ローマの地下鉄の工事現場で次々と遺跡が見つかってその度に中断する中、美しいフレスコ画や彫刻が見つかったり、場面変わって戦時中の娼館の様子、若い兵士たちが詰め掛ける中、強面な女たちが挑戦状を突きつける。兵士たちから死んでも嫌だと野次が飛ぶ。お次は60年代の若者たちの自由恋愛やヒッピーが闊歩していた時代。ついに警察が一斉検挙を始めるところ。最後は多数の暴走族のバイクが集団でローマを走る所で終わる。様々な姿のローマ。最後はなんか虚無的な終わり方。
ローマの地下鉄の工事現場で次々と遺跡が見つかってその度に中断する中、美しいフレスコ画や彫刻が見つかったり、場面変わって戦時中の娼館の様子、若い兵士たちが詰め掛ける中、強面な女たちが挑戦状を突きつける。兵士たちから死んでも嫌だと野次が飛ぶ。お次は60年代の若者たちの自由恋愛やヒッピーが闊歩していた時代。ついに警察が一斉検挙を始めるところ。最後は多数の暴走族のバイクが集団でローマを走る所で終わる。様々な姿のローマ。最後はなんか虚無的な終わり方。
もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。 忘れがちなので再掲 凝り固まった常識を打ち破り、全てが流転する思考へ導く。海流のようにダイナミックに力強く流動性を取り戻せ。
あなたが面白いと感じるものはあなたが既に知っている事にすぎない。殆どの事は柳の下の二匹目のドジョウであり二番煎じでデジャヴでしかない。私たちが物を分かるのは毎日通る道だから既に右に曲がればパン屋があり左に曲がればコンビニがある事を知っているからだ。はじめて来た街で何がどこにあるのか分からない状態が未知の状態に近いけど同じ日本の街ならだいたい察しが付くというのはある。私たちが本当に知らないものに出会ったらそれが何であるのかも分からず、泣いていいのか笑っていいのか怖れていいのか喜んでいいのか分からないのである。だから面白い本というのは残念でした同じ本を買ってしまいましたね。それは固有名詞を差し替えただけの商業主義が生産する安直な量産本にすぎない。ハリウッドの映画もしかり。なんで人は既に知っていることをそれ程求めるのか。それが快感だから。まぁそれは何度でもメロドラマに涙する事と同じなのだが。そこ
君は物事を知らない。私はいろいろ知ったからそれを伝授しようと頼みもしないのに押し付けて来る。状況説明はいらない。選択権を与えるだけで充分だ。それなのにそれに付随してどうのこうのあなたのため世間はそんなに甘くないと自分の人生価値観を語る。結論がない経験なら参考になるかもしれないがそこからあなたが得た結論はけして役に立つとは限らない。あなたの場合はそうだったというだけでしょう。人はそれを忘れて傲慢になる。自分の経験は役に立つと自信を持って全ての場合に適用とする。普遍的と思っている。時代状況が変わっても変わらない一定不変の法則を捉えていると思っている。確かに役に立つ部分もあるだろう。しかしそこを誤って全部を押し付けようとすれば間違いを犯す事になる。歳はとりたくないものだ。
ネットを従来のメディアが一つ増えたという感覚で使うと失敗する。それの格好の例がソニーのウォークマンのブログ販促の失敗だった。ネットではどんな仕掛けも内情が暴露され本当の所というのが求められてしまう。ではネットは企業が利用できない近づくべきでない聖域なのか。ネットでは小細工は一切無効なのだから現状を全て曝け出してアイデアが自然に集まる原理を使うしか無い。そこでは企業の意思は無視され、ただ陳列の中で評価を待つしかない。全てを曝け出してその活動が評価されればプラスになるし、されなければマイナスとなる。ウソが効かない厳しい世界だ。そこでは本当にウケるものだけがウケて流されるものは流される。もし未完成のアイデアがあって問題があるならそれを公表して一緒になって問題解決にあたるというのがネットの使い方で従来の企業秘密という枠組みではネットを利用する事はできない。そういったネットで生まれた製品となればそれ
放っとけない世界の貧しさに賛同するならホワイトバンドを付けるように、エイズならピンクバンドを付ければいいじゃん。エイズ撲滅キャンペーンなんてあるけど一体どうやって防ごうとしているのか。差別があるからといって検査も義務づけずに放置状態。そうして知らないうちに蔓延しているのが現状じゃないのか。真剣にエイズ撲滅を謳うなら国民全員にエイズ検査を義務付けるのが本来。オカマ野郎にはパープルバンド、共産党員にはレッドバンド、右翼にはブルーバンド、水俣病患者にはシルバーバンド、前科者にはブラックバンド。こうして包み隠さず露にしてなおかつ差別を無くしていこうとしなければ、口だけ差別をなくそうなんて無意味。 人間を見える化する事でもあるな。
