイダー・コレクション2 2001 『大拙 禅を語る』(アートデイズ)2006 - 1950年代に3度行った英

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    littleumbrellas 2014/04/03
    “臨済宗の僧、英文学者、静岡大学名誉教授”
  • 宰相の系譜~明治・大正から現在~写真特集:時事ドットコム

    1/65 スクロールで次の写真へ 伊藤博文 いとう・ひろぶみ(1841年9月2日~1909年10月26日) 立憲政友会総裁。山口県出身 【在職期間】〔第1次内閣〕1885年12月22日~88年4月30日〔第2次内閣〕92年8月8日~96年8月31日〔第3次内閣〕98年1月12日~98年6月30日〔第4次内閣〕1900年10月19日~01年5月10日 【主な出来事】〔第1次内閣〕太政官制廃止・内閣制度発足(1885年12月)〔第2次内閣〕日英通商航海条約調印(94年7月)、日清戦争(94年7月~95年3月)、下関条約締結(日清講和条約、95年4月)〔第4次内閣〕官営八幡製鉄所が操業開始(01年2月)、昭和天皇が誕生(1901年4月) 【時事通信社】

    宰相の系譜~明治・大正から現在~写真特集:時事ドットコム
  • 常石敬一 - Wikipedia

    常石 敬一(つねいし けいいち、1943年10月26日 - 2023年4月24日[1])は、日の科学史・科学論研究者。 神奈川大学名誉教授。主な専門は科学史、科学社会学、STS(科学技術と社会)、生物化学兵器軍縮、731部隊の研究[1]。 経歴[編集] 東京都出身[2]。1966年に東京都立大学理学部物理学科を卒業[2]、東京大学大学院工学系研究科を修了後、1973年に長崎大学講師となり[2]、同大学教養部教授を経て、1989年より神奈川大学経営学部教授[2]。2004年定年、名誉教授。 2023年4月24日、膵臓がんのため死去。79歳没[1]。 松サリン事件[編集] 松サリン事件において、外因物質もそれを推測するための薬品などにについての情報もない段階であった、各社からの事件の初報である1994年6月28日夕刊で「有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で池に流れ込むなどして、水や

  • 福田和也「旅と書物と取材ノート」 | 現代ビジネス @gendai_biz

    「殺人現場にあった血まみれのベッド」「総重量500キロの巨大呪物」「豊田商事会長が愛した仏像」...《日一の呪物コレクター》が紹介する「ヤバすぎる呪物たち」

    福田和也「旅と書物と取材ノート」 | 現代ビジネス @gendai_biz
  • 佐高信の児玉清批判──安倍晋三はバカ派←カンサンジュンのこと : 木屑鈔

    7月12 佐高信の児玉清批判──安倍晋三はバカ派←カンサンジュンのこと カテゴリ:マスコミ政治 現在発売中のサンデー毎日7月17日号の連載コラムで、佐高信が故・児玉清さんをボロクソに書いている。 ・児玉とはNHK.BSの読書番組で共演して知り合いだった。 ・だが葬儀にはゆかなかった。 ・その理由は、児玉は安倍晋三支持者だったからだ。 ・安倍はタカ派ならぬバカ派。安倍を支持する児玉も同じバカ派。 ・読書家と言われる児玉だが、拙著「西郷隆盛伝説」は読んでいないようだ。 ・(読んでいれば安倍支持者になどなるはずがない) ・安倍は姜尚中や私(佐高信)に敵意をもっている。 ・児玉はそれがわからない。 ・よって児玉は、真の読書家ではない。 というものだった。 あらためて読書家・児玉さんを偲んだ。なんてすてきなひとなんだろう。 真の読書家は佐高のクソなど読まない。 そのことによって児玉さんが真の読書

  • JOG(285) 塙保己一 ~ 盲目少年の志

  • 田中秀臣「岡田靖=ドラエモンの経済学」 - ビジスタニュース

    田中秀臣「岡田靖=ドラエモンの経済学」 2010年05月11日21:36 担当者より:経済学者の田中秀臣さんによる、先日お亡くなりになった岡田靖さんの活動についての原稿をアップいたしました。田中さんの新刊『デフレ不況 日銀行の大罪』(朝日新聞出版)と併せてぜひお読みください。 配信日:2010/05/06 岡田靖(内閣府経済社会総合研究所主任研究官)さんがお亡くなりになってすでに一月近くが過ぎ去ろうとしている。時の流れはやはり情け容赦ないものだと思う。岡田さんは大和総研、クレディスイスファーストボストン証券(現クレディスイス証券)、学習院大学客員教授を歴任した後、内閣府で経済分析の仕事に携わってきた日屈指のエコノミストであった。 野口旭氏(専修大学教授)が、「岡田さんは(民間)エコノミストでは日で一番の人だった」といったことがあるが、僕も同じ考えを共有している。そして、また『夕