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2009年11月21日のブックマーク (14件)

  • 俺はブラック企業にいる。そう、ではどうするのか? - reponの忘備録

    スクールカーストの下の方にいる俺たちのラジオ webラジオをやっている。 すでに放送は10回を超え、土曜の夜21時からの定番となっている。 podcastも配信し、現時点で70人を超える方に登録いただいている。 「サバイブSNS」が主催しているラジオらしく、企画には、サバイブして行くには、エクソダス(脱出)するにはなにが必要か、という疑問がいつもある。 その疑問や興味に答えられる放送を、目指している。 この間、3回、いわゆる「ブラック企業」について取り上げた。 しかし、「ブラック企業とはなんぞや」とか、「ブラック企業政治的にどう無くしていくか」とか、「ブラック企業に異議申し立てをする」とか、そういう内容ではない。 「ブラック企業」の成り立ち、存在基盤、あるべき施策など、そういった思索については、スクールカーストの上の方の人たちが考えればいい*1。 それらはとても大切なことだけれど、現場に

    俺はブラック企業にいる。そう、ではどうするのか? - reponの忘備録
  • 半神(値札を付される身体) - 地を這う難破船

    「蔵田先生はどんな子が好みなんですか――――?」 「頭のいい女」 『プラスチック解体高校』 ――Gacktも丸尾長顕も同じことを言ったそうな。 ⇒はてなブックマーク - 結局、ヒロインに求めるのは処女性かよ。 - 海ノ藻屑 ⇒はてなブックマーク - 人間をモノ扱いして新品を要求する図々しい卑劣漢と、自分に都合の良い妄想に浸るキモいオタク - 消毒しましょ! 久しく会ってない知人が勧められて試しに見合いした。若くもなかったが「あとは若い人たちで」となって早々に先方は自身の仕事の社会的価値と成果をひとしきり語った後交際経験の有無について直截に訊いてきた。まぁ、と言葉を濁すと先方黙る。なにがしか了解したらしくそれは見当と相違したらしい。20代ではあるしそう思い込めないでもない雰囲気と履歴であるから先方申し込んだのだろう。こっちがどん引きだ、とは彼女の弁。それは見合いなのでと電話口で言ったら気を悪

    半神(値札を付される身体) - 地を這う難破船
    lotus3000
    lotus3000 2009/11/21
    なんだかわからんが、萌えの問題が隠れているような。
  • 宗教化していくロストジェネレーション - the deconstruKction of right

    昨日の話の続き。実は、シンポジウムのあと、飲み会に参加させていただき、東さんと話す機会があり、結構お話をしていたのですが、哀れなプレカリアートである僕はアルバイト夜勤の定時になってしまい行くように規律訓練をされていたので、話の途中で仕事に行ってしまったのでした。で、その際に「世界宗教」の話になり、やはりその話は気になっているのでこっちに続きを書くことにします。 福嶋亮大は6/23のエントリでこう書いている。http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/e/b27b3f8ce1b538c56324bc8b764ee086「むしろ僕は2010年代以降の先進各国は「ゆるい宗教国家」のようなものになると思っているのですね。」 江原啓之がこれからどうなるかはわかりませんが、スピリチュアル的=神話的なもののニーズが絶えそうもない以上、これからも似たような現象は起こることが推察されます。人

    lotus3000
    lotus3000 2009/11/21
    俺はこの路線をもっと洗練させたいな、とは思う。ドラッグとドラッグの毒を中和と効き方を見極めたい。
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
  • 憎悪の蓋 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.7: 日記 五十嵐氏の事件を引き合いに出したことは不穏当でした。弁明させていただきますが、雉を撃つな、と言っているのでは私はない。雉を撃つな、とは誰に対しても言いません。誰が何故やったのか、ではなく、官憲が仕事をしないとき表現の自由について国家の法治が公共の利益を実現する、という発想に到底賛成できない、ということです。表現の自由を法治の原則において守ることさえしなかった、あるいはできなかった日の丸の官憲に、公共の利益に基づく表現の自由の制限を委ねることには躊躇します。 日の官憲は、望むまでもなく、公共の利益を自称してポルノを弾圧してきました。この官憲に対する不信は、当然のことながら外国人排斥(日においては移民でさえない)と関係がない。むしろ、警視庁草紙以来、弾圧の発想と技術を近代日に積み上げてきた官憲は、公共の利益に基づく表現の自由の制限によって、マジョリティではなく

