以前、金子兜太さん主宰の『海程』から、「際(き)りもなく薯食う関東流れ者」という一句を紹介した。 俳句の世界を大きく拡張する作品を、この1919年生まれの俳人が今なお生み続けていることの驚異を、そのとき俺は強調したはずである。 そして、『海程』の2008年1月号を昨夜開いて、俺はまたぶっ飛んだ。 去年今年男根ゆれて精おぼろ なんだ、この句は! 老年特有の、輪郭の淡い世界、というのではない。 そんなものは正直、これまでの文学で俺はいくらでも読んできた。 兜太さんの句は違う。 いまだに男根は揺れている。 それは「おぼろ」という限り、燐光のようなもので薄く輝いている。 生命とは別の、いのちのかたちの存在をこの句は示している。 金子兜太の代表句に出会うたびに、俺はこれが本当に17文字か?と思う。 もしも「男根ゆれて精おぼろ」という凄みのあるビジョン、内容を人が語れたとしても、そこで17文字を使い切