パリの北東10キロの所に、ドランシーという町がある。エッフェル塔や凱旋門、ルーブル博物館とは違い、観光客が訪れることはほとんどない。 ここに、U字型をした5階建ての団地がある。壁を白く塗られた、殺風景な建物である。ナチス・ドイツはフランスを占領した1940年から4年間にわたり、ユダヤ人など約6万5000人をこの建物に一時的に拘束した。当時この建物は、鉄条網のある柵で外界から遮断され、監視塔も建てられていた。 ドランシーに収容されたユダヤ人の大半は、アウシュビッツなどの強制収容所へ送られ、ガス室で殺害された。生還したのは、その内の約2%、つまり1467人にすぎない。ナチスがドランシーを収容所に選んだ理由は、近くに貨物列車の駅があったこと。ユダヤ人たちは、ブルジェー駅などから家畜輸送用の窓のない貨車に詰め込まれて、アウシュビッツへ送られた。現在、ドランシーの建物は団地として使われているが、中庭
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