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2014年9月6日のブックマーク (8件)

  • 読む本の選び方について - morimori_68の日記

    はやはり、はじめのページを読んでみないと合うか合わないかがわかりません。合わないと思っても、まだ機が熟していないだけという場合もありますが…。 には三種類あると思います。第一に仕事の関係の。第二に気晴らしの。第三に物事を知る。 (1) 仕事の関係のは、大工さんがカンナやノコギリを揃えるのと同様に考えています。例えばフランク・ベトガー著『私はどうして販売によって富と幸福を得たか』(ダイヤモンド社、1955年)は、営業―お客を作り、作ったお客を維持しながら、その数を増やしていくこと―のバイブルです。営業以外でも、時間の使い方について役に立つことが書いてあります。とっくに絶版で、私は図書館で借りて主な所をコピーしました。 (2) 気晴らしの。具体的には漫画とか、犯人当てミステリとか。最近では、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけた今野敏の『果断』(新潮文庫)が面白かったです。 (3

  • 靖国神社をどうとらえるか - morimori_68の日記

    私は靖国神社を全否定するつもりはない。焼き払い、ぶっつぶして駐車場にしてしまえとは言わない。それをたとえば対馬丸で身内を失った人の前で言えるか? 言えないのである。 靖国神社は、形式上は、一宗教法人でしかないので、誰を祀ろうと祀るまいと勝手ということになる。 ただ、そこに首相が参りに行くとなると話は別である。A級戦犯を神として、「昭和殉難者」として祀っているからだ。日はサンフランシスコ講和条約を受けいれて国際社会に復帰したのだから、国際的には極東軍事裁判の否認という意味を持つことになる。安倍晋三の靖国神社参拝は、パフォーマンスでしかない。当に崇敬の念なり何なりがあるのならば、極秘裏にお忍びで行くだろう。 靖国神社が国民を戦争に送り込むイデオロギー装置の役割を果たしたことは、歴史的に明白である。靖国神社は、戦争神社である。日が集団的自衛権を行使することになれば、自衛隊員の犠牲者も出るだ

    靖国神社をどうとらえるか - morimori_68の日記
    lotus3000
    lotus3000 2014/09/06
    作者ご本人のコメントあり。
  • 書評・最新書評 : 靖国問題の原点 三土修平著 宗教性と公共性を併せ持つ「両棲動物」 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    「靖国問題」を主題とするは数多(あまた)出版されているが、特定イデオロギーに染め抜かれた、「内輪」向けの論考ばかり。読むに値しないものが殆(ほとん)どである。 断言するが、近年上梓(じょうし)された夥(おびただ)しい靖国関連書のなかで、読むに足る内容を備えているのは書のみである。 まず、この問題を論じる際、必ず持ち出される「政教分離」と「戦争責任」。書はこの二つを金科玉条としない。 「政教分離」は各国の歴史的事情によって様々なかたちがあるという。例えば、関東大震災と東京大空襲の犠牲者の追悼施設「東京都慰霊堂」は、都の所有と管理の下にある。ところが春秋の慰霊祭は仏式で執り行われる。「政教分離」は杓子定規(しゃくしじょうぎ)に適用されていないのである。 「戦争責任」に関しても、右の「謀略史観」、左の「せっかく史観」に基づく議論は、戦後社会のリアルな変化を冷静に認識する妨げになっていると批

    書評・最新書評 : 靖国問題の原点 三土修平著 宗教性と公共性を併せ持つ「両棲動物」 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 教養主義の没落

    竹内洋『教養主義の没落』 「棚には信介のあまり見たことのないようなが乱雑に突っこんであった。 〈スタニスラフスキイ著 俳優修業〉〈ダンチェンコ著 モスクワ芸術座の回想〉〈メイエルホリドの演劇論〉〈木下順二作 蛙昇天〉〈シーモノフ プラーグの栗並木の下で〉〈チェーホフ短編集〉〈第三帝国の恐怖と貧困〉〈エイゼンシュタイン 映像の論理〉 どれも信介がはじめて目にするばかりだった。信介はその棚を眺めているうちに、目の前の緒方が、ひどく偉い人物のような気がしてきた。 〈おれは高校時代にいったいなにをやっていたんだろう〉 と、彼は考え、自分が取るに足らない卑小な人間のような感じがした。そんな信介の気分を察したように、緒方は煙管をくわえたまま言った。 『なんてものは、飾っときゃいいんだ。どうせ知識ばかり先行しても碌な芝居はできやしない。スタ・システムだのなんだのと言ったところで、満足な発声の練

