もうたくさんだ! VOL.1 文=鶴見 済 連載の一回目は自己紹介も兼ねつつ、今時の「自由」や「安定」や「生存」について考えたい。 よりいい学校に進み、卒業と同時によりいい会社に入り、その会社でよりいい役職に就く。一生を「会社人間」あるいは「会社の奴隷」として生きる。それが、一九六四年に東京で生まれた自分にとって当たり前の人生だった。大学検定試験もなかった小中高時代、その人生のレールから降りることは、世の中的に許されていなかったようなものだ。 精神に障害を来たしてまで大学受験にはまった結果、八四年の大学入学と同時に精神科に通いだした。バブル経済時代は消費とネアカ(根が明るい性格)がもてはやされる悲惨な時代で、しかも精神科など今のように気軽に行ける場所ではなく、そのことは誰にも言わなかった。パンク・ロックがあってくれたおかげで、何とか開き直って生きていけた。 八九年に大学を卒業して、とある大
この話ばかりだが、『オルタ』での連載「もうたくさんだ!」の1回目の記事がネットで読めるようになった。 http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_07-08_yabasta.html ここでも書いているとおり、この「経済の仕組み」に依存しないで生きることは、いよいよ世界中で差し迫った問題になってきた。 ならば、別のどういう仕組みに向かっていったらいいのか? ちなみに自分はもう何年も、出した生ゴミ(髪の毛や爪も含む)などを肥料にして、土を作り、種をまき、野菜や果物を育てて食べている。 とは言っても大々的にやっているわけではなく、まったく些細なことなんだけれども、これだけのことのなかに、大げさに言えば我々の「生」や「死」の問題まで含めた「本来の仕組み」とでも言うべきものが凝縮されているように思えるのだ。 こういうことは、企業のイメージアップだけのた
いやあ、すごいもん見た。魂消たよ。 映画ファンやアメコミ好きにとってはひとつの「事件」と化している「ウォッチメン」の映画版。いよいよ日本でも劇場公開となったが、なるほどこれはすごい。改めてハリウッドはどんどんおもしろくなっていくなあと思った。イラク侵攻の失敗と悪政と金融危機によって、本格的に21世紀型ニューシネマの時代に突入したのだなあと思った。 昨年の映画界の話題をさらった「ダークナイト」でも、正義が混沌にぐいぐい呑みこまれていく暗黒物語が展開されていたが、「ウォッチメン」はさらに危うさを追求したエクストリーム大作に仕上がっていた。三分に一度の割合で噴出する容赦のない暴力も大変すばらしく、火あぶりや油ぶっかけ、指折り腕折り叩きつけ、切断感電木っ端微塵と、病的なほどに取り揃えられた暴力メニューの豊富さにエクスタシーを覚えたことも書いておく。暴力を見せる(魅せる)という意味では、「ダークナイ
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