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ブックマーク / blog.livedoor.jp/otaruohtaru (9)

  • タルタルソースも空を飛ぶ:俺はなぜはてブを使わないのだろう - livedoor Blog(ブログ)

    大学のPCから見たページを家から見るのにはてブ使うのもいいかなと思っていたのだが、なんとなくやめた。前から思っていたのだが、どうも俺ははてブと合わないらしい。はてブのコメントをみたり、記事を見るのに活用こそするものの自分でブックマークする気にはどうもなれない。 たぶんしたとしてもはてブするよりも直にブックマークする量のほうがきっと多い。実際、一回でも興味持った記事を書いたサイトは大体ブックマークかRSSに登録している。もちろん毎日全部見るわけではないが、きっと記事単位でブックマークしても後で見ない気もする。 それじゃあはてブ利用する意味はないと個人的に感じている。 ■はてブは素晴らしいとは思う はてブは画期的なシステムだとは思う。記事単位のブクマにより見たい記事だけを厳選できるし、さらにはほかの人へそれを伝えることもできる。うちもはてなから来る人口が未だに半数をしめ、はてなに育てられてきた

    lovecall
    lovecall 2007/04/28
    この意思表明はかっこいい。一年前のエントリだから、今はどう思っているか分からないけれど。
  • タルタルソースも空を飛ぶ:危険だとなぜわからない - livedoor Blog(ブログ)

    mixiをやってて思うことだが、みんな危機管理能力がなさすぎだろうと思う。何かといえば、個人情報の問題だ。俺も人のことをいえるほどではないが、俺のmixiをみてわかるのはせいぜい大学ぐらいで個人を特定されるまでの情報を垂れ流そうとは思わない。もっともそのせいで古い友人は俺がmixiをやっていることを知らない人が多い。 これはひどいと思うのが、出身幼稚園や小学校などを晒したり、住所をほとんど公開してたり…お前らバカだろといいたくなる。いや、別にたかだか一個人の情報が出回ったところで関係ないとか、友人までにしてるとか言われるんだろうけどね。 わかってる人も多いが、mixiはいまや安全でもなんでもない。 ■たしかにそれがmixiだが たしかにmixiというのは招待制をとっており、普通にwebページをもってそこに個人情報を晒すよりははるかにましだった。名前検索により、あまり会うことがなかった旧友と

    lovecall
    lovecall 2006/09/16
    ミクシィユーザーは本当に馬鹿だなぁ。馬鹿ばっかりだよ。なんでそんなに馬鹿なの?という話。
  • タルタルソースも空を飛ぶ:偽悪者 - livedoor Blog(ブログ)

    【偽善】心からでなく、みせかけにする善事。(広辞苑第五版より) いい意味では使われない言葉の一つ。よい行いをすると「お前は偽善者だ」といわれると腹がたたなくもない。でも、俺はこの言葉は嫌いじゃない。 6月頃に「偽」という記事でも言ったことだが、「偽」という言葉は「人の為」って書いて「偽」なのだ。 単なる屁理屈かもしれないが、こう考えると「偽善者」って言葉も「人の為に善い行いをする者」ととれなくはない。言葉の来の意味とは違うかもしれないが、こっちのほうがこの言葉を好きになれそうだろ? この前読んだラノベで「偽悪者」という言葉を使っていた。もちろんその作品中の意味では「みせかけの悪事」という意味だろう。 でも、考えた。この「偽」が「人の為」であるのであれば、と。他人のためにあえて悪事を行う、そういう意味にとれる。 他人の為に善い行いをできる人はたくさんいるだろうけど、他人の為に悪い行いをす

    lovecall
    lovecall 2006/08/31
    偽悪者=他人のためにあえて悪事を行う、という解釈。私には、できない。いまのところ。
  • タルタルソースも空を飛ぶ:無駄な文章なんてない - livedoor Blog(ブログ)

    俺はどっちかというと長文嫌いです。いや正確にはだらだらと長い長文が読みたくないんです。長い文章でもその中に起伏があったり、工夫があると読むのが苦でなくなります。 面白く、引き込める文を書けるならともかく、そんなことは簡単にやってのけるほどのものではありません。読ませる気がないんだったらともかく、読ませたいならなんとかしてほしい。これは固定読者の多いブロガーにとくに見られるようなきがしてならないんです。まあ、そういう人はきっと読みたくないなら読むな、っていう人なんでしょうけど。 ■中身か長さか、それとも簡潔にか まず、読まれる読まれないで、よくいわれることは中身、文の長さ、そしてまとまっているかである。でも、考えてみれば、おかしくはないだろうか。長さはともかく、中身なんて読まなきゃわからないでしょう。まとまっているかもある種の工夫でもしない限り、読まないとわからない。つまり多くの人たちが読む

  • タルタルソースも空を飛ぶ:サイドバーってどうよ? - livedoor Blog(ブログ)