  • アジールとしての学校 - 擬似環境の向こう側

    若い人たちによく見られているアニメ作品には「アジール」が登場することが多い。 アジールというのは、外部から隔絶されていて、そのなかでは外部とは別の秩序が成立している空間のことを指す。アニメ作品における典型的なアジールは部室だ。たとえば、『涼宮ハルヒの憂』のSOS団、『けいおん!』の軽音部、『氷菓』の古典部、『ココロコネクト』の文研部などの部室がそれにあたる。 たまに部活の顧問が入ってくる程度で、基的に部室には学生しかいない。だから、外部社会のさまざまな常識が遮断され、独特のルールがそこを支配する。『涼宮…』がもっとも典型的で、外部では成立しようのない涼宮ハルヒの絶対権力によって部室は統治される。 若い人向けの作品にこうしたアジールが登場する理由はよくわかる。精神的には親から自立しつつも、社会的、経済的にはまだまだ親の庇護のもとにある年齢層の若者が、かりそめの自立を体験する場としてそのよ

    アジールとしての学校 - 擬似環境の向こう側
    lotus3000
    lotus3000 2014/09/06
    アジールと自由。
  • ネタとしての黒歴史と本当の黒歴史について - 西尾泰和のはてなダイアリー

    「締め切りがないと、到達しないすごく遠いゴールに向かって走ってしまう」──カーネルハッカー・小崎資広(2) | サイボウズ式が公開されました。 公開前は「締め切りを設定することのメリット」に関して、いくつか他の実例を紹介したりしようと思っていたのですが、いざ公開してみると意外なことに小崎さんが勉強会発表動画を「黒歴史」と呼んだことについての反応がいくつかありました。 考えてみてください。自分がインタビューを受けて、そのインタビュー内容は記事になることがわかっているとします。「当に人に知られたくない過去」について言及するでしょうか。 また自分の「当に人に知られたくない過去」が動画として公開されている場合、その動画を公開した人に「おい、やめろよ」と言わないってことが考えられるでしょうか。言われた勉強会の主催者が「やだよ、消さないよ」と言って公開し続けることがありえるでしょうか。 ないない、

    ネタとしての黒歴史と本当の黒歴史について - 西尾泰和のはてなダイアリー
    lotus3000
    lotus3000 2014/09/06
  • 例えば「写経」という言葉を避けてみる。 - 西尾泰和のはてなダイアリー

    サイボウズ式「続・エンジニアの学び方」の第5回が公開されました。この回では、小崎さんが「どうしてコードを読もうと思ったのか」と、コードを読むために新しい言語を学ばなければいけない場合に「どうやって学ぶか」を聞きました。 ところで、小崎さんは自分の学び方を「写経」と読んでいて、僕もこの用語は自然に理解できるのですが、公開後のTwitterの反応を見ていると「写経と呼ぶことが嫌」もしくは「仏教での写経の印象で、内容を勘違いしている」という事例がいくつも見つかりました。 プログラミングの学習法としての「写経」という言葉は色々な書籍で使用されています。例えば「100人のプロが選んだソフトウェア開発の名著 君のために選んだ1冊」の70ページでは「まず写経することから始めた」というエピソードが紹介されています。また「改訂新版 コンピュータの名著・古典100冊」の99ページでは「技術書の内容にそって深い

    例えば「写経」という言葉を避けてみる。 - 西尾泰和のはてなダイアリー
  • 批判の流儀 - 擬似環境の向こう側

    先日、都議会での野次問題に関連して、注目を集めたエントリがある。どこかの大学の教員が授業の枕として話した内容の概要だという。 思慮深いみなさんの事ですから間違える事は無いと思いますが、念のために助言しておきます。 この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。 赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。 批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。 (出典)http://anond.hatelabo.jp/20140624211919 実際のところ、これが当に大学教員の話した内容なのかどうかは分からない。けれども、ぼくとしては非常に頷ける

    批判の流儀 - 擬似環境の向こう側