「鏡の法則」もちと長いが分かり易い話なのだろう。で、分かり易い話とヤラセから歌舞伎を思い出してしまう。現代のテレビドラマは現代版歌舞伎なんだな。完成された技法、変わり身のない展開。こういうと現代に歌舞伎を甦らせようと斬新的に活動している人達に失礼だけどここでは完成された古典芸能という意味で歌舞伎という言葉を使っている。もうテレビドラマというものはこういうものでこういう面白さをとって数字を計算して商業に組み込まれているのだからそういうものだけどそれがハリウッドでもあるわけだ。そんな所から何か新しいものが生まれるわけないのだけれど。いい加減この状況に飽きないのかと不思議に思う。ただの繰り返しじゃないのかよ。お前らただのクルミ割人形かと毒づいてみてもそういうのは巨大なる資本主義に飲み込まれてしまったのが70年代ではなかったのか。そうしてしらけ世代、従順世代、くすぶり世代と来てオタク世代ニート世代
スーパーで落花生が売っている。国内産と中国産がある。中国製は国内産の4倍はあろうかという量で国内産の半額である。それでも農薬問題や安全性を考えたら国内産を選択するという余地は残されているのだろうか。その余りにものコストパフォーマンスの違いに日本の農業の放漫を見る。せめて量は同じで価格が倍位なら安心を買うという機会が残されていると思う。そういった経営努力が全く見られない農業はさっさと終了するしかない。スーパーに堂々とその価格で置いてある事が厚顔無恥と言える。 追記:最初買う時は国内産を選ぼうともしたがそのあまりの値段の差にばかばかしくなりここで国内産を選んでしまったら現状を肯定してしまう事になるので国内農業の為にも泣く泣く中国産を選びました。これも日本の農業を目覚めさせる為の非情の決断です、ふっ。
ワールドカップがここまで国民的関心事になってしまうとは。これもここ10年のことだろうし、4年前の日韓大会の影響ももちろん大きい。ネットの急速な発達や狂牛病や新たな病気。路上は何処も禁煙になったり車中も全面禁煙。ほんと常識なんてあっという間に変わってしまう。10年前の人間が突如現れたら社会生活に支障を来すかもしれません。ま、古の時代から無常を感じて来た国だから今に始まった事じゃないらしいけど。
これは一つの持論なんですが、軽く笑って読み飛ばしてください。お父さんやお母さんが子供を乗せて車を運転します。時速60kmで走っていたとします。道路には50kmの標識があります。子供は当然最初は疑問を持つはずなんです。どうして50kmと書いてあるのに60kmで走っていいのか? そこをどう答えるのかが大人の知恵というものかもしれません。「アレは60kmで走らせる為に50kmという制限がついているんだよ。その位でちょうどいいんだ、ついついスピードが出てしまうものだから。」「誰も守っているヤツなんていないの。捕まらなければOK」「世の中には建前と本音っていうのがあるのよ」etc。こうして子供は世間を知り大人になっていくのですがこの原点が法律を疎んじる原因となっていると主張します。日本社会が軽々と法律を犯し、企業が法律遵守をしないのも、企業不祥事が絶えないのも、ライブドアがお縄になったのも村上ファン
面白そうだから自分もやってみる。 20位 動物愛護主義者なんて偽善者。自分は動物より上だと思っている。しかも自分はやさしいと思っているから始末にを得ない。 まぁそうだけど、いてもいいんじゃないかと思う。それで世の中釣り合うし。 19位 私はバカと言う人は本当はバカだと思っていない。 そういう事は多い。 18位 社会に適応する-プライドが退化してつまらねー大人になること。 まったく。あぁでもプライドはなくてもいいかも。 17位 世間と笑いのギャップが見つかるとキチガイ扱いされるから気をつけよう。 この辺は今は少し幅が広がったか。 16位 処世の基本は作り笑いなのに「作り笑いはいやらしい」という潔癖症が処世の邪魔になる。 まったく。自分は自分を通すしかない。 15位 どうせその場で強い方が正しいことになってしまうのだから、長いものに巻かれて生きるしかないのに、それは情けない事だと思っているので
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