ブックマーク / bonjin5963.hatenablog.com (718)

  • ますらをの弓末振り起し射つる矢を・・・巻第3-364~365 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 364 ますらをの弓末(ゆずゑ)振り起(おこ)し射(い)つる矢を後(のち)見む人は語り継(つ)ぐがね 365 塩津山(しほつやま)打ち越え行けば我(あ)が乗れる馬ぞつまづく家(いへ)恋ふらしも 要旨 >>> 〈364〉立派な男子たる私が弓の先端を振り起こして射かけた矢、その矢の見事さは後の世の人が語り継いでいくだろう。 〈365〉塩津山を越えていくとき、私の乗っている馬がつまづいた。家でが私を恋しがっているからだろう。 鑑賞 >>> 笠金村が塩津山で作った歌。「塩津山」は、琵琶湖北端の地、長浜市西浅井町塩津浜から敦賀に越えて行く国境の山で、難所として知られていました。越前から運ばれてきた塩をここから都に湖上輸送したことから「塩津」と呼ばれました。ここの歌は、笠金村が都から北陸へ行く道中に詠んだ歌と見られます。 364の「語り継ぐがね」の「がね」は、願望の終助詞。この時代、旅

    ますらをの弓末振り起し射つる矢を・・・巻第3-364~365 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/18
  • うち鼻ひ鼻をぞひつる・・・巻第11-2637 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> うち鼻(はな)ひ鼻をぞひつる剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)し思ひけらしも 要旨 >>> くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰に帯びる剣大刀のようにいつも寄り添ってくれているが、私のことを思ってくれているらしい。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「鼻ふ」は。くしゃみをする意。くしゃみは恋人に逢える前兆とされました。「剣太刀」は「身に添ふ」の枕詞。「けらし」は「ける・らし」の転。「らし」は根拠に基づく推定。

    うち鼻ひ鼻をぞひつる・・・巻第11-2637 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/17
  • 浅緑染め懸けたりと見るまでに・・・巻第10-1846~1849 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1846 霜(しも)枯(が)れの冬の柳(やなぎ)は見る人のかづらにすべく萌(も)えにけるかも 1847 浅緑(あさみどり)染め懸けたりと見るまでに春の柳(やなぎ)は萌(も)えにけるかも 1848 山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川柳(かはやぎ)は萌(も)えにけるかも 1849 山の際(ま)の雪の消(け)ざるをみなぎらふ川の沿ひには萌(も)えにけるかも 要旨 >>> 〈1846〉霜で枯れた冬の柳は、見る人の髪飾りにしたらよいほどに、芽が出ていることだ。 〈1847〉まるで浅緑色に染めた糸をかけたように、春の柳が芽吹いていることだ。 〈1848〉山間には雪が降っているけれども、この川楊は芽吹いていることだ。 〈1849〉山間の雪はまだ消えていないのに、水があふれるこの川沿いでは、もうすっかり芽吹いていることだ。 鑑賞 >>> 「柳を詠む」歌。「柳」は、しだれ柳。1846の

    浅緑染め懸けたりと見るまでに・・・巻第10-1846~1849 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/16
  • 防人の歌(18)・・・巻第20-4401~4403 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4401 韓衣(からころむ)裾(すそ)に取り付き泣く子らを置きてぞ来(き)ぬや母(おも)なしにして 4402 ちはやぶる神の御坂(みさか)に幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ふ命(いのち)は母父(おもちち)がため 4403 大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み青雲(あをくむ)のとのびく山を越よて来(き)ぬかむ 要旨 >>> 〈4401〉私の裾に取りすがって泣く子らを置いて来た。子には母親もいないというのに。 〈4402〉神様のいらっしゃる御坂にお供えをし、わが命の無事をお祈りするのは母と父のためなのだ。 〈4403〉大君のご命令を畏んで、青雲のたなびく山を越えてやって来た。 鑑賞 >>> 信濃国(長野県)の防人の歌。 4401の「韓衣」は大陸風の衣服で、横幅の裾がついていたところから「裾」の枕詞。「子ら」の「ら」は接尾語。4402の「ちはやぶる」は「神」の枕詞。「神の御

