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ブックマーク / pledgecrew.hatenadiary.org (5)

  • 駄目な人たち - 遠方からの手紙(別館)

    左翼はみんな「親中」だと思っている馬鹿 もう少し、勉強した方がいいよ。 そんな人に、「チベット問題を取り上げているのは感心」などと言われても ちっともうれしかないのだよ。 ずれてんのは、そういう君らの認識のほうだよ。 毛沢東主義なんて、理論的には全然お話にならない。 何しろ、いまだにスターリンは基的に正しかったと言っているくらいだから。 毛沢東思想というのは、むしろ「右翼思想」とのほうが親和性が高いのだよ。 農主義も反知性=反文化主義も極端なナショナリズムも専門性を否定する極端な平等主義も、 個を抹殺する「共同体主義」も、すべてアジア的反近代的な右翼思想の特徴だろう。 マオイズムにいかれた過去の左翼もたしかに馬鹿ではあるけどね。

    駄目な人たち - 遠方からの手紙(別館)
  • 「差別」についてのメモ - PledgeCrewの日記

    いつの時代も、社会の中の差別は、「おれはお前らを差別してやるぞー」などという悪意と差別意識をむき出しにした「差別主義者」などという者らによって支えられているわけではない。 社会の中に埋め込まれた多様な差別を実際に支えているのは、多くの場合、むしろ善意の人々の「優しさ」という無意識の差別である。それが不当な差別であることが、最初から誰の目にも明らかであるのなら、そのような差別などそもそも成立するはずがない。 だからこそ、親や家族、社会の「愛」によって圧殺され続けてきた脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」は、「われらは愛と正義を否定する」と宣言したのではなかったのか。 社会の中の多様な差別には、それぞれに異なる社会的な根拠とイデオロギー的な根拠がある。ある差別と闘っている人が、別の差別については無自覚に肯定している例など、探し出せばいくらでも見つかる。 自分がある差別のために苦しんだことがあり

    「差別」についてのメモ - PledgeCrewの日記
    lotus3000
    lotus3000 2010/08/29
  • 「社会的差別」とはなにか - 遠方からの手紙(別館)

    こことの関連で、「社会的差別」という問題について、ちょっと書きたくなったので書いてみる。結論をあらかじめ述べておくと、種々の「社会的差別」と、たんなる個人的な不利益一般の問題とは、まったく別の問題だということだ。そのへんをごっちゃにしてしまうと、あれも差別、これも差別、ということになって、話がどんどん拡散してしまうよと。 たとえば、先生が特定の生徒をひいきしたり、スケベな社長さんがお気に入りの女性社員を優遇するというようなことは、世間では珍しくもない。それは、たしかに他の生徒や社員からすれば不当ではある。しかし、その理由が、相手が「ゴマすり上手」とか「言うことをよくきく」、「容姿がいい」などといった、その先生や社長さんの個人的な好みや利害から発する限り、それは「社会的差別」の問題ではない(厳密に言えば、そこでもなんらかの「社会的価値観」が働いているということはなくはないが)。 「社会的差別

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    lotus3000
    lotus3000 2010/07/29
  • 丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって? - 遠方からの手紙(別館)

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1241019914/553 553 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/05/16(土) 09:36:04 id:P85aKpOW0 >>551 >「日には市民革命が起こらなかったからフンダララ」 典型的な「反証不可能な議論」だよな。 そもそも、アメリカの独立戦争は「市民革命」で日の明治維新はそうでないってんだから、 最初から基準が恣意的きわまりないわけで。 要は、何が何でも日はダメだとか言いたいumetenみたいな奴の後付けの理屈。 昔のサヨの教祖だった丸山真男とかって所詮その程度でしょ。上野千鶴子と一緒で、 一般向けにはそういう俗耳に入りやすいけど根拠薄弱なことを断定的に言うみたいな。 ヨニウム先生なんかはやっぱりその辺を忠実に見習ったんだろうねw 丸山真男は、かつて共産党系などの理論

    丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって? - 遠方からの手紙(別館)
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    lotus3000 2010/06/07
  • 「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape 一般的なものであれ、特定の人間に対するものであれ、人間の様々な行為や行動に対する批判的な言及は、人間の意識、つまりはその内面に対する問いかけを伴わざるを得ない。いささか型にはまったものが多いとはいえ、「差別」はいけない、「いじめ」はよくない、というような、よくある一般的な啓蒙だってそう。人間の意識=内面への問いかけを伴わない批判など、なんの現実的な変革ももたらさない、無力な批判にすぎない。 たとえば、アメリカでの黒人差別に反対し抗議した人らの活動は、なによりも、そのような差別を当たり前のもの、自明のこととしていた人らの意識=内面への問いかけを伴うものであったはず。そして、そのような批判を多くの人が正当なものとして受け入れた結果、現在では、少なくとも、公然たる「人種差別」は非難

    「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)
    lotus3000
    lotus3000 2010/04/22
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