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2014年9月5日のブックマーク (19件)

  • 「成長する考え方」と「成長できない考え方」の違いが20年の研究で明らかに

    by D. Sharon Pruitt 自分の持っている知性やクリエイティビティを天性のものであり、自分の力ではどうにもならないものと考えている人も多いのですが、それこそが人の限界を決める思い込みであり、「成長する思考態度」を持つと人は自分の知性や能力を伸ばしていくことができる、ということが、スタンフォード大学の教授である心理学者のCarol Dweck博士の行った20年にわたる研究で明らかになっています。 Fixed vs. Growth: The Two Basic Mindsets That Shape Our Lives | Brain Pickings http://www.brainpickings.org/index.php/2014/01/29/carol-dweck-mindset/ この、自分の成長を自分自身で邪魔してしまう「固定された思考態度」と、「成長する思考態度」

    「成長する考え方」と「成長できない考え方」の違いが20年の研究で明らかに
  • なぜ歩きながらだと考えがうまくまとまるのか?

    By Ian Muttoo Appleの故スティーブ・ジョブズは何か重要な話をする時や考えをまとめる際にはとにかく公園や道路など、あちこちをよく散歩していたというエピソードがあるように、なかなか考えがまとまらない時に、ふらっと外を歩いていると良いアイデアが突然浮かんできたりするのは万国共通の体験。そこで、「なぜ歩きながらだと考えがうまくまとまるのか?」についてThe New Yorkerがさまざまな角度から考察しています。 Why Walking Helps Us Think - The New Yorker http://www.newyorker.com/tech/elements/walking-helps-us-think 「ユリシーズ」の作者であるジェイムズ・ジョイスと、「ダロウェイ夫人」の作者ヴァージニア・ウルフは、「意識の流れ」を小説の中で表現した小説家たちです。この2人の作

    なぜ歩きながらだと考えがうまくまとまるのか?
  • 朝日新聞への憎悪はどこまで?--「血祭り」後を考える : アゴラ - ライブドアブログ

    当然の「国民的憎悪」 朝日新聞社に「国民的憎悪」が向いている。「国民的憎悪」とは「社会の大半の人が、理性的ではなく、何かをきっかけに一つの対象を、憎悪を込めて罵る」ことと、ここでは定義しよう。(戦前の朝日新聞社旗。戦争協力の証拠) 慰安婦問題の誤報騒動、吉田調書報道の誤り(私のコラム)、原発・放射能報道の誤報(私のコラム)など、相次いだトンデモ報道が批判されている。それを一般の人々のネット世論が先導し、新聞、雑誌という既存メディア、そして政治家という幅広い層が追いかける姿に、時代の変化を感じる。 ただし、「ちょっと待てよ」と、私は今思う。私は経済記者を20年近くやって、数年おきに「国民的憎悪」騒動を経験した。バブル崩壊後の不良債権問題を引き起こした銀行、株価を煽った証券会社への批判、2000年ごろ、06年ごろのベンチャー企業叩き、継続する官僚叩きなど、怒りが特定組織に頻繁に向いた。個人

    朝日新聞への憎悪はどこまで?--「血祭り」後を考える : アゴラ - ライブドアブログ
    lotus3000
    lotus3000 2014/09/05
  • 東アジアのネット受容を探る――社会学者・張彧暋に「香港的インターネット」事情を聞いてみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.149 ☆:Daily PLANETS

    東アジアのネット受容を探る――社会学者・張彧暋に「香港的インターネット」事情を聞いてみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.149 ☆

    東アジアのネット受容を探る――社会学者・張彧暋に「香港的インターネット」事情を聞いてみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.149 ☆:Daily PLANETS
  • 伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

    <hopelessness> これは、どうにもならない。 </hopelessness> 『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA) P.68 伊藤計劃は偉大な作家だ。 少なくともある程度を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。 それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、 そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。 更に法人からはSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。 彼の最大の幸福は早川書房との出会いである。 小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。 作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。 彼の死後、

    伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。
  • 伊藤計劃以後とは何か? - the deconstruKction of right