    防人の歌(18)・・・巻第20-4401~4403 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/15
  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(13)・・・巻第15-3771~3774 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3771 宮人(みやひと)の安寐(やすい)も寝(ね)ずて今日今日(けふけふ)と待つらむものを見えぬ君かも 3772 帰りける人(ひと)来(きた)れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて 3773 君が共(むた)行かましものを同じこと後(おく)れて居(お)れど良きこともなし 3774 我(わ)が背子(せこ)が帰り来まさむ時のため命(いのち)残さむ忘れたまふな 要旨 >>> 〈3771〉宮廷に仕える私は安眠もできず、お帰りを今日か今日かとお待ちしているのですが、お姿を見ることはありません。 〈3772〉赦されて帰ってきた人たちが着いたと聞いて、もうほとんど死ぬところでした。もしやあなたと思って。 〈3773〉こんなことならあなたと共にに行けばよかった。旅はつらいというけれど、残っていても同じことです。何のよいこともありません。 〈3774〉あなたが帰っておいでになる、その時のた

    中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(13)・・・巻第15-3771~3774 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/14
  • 遣新羅使人の歌(12)・・・巻第15-3605~3609 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3605 わたつみの海に出(い)でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ我(あ)が恋やまめ 3606 玉藻(たまも)刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎に廬(いほ)りす我(わ)れは 3607 白たへの藤江(ふぢゑ)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを 3608 天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)を恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より家のあたり見ゆ 3609 武庫(むこ)の海の庭(には)よくあらし漁(いざ)りする海人(あま)の釣舟(つりぶね)波の上ゆ見ゆ 要旨 >>> 〈3605〉大海に流れ出るあの飾磨川の流れが、もし絶えることでもあれば、わが恋心も止むだろうが。 〈3606〉美しい藻を刈る乙女の名の浜を通り過ぎ、夏草が生い茂る野島の崎で仮の宿りをしている、私は。 〈3607〉藤江の浦で漁をする海人だと人は見ているだろうか。そ

    遣新羅使人の歌(12)・・・巻第15-3605~3609 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/13
  • 聖武天皇の印南野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-935~937 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 935 名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしほ)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの 思ひたわみて た廻(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟梶(ふなかじ)をなみ 936 玉藻(たまも)刈る海人娘子(あまをとめ)ども見に行かむ舟楫(ふなかぢ)もがも波高くとも 937 行き廻(めぐ)り見(み)とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白波 要旨 >>> 〈935〉名寸隅(なきすみ)の舟着き場から見える淡路島の松帆の浦で、朝凪ぎの時には藻を刈り、夕凪ぎの時には藻塩を焼いている、海人の娘子たちがいると聞いているが、その娘子たちを見に行く手だてがないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわや

    聖武天皇の印南野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-935~937 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/12
  • 四極山うち越え見れば・・・巻第3-272~273 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 272 四極山(しはつやま)うち越え見れば笠縫(かさぬひ)の島(しま)漕(こ)ぎ隠(かく)る棚(たな)なし小舟(をぶね) 273 磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)の海(み)八十(やそ)の港に鶴(たづ)さはに鳴く 要旨 >>> 〈272〉四極山を越えて、見ると笠縫の島の辺りを漕いで姿を消していった船棚のない小舟よ。 〈273〉出入りの多い琵琶湖の岸を漕ぎ廻っていくと、多くの港ごとに鶴がさかんに鳴いている。 鑑賞 >>> 題詞に「高市連黒人が羈旅の歌八首」とあるうちの2首。272の「四極山」も「笠縫の島」も、所在は不明ですが、前後の歌がすべて東国の地を詠んでいるところから、三河国ではないかといわれます。「棚なし小舟」の「棚」は、船の舷側にとりつけた棚板で、それのない小さな舟の意。そのような舟の航海は、できるだけ岸を離れないように船を進めていましたから