    憎悪の蓋 - 地を這う難破船
  • 内田樹氏の格差社会論への反論/秋葉原の大量殺傷事件 - 起業ポルノ

    内田樹氏が「善意の格差論のもたらす害について」というタイトルの文章を掲載している。それも、今回の秋葉原の大量殺傷事件にあわせて、再掲したとのことだ。 今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。 http://blog.tatsuru.com/2008/06/11_1205.php:Title いろいろと同意し難い点が多いので、前向きな反論を書きたいと思う。 内田氏の言いたいことは、ある程度は理解できる。競争社会のダークな部分、必ず敗者を生み出すメカニズムであるというのはその通りだろう。 ただ、論理がおかしい点も多い。まず、内田氏のいう貧富の仕組み。 新石器時代に「貧困問題」は存在しなかったはずだし、レヴィ=ストロースが観察したマトグロッソのインディオたちの社会にも「貧困問題」は存在しなかった。 これは当然の話

    内田樹氏の格差社会論への反論/秋葉原の大量殺傷事件 - 起業ポルノ
  • 研究メモ - [学問][書評]日本の左翼は何を学べばよいのか。

    『日とフランス 二つの民主主義 不平等か、不自由か』を飛ばし読みした。 日とフランス 二つの民主主義 (光文社新書) 作者: 薬師院仁志出版社/メーカー: 光文社発売日: 2006/08/12メディア: 新書購入: 4人 クリック: 40回この商品を含むブログ (73件) を見る 勉強する前にちょっと、と思って30分くらい飛ばし読みしてみた。が、その後、読むのは止めたものの、変な政治的妄想が頭から離れずに勉強に集中できなかった。なので、でここで書いてみることにした。基的に、この著作とは関係ない内容なのであしからず。 でもいちおう、つまみ読みでも許される範囲内で、の感想を。 ちゃんと読んでないけど、なかなか面白そうである。最後の一文は印象的だ。 日曜日に買物さえできないようなフランスは、何かと不自由だ。ただ、問題は、どのような自由が真に守るべき自由であって、どのような不自由が犠牲にし

    研究メモ - [学問][書評]日本の左翼は何を学べばよいのか。
  • 叶えられた願いと叶えられなかった願い - 地を這う難破船

    ⇒誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いてるよ - A Road to Code from Sign. ⇒国家による管理売春の問題点 - A Road to Code from Sign. ⇒http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080627 ⇒彼女作らせろって 件のシンポジウムには足を運んでいないし、今更ではあるけれども、誰かが増山麗奈という美術家について改めてインフォするだろうと思っていたらそういうことにもならなかったし、少し。 「弱者男性」という概念は新鮮ではあった。その指し示すところが必ずしもマイノリティではないから。男性であるところの尊厳を奪われた男性は社会が手当するべき弱者である、そして現在の日において男性であるところの尊厳を社会的に奪われた男性はあまりに多い。斯様な基点に立脚する議論は前提的条件において性すなわちSEXの問題を含む。男性である

    叶えられた願いと叶えられなかった願い - 地を這う難破船
  • 公共圏か動物か―思想地図における白田―東の議論を巡って - 絶倫ファクトリー

    思想地図〈vol.1〉特集・日 (NHKブックス別巻) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2008/04メディア: 単行購入: 27人 クリック: 1,022回この商品を含むブログ (163件) を見る 思想地図を読み進めている。東浩紀、北田暁大、萱野稔人の鼎談と白田秀彰による論文を読んだのだが、白田と、彼に執筆を依頼した東との間で見識の一致している面もあり、また一見逆に思われる点もあったりしたので非常に面白かった。 簡単に彼らの議論をまとめると、私的領域という歯車と公的領域という歯車があったとき、それらを回すには間に何かのギアがあった方がいいと言うのが白田で、ギアを噛ませず二つがバラバラに、暴走しない程度にうまいこと回り続けるシステムをつくろうよ、というのが東である。以下、両者のそうした違いについて細かく見ていく。 両者の共通点と相違点―断念された

    公共圏か動物か―思想地図における白田―東の議論を巡って - 絶倫ファクトリー
    lotus3000
    lotus3000 2009/11/21
    発掘エントリ
  • 『リベラリズムの存在証明』「エピローグ(草稿)」 - shinichiroinaba's blog