    「伊藤計劃以後」に大変腹を立てているブログを見つけたので、いくらかの反論を書きたいと思います。 ■伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。 http://anond.hatelabo.jp/20140308193257 以下、引用。 彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、 同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。 『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。 だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。 豚はその皮をい破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 そ

  • 松山基範 - Wikipedia

    松山 基範(まつやま もとのり、1884年10月25日 - 1958年1月27日)は、日の地球物理学者・古地磁気学者。山口大学初代学長。能楽師。京都大学名誉教授。理学博士(1918年)取得。 来歴[編集] 大分県宇佐郡駅館村大字上田(駅川町を経て現宇佐市)の曹洞宗の寺院雲栖寺の住職であった墨江天外と末原コウの間に出生。当時は、僧職の帯は認められていなかったため母の姓を名乗り、1896年に父が山口県豊浦郡清末村(現下関市)の高林寺の住持になると、姓を父方に改めた。少年期を過ごし両親の墓も存在する同地には現在顕彰碑が建てられている[3]。 1898年清末尋常小学校高等科を卒業後、山口県尋常中学校豊浦分校に入学。翌1899年山口県立豊浦中学校として分校から独立し、1903年に同校を卒業。広島高等師範学校に進み教鞭を執る志田順と知遇を得る。 師範学校卒業後、徳島県阿南市富岡中学校で1年教師を務

    松山基範 - Wikipedia
  • オリーブ色の斜めがけ鞄 : 「ファッション」と「コスプレ」の相違点について、改めて考えてみる。 - livedoor Blog(ブログ)

    ファッション」と「コスプレ」の違いを端的に一言で云うとそれは、 自分を出すか 自分を消すか の違いである。 ファッションは自己表現だ。表現は、外に向けられ、自分の好みや感情を他者や外界へ発信することである。 一方のコスプレは、別の誰かになることである。 自分を出していては、自分があこがれているそのキャラクターになりきることはできない。 自分をうまく消して、その上で対象のキャラクターと変化することで、最終的には自己を表現することになるのだろうが、レイヤー個人の個性というものはいったん消されなければならない。 ファッションはリアルの世界に属する。 ファッションは現実世界を生きるための鎧だ。 コスプレはフィクションに属する。 コスプレイヤーは、物語世界に繋がる“窓”そのものだ。 レベルの高いレイヤーのコスプレからは、その向こう側にある物語世界、フィクション世界の風を感じることがある。 窓から吹

  • KADOKAWAオフィシャルサイト

    令和6年能登半島地震により被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。

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  • 「田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし」藤田 覚 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十八世紀後半、江戸幕府の権力を掌握して様々な政策を断行し、通称田沼時代と呼ばれる一時代を築いた老中田沼意次(1719-1788)の評伝である。意次失脚後から現代まで脈々と続く悪徳政治家のイメージや、近年そのイメージへのカウンターとして登場した清廉な政治家としてのイメージのいずれからも距離を置いた、十八世紀後半という時代背景の中で生き、また時代をつくった田沼意次像を描いている。 田沼は、すくなくとも賄賂を受けいれている例もあり清廉潔白とは言い難いし、脇の甘さも目立つようだが、当時の多くの政治家たちも同様でもあり、特段悪質という訳ではないようだ。清廉潔白と呼ばれているような人――たとえばザ・清廉潔白な松平定信も――でも、大なり小なり贈収賄的なやりとりを行っている。そして、田沼の人柄の指摘が面白い。 当時の権力者たちに通じる特徴として、「権勢を誇らず」という点があるらしい。意次に限らず、当時の権

    「田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし」藤田 覚 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog

    先日の記事「近代日、海水浴の誕生」で明治時代に日の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実

    伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog
  • 「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「フランケンシュタイン(”Frankenstein, or The Modern Prometheus” フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス)」は1818年、英国の女性小説家メアリー・シェリー(1797-1851)によって出版された作品である。メアリーが書を書いたのは1816年19歳のこと、後にロマン主義文学を代表する女性作家の一人となる彼女のデビュー作にして最高傑作とされる。 フランケンシュタインはその名を非常によく知られている。僕は子供の頃に藤子不二雄Ⓐのマンガ・アニメ「怪物くん」に登場する忠実なしもべのフランケンとして知ったのが最初だが、その後もイメージとしての怪物「フランケンシュタイン」に何かと触れてきた。大人になってハマーフィルムの一連の作品やジェームズ・ホエールの初期二作「フランケンシュタイン」「フランケンシュタインの花嫁」なども見て、凶暴なモンスターとしての顔