    四極山うち越え見れば・・・巻第3-272~273 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/11
  • 大原のこの市柴の何時しかと・・・巻第4-513 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 大原のこの市柴(いちしば)の何時(いつ)しかと我(わ)が思(も)ふ妹(いも)に今夜(こよひ)逢へるかも 要旨 >>> 大原のこの柴の木のようにいつしか逢えると思っていた人に、今夜という今夜はとうとう逢えることができた。 鑑賞 >>> 志貴皇子(しきのみこ)が、ようやく逢うことのできた「妹」と呼ぶ女性に与えた歌。上2句が、類音で「何時しか」を導く序詞。眼前の景色を捉えるとともに、「何時しか」を強め、強く待ち望みながら、逢えた喜びの深さを表しています。「大原」は、奈良県明日香村の小原(おうばら)。「市柴」は、繁った柴のことか。「柴」は、雑木。山野などで男女が逢うのは、人目を避けるためで、大津皇子の巻第2-107の歌にもあったように、当時はふつうに行われていたようです。 なお、志貴皇子という人について、作家の大嶽洋子は次のように述べています。「彼の処世術については、あらゆる憶測が飛

    大原のこの市柴の何時しかと・・・巻第4-513 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/10
  • 有馬皇子を偲ぶ歌・・・巻第2-143~146 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 143 磐代(いはしろ)の岸の松が枝(え)結びけむ人は帰りてまた見けむかも 144 磐代の野中(のなか)に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ 145 天(あま)翔(がけ)りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ 146 後(のち)見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも 要旨 >>> 〈143〉磐代の岸の松の枝を結んだという人は、無事に帰ってきて、再びその枝を見たのだろうか。 〈144〉磐代の野中に立っている結び松よ、お前のように私の心にも結び目ができて解けず、昔のことがしきりと思われる。 〈145〉有間皇子の魂は空を飛び、いつもこの松に通って見続けているだろう。それは人は知らなくとも、この松は知っている。 〈146〉後に見ようと思い決め、君が結んだ磐代の小松の枝先を、再び見るであろうか。 鑑賞 >>> 謀叛の疑いをかけられ、わずか19歳で殺された有間皇子(

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    ma2no_z32 2023/06/08
  • 弓削皇子と額田王の歌・・・巻第2-111~113 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 111 いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く 112 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと) 113 み吉野の玉(たま)松が枝(え)は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく 要旨 >>> 〈111〉過ぎ去った昔を恋い慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の御井の上を鳴きながら大和の方へ渡っていきます。 〈112〉あなたが「昔を恋い慕う」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう、おそらくそのホトトギスが鳴いたのでしょう、私が昔を恋い慕うように。 〈113〉吉野の松の枝の愛しいこと、あなたのお言葉も届けてくれるので。 鑑賞 >>> 111は弓削皇子(ゆげのみこ)、112・113は額田王(ぬかたのおおきみ)の歌。弓削皇子は天武天皇の第9皇子(第6皇子とも)で長皇子(ながのみこ)の弟。『万葉集

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    ma2no_z32 2023/06/07
  • 石見の海角の浦廻を浦なしと・・・巻第2-131~134 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 131 石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む なびけこの山 132 石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木(こ)の際(ま)より我(わ)が振る袖(そで)

    石見の海角の浦廻を浦なしと・・・巻第2-131~134 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/06
  • 軍王の歌・・・巻第1-5~6 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 5 霞(かすみ)立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むら肝(ぎも)の 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠つ神 我が大君(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり居(を)る 我が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心(したごころ) 6 山越(やまごし)の風を時(とき)じみ寝(ぬ)る夜(よ)落ちず家なる妹(いも)をかけて偲(しの)びつ 要旨 >>> 〈5〉霞が立つ長い春の日が、いつの間にか暮れてしまった。そんな日は心が疼くので、ぬえ鳥のように一人忍び泣きしていると、かつて神であった天皇が行幸されている山からの朝夕の風が、一人ぼっち