    ブログのデザインについてとやかく考えることが多いが、そもそもこだわる必要があるのだろうかと最近思ってきた。いやたしかに自分が他人のブログ見てあったほうがいいなと思うが、実際問題なくてもいいんじゃないかと思うことのほうが多い。 文字の大きさや見易さ、っていうのはもっとも優先的に考える必要のあることなので、とやかくいったりはしないが、サイドバーは必要なのかってたまに思う。 サイドバーについてとやかく言う前に考えてみてよ。 ■サイドバーに必要なものって何? よく表示しないやつは何を考えてるのかと言われるのが最新コメントと最新TB。たまにいらなくない?と思う。だってこれってコメントやTBしたやつは見るかもしんないけど、別になくてもよくね?ほんとの意味でコメント好きな人はそんなとこ見なくて、コメントしたところ確認するだろうし、TBだってとばしたから何?って思う。 カテゴリーや月別アーカイブだって必要

    lovecall
    lovecall 2006/06/22
    『サイドバーを一番活用してるのは自分だ』激しく同意!
  • タルタルソースも空を飛ぶ:知り合いにブログを教えるということ - livedoor Blog(ブログ)

    直接の知り合いに自分のブログを教えるという行為を嫌うブロガーはなにやら多いようです。特に日記系以外のブロガーにとってその行為によって何かが変わってしまうことを恐れているようにも見えないでもない。気のせいかもしれないのだが。 うちのブログは高校時代の友人のサイトにリンクが貼ってあります。立ち上げ初期はアクセスの全てがそこから来てました。今でははてなや個人ニュースサイト様、たまに検索エンジンから来る人、そしてブクマなどから来る人が増え、逆に直接の知り合いはほとんどここを見に来なくなりました。理由は俺の書くことに興味がないからだと思います。 それはそうだろう。ブログ論なんて興味のない人間にはただのお経だから。 ■知り合いに知らせても見ない人は見ない たしかに自分がこんなブログをやってるというのは人に自分からはあんまり話しません。でも、聞かれれば答えますし、たまにやっていることだけは話す。見ること

  • タルタルソースも空を飛ぶ:文章から人はわからない - livedoor Blog(ブログ)

    人の文章を読むことは楽しいことだ。その人の一部分が垣間見えますし、怖い人だと思ってた人が意外にも楽しげな文を書くと印象も変わってくる。文章は書き手の一部であると思うときもある。 ここを見てくれる人もそうですけど、ブロガー人の実態を知ってる人はほとんどいないです。そういうとき、読み手は文章を見てこの人はこういう人だなぁとか考える。でもそれは自分の都合のいいように考えた幻想かもしれない。 ■文章から読み取ることは? 人の文章からは情報以外にもその人の人柄があらわれます。でも、それは意識して出しているものではないので、読み取らなければなりません。しかしながら、わざわざそういうのを考えながら読む人はあんまりいないでしょうし、結局は印象からその人の像を作り出すしかないんです。 また、文章なんてものはいくらでも偽ることができます。もしかしたら俺は大学生どころか中学かもしれませんし、おっさんかもしれま

    lovecall
    lovecall 2006/05/03
    『外見よりも偽りやすく、外見よりも内面を垣間見る可能性のあるもの/文章から判断できる人物像は偽りでありながらも真実である』うんうん、文章って外見だよね。
  • タルタルソースも空を飛ぶ:あんたが何を書くのも自由だ - livedoor Blog(ブログ)

    えっけんさんの自分のブログで何を書こうとその人の勝手だ、というマヌケなクレームを見て考えたことです。 えっけんさんがどう考えてるかはともかく、「自分のブログで何を書こうと人の勝手だ」という言葉、ある意味すばらしく馬鹿らしく、ある意味すばらしく真理をついてる言葉だと思う。この言葉って使い方しだいではその人の人間性が疑える気がします。 言葉は使い方、状況しだいで善にも悪にもなる。その代名詞といっても過言ではない。 ■何を書くかという自由 たしかに自分のブログですから何を書こうが自由です。わざわざ見に来てクレームつけにきた人のほうがおかしいんじゃないと思うことだってあります。極端に言えば、ここで俺が戯言をやめて日記だけをたんたんと綴るのだって、自作の小説や詩を書くのだって自由です。でもそんなことはしません。なぜか? 理由の一つは戯言を書くことが楽しいからです。自分の考えたことを一般に公開し、反応

    lovecall
    lovecall 2006/04/29
    『書いた記事について悪口を言われたりするときに自分のブログであるが故の自由を持ち出すのは問題外だということ / ブログっていう公開された場にある以上見られ、何か言われるのは当たり前のこと』
  • タルタルソースも空を飛ぶ:読まれない文章に意味はあるのか - livedoor Blog(ブログ)

    『見られないサイトに意味はあるんでしょうか』 いくら書いてもアクセス数が一桁のサイト(うちもたいしてないです)ってあるはずです。まあ書けば人が来るかっていえば違うんですけどね。でも、サイトを見られることは自分の意見を他人に表明していることです。だったら、見られないサイトに意味はあるのでしょうか? それでもわざわざ書いて、ブログにアップするということは誰かにみられることを期待してですか?いいえ、ただの自己満足です。とくに見られて意見されることに反発するような人は何がしたいのかわかりません。 ■それでも書く 自己満足に過ぎないのにこうやって書くのはなぜでしょう?答えは簡単、誰かに見てもらいたい意見だからです。誰にも見てほしくないんだったら書くな、心のうちにしまっておけ。見て欲しいならそれなりに努力をしろ。見られる努力もしないのであればやはり意味はないのではないか。 ええ、見られることを待ってる

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