    「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 怪獣名によくある「〇〇ゴン」の由来? | Kousyoublog

    「ゴン」の起源? – Living, Loving, Thinking 「カネゴン」以来? – Living, Loving, Thinking 〈☆☆ゴン〉といえば怪獣の名前だというコンセンサスはある筈なのだが、その「ゴン」の起源は? と、sumita-m先生が書いておられるが、たぶんドラゴンのゴンだと思う。以下、とりあえず10分ぐらいググった程度の特に裏付けは無い薄い記事。 「ウルトラQ」のカネゴンを挙げておられるが、そういえばラゴンという怪獣の名前も聞き覚えがあったなとググったらこれもウルトラQ登場の怪獣だった。ということで、「ウルトラQ」の登場怪獣(「ウルトラQ – Wikipedia」「ウルトラQの登場怪獣 – Wikipedia」)を確認してみると同作品における〇〇ゴンという名の初出は第三話に登場の「火星怪獣 ナメゴン」であるようだ。で火星怪獣ナメゴンの項「ウルトラQの登場怪

    怪獣名によくある「〇〇ゴン」の由来? | Kousyoublog
  • 「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

    アドルフ・ヒトラー率いるナチス第三帝国はその十二年の統治の間、ドイツ国民の支持を広範囲に得て味方につけ、その維持に力を注いだ。ほとんどの場合、ドイツ国民は自らの意思で、積極的に、戦局が悪化して体制崩壊寸前となってもなお独裁体制を支持し続けた。メディアを積極的に活用したヒトラー政権はさまざまな残虐行為を隠すよりも公開して、その意義を訴える一方で、巧みに情報統制を行い、国民もそれに同意したのである。 『第三帝国の歴史では一貫して、同意と強制とはもつれ合っている。その理由の一部は、国民がほとんど好意を抱いていなかった特定の個人、少数派、社会集団を狙って強制と恐怖の手段が行使されたからだ。』(P2) このでは、そのヒトラー政権を支持し続けた国民たちの姿が当時の公文書や新聞、メディア、その他さまざまな文書を元に生々しく描き出されている。上下二段組み全324ページの大著である。 ワイマール(ヴァイマ

    「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著
  • 「チーズと文明」ポール・キンステッド 著

    人類の歴史はチーズとともにあった。 紀元前七〇〇〇年頃、農耕牧畜の進展によって家畜から取れるミルクを豊富に生産できるようになり、さらにミルクを保存し、凝固させることが可能となる陶磁器製の容器が登場、西部アナトリアから肥沃な三日月地帯にかけての一帯でチーズ製造が始まった。 当時、ミルクに含まれるラクトース(乳糖)を消化するために必要なラクターゼを作ることができるのは乳幼児だけだったため、成人はミルクを飲むとお腹を壊してしまい飲むことが出来ない。一方でチーズは製造過程でラクトースが発酵し乳酸に変わるか、乳漿(ホェイ)とともに取り除かれるため、成人でもミルクの栄養を摂取することができる。そのような点でチーズ(とバター)は当時の人類にとって重要な栄養源であった。紀元前五五〇〇年頃以降、成人でもラクターゼを作る能力を遺伝的に持つようになり、現在では人類の多くがラクトース耐性を持っている。 チーズ製造