    軍王の歌・・・巻第1-5~6 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/05
  • 言問はぬ木にもありとも我が背子が・・・巻第5-812 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 言(こと)問はぬ木にもありとも我が背子が手馴(たな)れの御琴(みこと)地(つち)に置かめやも 要旨 >>> 言葉を語らない木ではあっても、あなたが弾きなれた御琴を地に置くような粗末などいたしましょうか。 鑑賞 >>> 天平元年(729年)10月7日、大宰府にいる大伴旅人から、都の中衛府(ちゅうえいふ)大将・藤原房前(ふじわらのふささき)のもとへ、手紙とともに一面の琴が贈られてきました(巻5-810~811)。この歌は、琴を受け取った房前から旅人への返事に添えられた歌です。 旅人は、なぜ房前に琴を贈ったのでしょうか。そこで、この背景にあった不穏な政情にも触れなければなりません。この手紙と琴が贈られたのと同じ年の2月、当時の最高権力者だった長屋王(ながやのおおきみ)が、藤原氏の陰謀により自害させられました(長屋王の変)。その理由の一つは、藤原氏出身の光明子を立后させることに長屋王

    言問はぬ木にもありとも我が背子が・・・巻第5-812 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/04
  • うるはしき君が手馴れの琴にしあるべし・・・巻第5-810~811 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我が枕(まくら)かむ 811 言(こと)問はぬ木にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴(こと)にしあるべし 要旨 >>> 〈810〉何時の日にか、私の音色を分かってくださる方の膝の上に、私は枕するのでしょうか。 〈811〉言葉を言わない木であっても、立派なお方が大切にしてくださる琴となるに違いありません。 鑑賞 >>> 天平元年(729年)10月7日、大宰府にいる大伴旅人から、都の中衛府(ちゅうえいふ)大将・藤原房前(ふじわらのふささき)のもとへ、手紙とともに一面の琴が贈られてきました。藤原房前は不比等(ふひと)の子で、藤原四兄弟の一人、北家の祖となる人物です。手紙の文面は次のような内容でした。 「大伴旅人から謹んで言上します。これは、対馬の結石(ゆうし)山の孫枝(ひこえ)で作った、青桐の大和琴一面です。こ

    うるはしき君が手馴れの琴にしあるべし・・・巻第5-810~811 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/03
  • 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥・・・巻第1-70 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 大和には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山(なかやま)呼びそ越(こ)ゆなる 要旨 >>> 大和には今ごろ呼子鳥が鳴いて来ているのだろうか。象の中山を人を呼びながら鳴き渡っている声が聞こえる。 鑑賞 >>> 高市黒人(たけちのくろひと)が、持統太上天皇の吉野行幸に従駕したときの作。この歌は、作者の正式な宴遊歌として現存する唯一の歌で、「大和」は、藤原京を指しています。「呼子鳥」は、カッコウまたはホトトギス。この名は時代と共に変化しており、「喚子鳥」と書いた字面から「閑古鳥」といわれ、やがて郭公(カッコウ)になったとされ、カッコウを呼子鳥といった例が最も多いようですが、未だ定説がありません。「象の中山」は、吉野離宮の上の象山(きさやま)。「中山」は、中間の山。 高市黒人は柿人麻呂とほぼ同時代の下級官人(生没年未詳)。大和国6県の一つである高市県の統率者の家