    以前今はなき玲奈さんのご厚意でアップしていただいていたものだが、消滅して久しいのでこちらにアップする。 ======================== 少々長い旅になったが、このあたりでいったん筆は置かれる。その前に、少し違った角度からこれまでの議論を総括してみよう。 書前半で提示した私なりの権力概念はかなり常識的なものであり、とりわけそれが権力を振るわれると感じ、それに服従する側の主体の自覚、了解を媒介としてはたらくものと定義されている点で、少々時代遅れである、と少なからぬ読者の方は思われたかもしれない。とりわけ私は要所要所でミシェル・フーコーの所論をどちらかというと肯定的に参照しているのであり、彼フーコーこそは20世紀後半の科学的権力概念の革新者と見なされているのだから。 フーコーの権力概念が人を惹きつける理由のひとつは、不可視の、意識されず、了解されないままに作動するものとしての

    『リベラリズムの存在証明』「エピローグ(草稿)」 - shinichiroinaba's blog
  • 「人民を騙すべきではない」―― 中国型共産主義がめざすべき道:日経ビジネスオンライン

    2009年1月2日に北京で取材した、マルクス主義の大理論家である謝韜(しゃとう)氏は、私に次のように言った。 「20世紀はアメリカ型資主義とソ連型共産主義とスウェーデン型民主社会主義という三つの社会制度が歴史の舞台でモデルコンテストを演じた時代だった。前二者は敗退し、民主社会主義が勝利を収めた」 それならば、中国型共産主義制度をどのように位置づけ、そして中国の社会制度はどうあるべきだと考えているのか、今回もまた謝韜氏の取材を中心としてご紹介したい。 *   *   * (前回から読む) 遠藤:謝韜先生は社会制度のモデルコンテストで優勝したのは民主社会主義だと仰いましたが、では中国はこのあと、どうすべきだとお考えですか? 謝韜:もちろん民主社会主義の道を歩めばいいのです。 遠藤:となると、現在の社会主義国家体制を放棄するということでしょうか、それとも社会主義国家の枠内で、ですか? 謝韜:そ

    「人民を騙すべきではない」―― 中国型共産主義がめざすべき道:日経ビジネスオンライン
  • 難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと

    1.そのを読みたい人が何人か集まる。 2.そのをいくつかの部分に分け、参加者にそれぞれ割り当てる。 3.次回にとりあげる部分を割り当てられた人(担当者)は、その部分をなんとか全部読み、次回の集まりには要約(レジュメ)を作ってくる。分からなかったところや疑問点も、要約に入れておく。 4.担当者でない他の人たちも、次回にとりあげられる同じ部分を読んでくる。分からなかったところや疑問点を、次の集まりに持ち寄る。 5.集まりでは、担当者がじぶんがまとめた要約を参加者に配り、口頭でもその部分の概要を発表する。分からなかった部分や疑問点などについて各自の見解をぶつけ合う。指導者がいる場合は、議論された疑問点や、取り上げられなかった重要な点について、参加者の議論を補足する。 6.の最後まで、3~5の繰り返し。 改めて言うまでもないが、「輪読」と呼ばれる方法である。 「の読み方」みたいなものは、基

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  • 慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

    我々の時間についての遠近感は、時としてとんでもなく歪むが、それに気付く機会があまりない。  だから、何か一つの事項について年表をつくると、背筋が伸びるかのように、縮んでいた時間感覚を修正できる。  自分の経験だと、自分が生まれる前の、近現代あたりが、かなりアバウトにいっしょくたにされていることが多い。サルトルの『嘔吐』がベストセラーになるのはもっとずっと後のように思っていたが、実際は1946年である。  これは周りに質問してみるといい。世代によっては「70年代あたり」に「サルトルがブームだった」となってたりするので、自分と違う世代の人と質問し合うとおもしろい。  ベストセラーの悪口をいうにしても、ファクトを整理しといた方がいいと思って作った私物くさいリストであるが、いろいろツッコミどころや「発見」のしどころがあると思うので公開してみる。  現在に近づくほど、これまた私見だが、ベストセラーと

    慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers
    lotus3000
    lotus3000 2009/11/21
    ベストセラーと文学のズレをどう埋めるのか。そこらへんを問題にしてたのは初期の中島梓だったことを思い出した。