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http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20080704/1215165146面白かったので、メモ。この方の思考の流れは、この記事だけでなく、もうすこし過去の記事の流れを複数みたほうがいい。その流れをしばらく見させてもらおうと思う。日本語の場合、漢字ないしカタカナとひらがなと句読点の組み合わせがある程度字面的に分ち書きというか形態素分解を示してはいるけど、たしかに、一種のギャップになっていることは確かだと思う。これをすべて分かち書きにしていきましょう、という方針に賛成かどうかはいまのところわからない。以前のわたしだったら反対だっただろうが、ある意味、日本の現在の歴史的な閉塞状態を打破するためには、いろいろこういう思考も取り入れながら、かつての日本が歴史的に形成していった日本語らしさの枠を譲歩したり打破したりする必要があるのかもしれない。日本語は、いまのところ
明治時代のガイドブックで熱海観光すると、熱海が今人気な理由がわかった 文明が花開いた明治時代は、どのようなスポットが人気だったのだろう。 今回は、116年前のガイドブックを使って熱海の観光をしてみよう。 実際に回って見えてきたのは、熱海が今でも人気の理由だった。 熱海、人を楽しませようとする熱量がすごい。 ※この散策は2023年2…
前回の続きです。 「35歳世代が子供の頃に両親が自分にしてくれた、当たり前だと思っていた事が、今では当たり前でなくなってきました。」という命題に対して、「35歳世代とその親の世代とで所得水準の違いがその原因ではない」ということが分かったわけですが、その裏に横たわるものが何なのかということを、だらだらと分析していきたいと思います。 今考えている仮説はこんなものです。 核家族化の進行により、世帯あたりの所得が減少した。 家計の支出構造が変化して、子育てに使える金額が減少した。 なお、先に注意しておくと、この分析の目的は「出生率が下がった原因は何か?」ではないので、次のような仮説は無効です。 親の世代も同じように苦しかったが、将来の展望が明るかったので、子どもを産むことができた。 親の世代では、子どもを産まないことに対する社会的な風当たりが強かった。 世帯の構成や収支の構成を分析するには、総務省
Memoir of comfort woman tells of 'hell for women' (AP via China Daily - 2007-07-06 10:52) 元記事 http://www.chinadaily.com.cn/world/2007-07/06/content_911759.htm 元日本人慰安婦の回顧録:「オンナには地獄だった」 (以下の内容は、元記事にもとづいてStiffmuscleが編集したものです) 日本、館山。丘の上に立つ小さな教会、ふもとには様々な理由から自立が不可能になった女性のための居住施設「かにた婦人の村」がある。天羽道子シスターの後に従い、その教会の地下室へ降りて行った。 幾年にもわたり、幾十人もの女性がここ「かにた婦人の村」で晩年を過ごしてきた。女性たちの遺灰は質素な祭壇の下にある石碑の後ろで眠っている。天羽さんは一枚の白黒写真を納骨
Memoir of comfort woman tells of 'hell for women' (AP via China Daily - 2007-07-06 10:52) 元記事 http://www.chinadaily.com.cn/world/2007-07/06/content_911759.htm 元日本人慰安婦の回顧録:「オンナには地獄だった」 (以下の内容は、元記事にもとづいてStiffmuscleが編集したものです) 日本、館山。丘の上に立つ小さな教会、ふもとには様々な理由から自立が不可能になった女性のための居住施設「かにた婦人の村」がある。天羽道子シスターの後に従い、その教会の地下室へ降りて行った。 幾年にもわたり、幾十人もの女性がここ「かにた婦人の村」で晩年を過ごしてきた。女性たちの遺灰は質素な祭壇の下にある石碑の後ろで眠っている。天羽さんは一枚の白黒写真を納骨
id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。 mojimoji「政治的直接性からの逃走」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1 西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。 ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 (http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html) しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは
朝青龍関が引退を表明した。まことに残念であり、口惜しい。 いつから日本人は、ここまで劣化したのであろうか? いつから他人の「品格」をあげつらうような発言が日本語に登録されたのであろう? もともと己れを棚に上げて他人の「品格」を批判するようなふるまいは、あまり上品なものとは思われていなかった。「いったい何さまのつもりなのか?」 マスコミ一体となったすさまじい反朝青龍キャンペーンは、もはや全社会的いじめである。 「暴行事件」と言われるが、その詳細についてわれわれは何一つ知らない。たとえ訴追されたとしても、判決が下るまでは推定無罪と取り扱われねばならない。まして、不起訴どころか「容疑」さえないのである。我々にしても酒を飲んで口論くらいはするだろう。民事的係争が有ったとしても、本人たちの間で示談が成立しているのに、他人がどうして騒ぎ立てるのか? どこかの四流の脚本家が、どうしてあれほどまで傲慢な態
沖縄についてちょっと調べる必要があり、佐野眞一の分厚いハードカバー「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を購入。おしっこ漏れるぐらいにおもしろかった。 ダイエーの隆盛と衰退を通して戦後を描いた「カリスマ」や読売グループの首領正力松太郎を取り上げた「巨怪伝」も同様におしっこ漏れるぐらいにおもしろかったわけで、もっと早く読んでいたらと後悔さえ覚えた。発売から一年以上経っているけれど、かなりベストセラーだったらしく、私が購入したやつは六刷だった。 そもそもテレビが取り上げる沖縄はたいてい退屈だった。とくに故・筑紫さんの「ニュース23」がひどく、嬉しそうに彼が沖縄について語り出そうとするところでチャンネルを変えた。青い海をバックに、平和そうな顔をした沖縄の人がサンシンを引いて陽気に踊る。のんびりやろうぜ。あと戦争はよくない。なんたって激戦地となった悲劇の島だ。今も米軍が我が物顔でしきっている。
hizzz 独り死で何が悪い! 有無を言わさない縁無縁での叙情共同体強調は、ひいては靖国的な国家包摂を要請することにも繋がることになりかねない方向へ。 生前の引きこもり問題が、 生活や権利の実務レベル 国家との関係では、《社会権》*1 「さびしい」といった価値観レベル 国家との関係では、《自由権》 に分かれるように、《死ぬこと》についても、この2つが分かれます。 価値観としては、「放っておいてもらう権利」は、ものすごく重要だと思うのです*2。 しかし、無縁死の状態は、「望んでそれを手に入れた」のか、「やむなくそうなった」のか*3。 独りで死んで、弔ってもらえないということは、生前にも「SOSを出せない状態」です。 ひとりでいることは、「さみしい」とかの価値観レベルで論じられがちですが、本当の問題は、それが圧倒的に弱い立場であるということです。 無縁死という言葉に潜む「孤独なのは悪いこと
就任2年になっても高い支持率を維持していることに驚く。先日、ゼミ生十数人に尋ねたときも約7割が評価した。しかし、その理由の大半は「テレビで知っているから」。欠点も含め人間の振れ幅が想像できるから安心だという。「くそ教育委員会」のような日常言語を平気で使うことも「隣のお兄ちゃん」みたいな近しさで信用できるようだ。 「お笑い100万票」といわれる大阪の政治風土では、語る内容ではなく、語り口調が大事だと、直感的にわかっているのだろう。生活言語を政治に取り込み、有権者との距離感の近さを演出することで成功した人だ。 一方、政策の整合性や組織を形成する力、議会運営能力など政治を動かすうえで必要な力はあまり見受けられない。府政には内実を伴った動きはないのでは。 手法で特徴的なのは合意形成のプロセス(過程)がないこと。常に「敵」を作り、メディアを通して関心を集めるという手法は、いじめ型学級運営と同じ。メデ
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