    大和には鳴きてか来らむ呼子鳥・・・巻第1-70 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/02
  • 聖武天皇が難波の宮に行幸あったとき、笠金村が作った歌・・・巻第6-928~929 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 928 おしてる 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし里と 人皆(ひとみな)の 思ひやすみて つれもなく ありし間(あひだ)に 績麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷(し)きて (を)す国を 治(をさ)めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 廬(いほ)りして 都なしたり 旅にはあれども 929 荒野(あらの)らに里はあれども大君(おほきみ)の敷きます時は都となりぬ 930 海人娘子(あまをとめ)棚(たな)なし小舟(をぶね)漕(こ)ぎ出(づ)らし旅の宿(やど)りに楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ 要旨 >>> 〈928〉難波の国は、もう古びた里だと、世の人は皆心にもかけなくなり、疎遠になっているうちに、われらの大君が、ここ難波長柄の宮に真木の柱を高く太くがっしりとお建てに

    聖武天皇が難波の宮に行幸あったとき、笠金村が作った歌・・・巻第6-928~929 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/06/01
  • 元正天皇の吉野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-910~912 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 910 神(かむ)からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内(かふち)は見れど飽かぬかも 911 み吉野の秋津(あきづ)の川の万代(よろづよ)に絶ゆることなくまたかへり見む 912 泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふばな)み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや 要旨 >>> 〈910〉この地の神様のゆえか、見たいと思う美しい吉野の滝の流れは飽きることがない。 〈911〉美しい吉野の秋津川を、これからずっと絶えることなくまたやって来て眺めたい。 〈912〉泊瀬女(はつせめ)の造った木綿花が 吉野の川面に咲いているよ。 鑑賞 >>> 養老7年(723年)夏の5月、元正天皇が吉野の離宮に行幸あったとき、従駕の笠金村が作った歌。題詞に、907の長歌の反歌として「或の反歌に曰く」とあり、或には反歌が全部異なっているため、それを挙げているというものです。910の「河内」は、川を中心と

    元正天皇の吉野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-910~912 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/05/31
  • 遠妻のここにしあらねば・・・巻第4-534~535 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 534 遠(とほづま)の ここにしあらねば 玉桙(たまほこ)の 道をた遠(どほ)み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日(あす)行きて 妹(いも)に言問(ことど)ひ 我(あ)がために 妹も事(こと)なく 妹がため 我(あ)れも事なく 今も見るごと たぐひてもがも 535 しきたへの手枕(たまくら)まかず間(あひだ)置きて年そ経(へ)にける逢はなく思へば 要旨 >>> 〈534〉は遠くの地にいてここにはいない。のいる所への道は遠く、逢う手立てのないまま、を思って心が休まらず、嘆くばかりで苦しくてならない。大空を流れ行く雲になりたい、高く飛ぶ鳥になりたい。そうして明日にでも行ってに話しかけ、私のためにが咎められることなく、のためにこの私も無事でありたい。今でも夢に見るように、互いに寄り添っていたい。 〈535〉

    遠妻のここにしあらねば・・・巻第4-534~535 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/05/30
  • 世間の女にしあらば・・・巻第4-643~645 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 643 世間(よのなか)の女(をみな)にしあらば我(わ)が渡る痛背(あなせ)の河を渡りかねめや 644 今は吾(あ)は侘(わ)びそしにける息(いき)の緒(を)に思ひし君をゆるさく思へば 645 白妙(しろたへ)の袖(そで)別るべき日を近み心にむせび哭(ね)のみし泣かゆ 要旨 >>> 〈643〉私が世間一般の女だったら、恋しい人のもとへ行くため、この痛背川をどんどん渡っていき、渡りかねてためらうなどということは決してないでしょう。 〈644〉今となっては、私は苦しみに沈むばかりです。命のように大切だったあなたと、とうとうお別れすると思えば。 〈645〉白い夜着の袖を引き離してお別れする日が近いので、心に咽び、声をあげて泣いてばかりいます。 鑑賞 >>> 紀女郎(きのいらつめ)の怨恨の歌3首。紀女郎は紀朝臣鹿人の娘で、名を小鹿(おしか)といいます。養老年間(717~724年)に安

    世間の女にしあらば・・・巻第4-643~645 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/05/29