    「チーズと文明」ポール・キンステッド 著
  • 銀河英雄伝説再アニメ化ということで元ネタっぽい歴史上の戦争いくつか

    名将たちにまた会える! 「銀河英雄伝説」再アニメ化決定 – ねとらぼ 往年の人気SF小説「銀河英雄伝説」が再アニメ化だそうで、原作は中高生のころに繰り返し夢中で読んだので色々思い出深い。小学生のころから歴史を買ってもらって大喜びする変な子ではあったが、あきらかに僕の歴史好きに拍車をかけたのが「銀英伝」なのは間違いない所だ。 [amazonjs asin=”4488725007″ locale=”JP” title=”銀河英雄伝説全15巻BOXセット (創元SF文庫)”] 旧アニメ化シリーズは、その豪華キャストから銀河声優伝説の別名もあるようで、現代のアニメーション技術と声優・スタッフ陣でどのような大作が作られるのか楽しみにしたい。とりあえずアニメ化と聞いていの一番にアンドリュー・フォーク=C.V.子安武人さんを余裕で想像した。あとアンネローゼは大原さやかさんよな。 アスターテ会戦とナポ

    銀河英雄伝説再アニメ化ということで元ネタっぽい歴史上の戦争いくつか
  • 江戸幕府を震撼させた国書偽造スキャンダル「柳川一件」の顛末

    江戸時代初頭、対朝鮮外交を担っていた対馬藩では李氏朝鮮と徳川政権との間の外交文書「国書」の偽造が慢性的に行われていた。それは幕府にも朝鮮王朝にも秘密裏に行われていたが、ある日、対馬藩家老柳川調興(やながわ・しげおき)によって暴露され、政権中枢を巻き込んで将軍家光自ら解決に乗り出すほどの徳川幕府を揺るがす一大スキャンダルへと発展する。世に言う「柳川一件」である。 第一章 朝鮮出兵「文禄慶長の役」の戦後処理始まりは豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄慶長の役」である。日列島を統一した豊臣秀吉は文禄元年(一五九二)、ついに朝鮮半島へ軍を差し向ける。侵略の目的は「勘合貿易復活説」「領土拡大説」「東アジア新秩序説」などあって現在でも定まっていない(大石P32-33)が、無謀とも言える侵略戦争の爪痕は大きく、朝鮮半島を荒廃させ、明国を衰退させ、また日も前半は局地戦で圧倒したものの後半制海権を失い形成逆転さ

  • 「ろくでなし子」氏事件から垣間見る日本の警察・司法制度の諸問題 | Kousyoublog

    ろくでなし子さんの事件について、話題の中心になっているわいせつ問題については、僕は語るに足る見識を持っていないので何も書けることは無いが、以下の記事のろくでなし子さんが語る取調べ時の警察の対応について、これまでの様々な事件と同様に、現在の警察・司法制度の問題点を垣間見ることが出来る内容だと思ったので少しまとめておきたい。 『女性器3Dデータ事件 「ろくでなし子」が警察の“ウソ”を激白 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット) 連行された警視庁小岩警察署で待っていたのは、「誤導」するかのような“ウソ”の数々だった。ろくでなし子さんが憤る。 「まず、黙秘権の説明はされませんでした。供述調書作成の途中で『あ、言ってなかった』と初めて伝えられました。また、私が頒布したとされるデータを鑑定した科学捜査研究所の資料を見せられて『科捜研がわいせつと認めてるんだ』と説明されました。科捜研に認定と言

  • 王権の条件としての血統と即位儀礼についてとりとめなく | Kousyoublog

    ちょっとメモ。 『人が王となるのは、その起源は共同体首長に発するが、王家となって以後は、王たる者の血筋を引くことと即位儀礼の存在が条件となる。もちろん、政治的・軍事的実力やカリスマ性などによって新しい王朝を開く場合は、その限りではない。 比較的平和裡に王朝交代を実現する場合は、王の血統はいわば必要条件であり、たとえばフランスでは、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝は替わるが王はすべてカペー家の血筋の者によってたてられ、カロリング朝の王位を簒奪したカペー朝のパリ伯ユーグ・カペーにしても、権威あるカロリング朝のシャルル・マーニュの末裔を自称した。日の場合でも、天皇家において血統が絶対条件であったことは周知のことで、鎌倉・室町幕府=王朝においても将軍=王になるのは源氏=天皇家の末裔であった。秀吉の場合は、その欠点を補うために、日輪神話や落胤説などが唱えられたし、家康の場合は吉良家から系図を取得

    王権の条件としての血統と即位儀礼についてとりとめなく | Kousyoublog