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  • 奥山の岩本菅を・・・巻第3-397 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 奥山(おくやま)の岩菅(いはもとすげ)を根(ね)深めて結びし心忘れかねつも 要旨 >>> 山奥の岩かげに生えている菅草の根のように、ねんごろに契り合ったあの時の気持ちは、忘れようにも忘れられません。 鑑賞 >>> 笠郎女が大伴家持に贈った歌。「岩菅」は岩のに生えている菅。笠などにする湿地の菅とは異なり、山地に生える山菅(ヤブランともいう)のこと。「奥山の岩菅を根深めて」は、家持に対する深い恋情を具象的に言ったもので、比喩に近い序詞。窪田空穂は、「気分だけをいったものであるが、技巧の力によって、軽くなりやすいものを重からしめているもので、才情を思わしめる歌である」と述べています。 笠郎女は、大伴家持が若かったころの愛人の一人で、宮廷歌人・笠金村の縁者かともいわれますが、生没年も未詳です。金村はそれほど地位の高い官人ではなかったため、郎女も低い身分で宮廷に仕えていたのでし

    奥山の岩本菅を・・・巻第3-397 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/19
  • 繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 357 繩(なは)の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕(こ)ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも 358 武庫(むこ)の浦を漕(こ)ぎ廻(み)る小舟(をぶね)粟島(あはしま)をそがひに見つつ羨(とも)しき小舟 359 阿倍(あへ)の島 鵜(う)の住む磯(いそ)に寄する波 間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ 要旨 >>> 〈357〉縄の浦の背後に見える沖合の島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は、釣りをしている最中のようだ。 〈358〉武庫の浦を漕ぎめぐっている小舟は、粟島を後ろに見ながら都の方へ漕いで行く。ほんとうに羨ましい小舟よ。 〈359〉阿倍の島の、鵜の棲む磯に絶え間なく波が打ち寄せている。その波のように、この頃はしきりに大和が思われる。 鑑賞 >>> 山部赤人による瀬戸内の羈旅歌。357の「縄の浦」は、兵庫県相生市那波の海岸。「そがひ」は、後ろの方。358の「武庫の浦」は

    繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/17
  • 【為ご参考】『万葉集』に関する後人の言葉 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    万葉調を以て凡百の物事を詠まんとならば大体において賛成致候。 ~正岡子規 作歌を万葉集から学ぶといふときに、単に万葉の「精神」といふもののみを引離しては学ばない。その言葉も形式も引くるめて学ぶ。 ~斎藤茂吉 万葉集の歌は、この道の親なるから、歌ゆむ人の先読みつべきふみ也。 ~上田秋成 万葉集は殊のほか古代のものなれば、今の詠格には証拠としがたきこと多し。(万葉集は格別に古い時代のものなので、今の歌の詠み方には拠りどころとし難い事が多い) ~居宣長 それ歌書の中には万葉集より古きはなし。これを学ばずば歌学といふべからず。 ~荷田在満 万葉集は只(ただ)和歌の竈(かまど)にて、箱の中に納めて持つべし。常に披(ひら)き見て好み読むべからず。(万葉集はまさしく和歌の竈ともいうべき大切なものであるから、箱の中に納めて持っているのがよい。いつも開いてやたらに好み読んではならない。和歌の詠み口を損なう

    【為ご参考】『万葉集』に関する後人の言葉 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/16
  • 東歌(37)・・・巻第14-3499 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも 要旨 >>> 陸の方に引き寄せながら刈っている萱のように、あの娘は、ほんに素直に私に寝ようと言ってくれない。 鑑賞 >>> 上3句は「なごや」を導く序詞。「なごや」は、柔らかいもの。ここでは女性の比喩。口説いても応じない女のことを思い、嘆息している歌です。ただ、「寝ろとへなかも」は、寝ようと言うのかな、とも解されます。窪田空穂はこの歌について、「この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。 巻第14と東歌について 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結

    東歌(37)・・・巻第14-3499 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/15
  • 吾妹子に猪名野は見せつ・・・巻第3-279~281 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 279 吾妹子(わぎもこ)に猪名野(ゐなの)は見せつ名次山(なすきやま)角(つの)の松原いつか示さむ 280 いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ 281 白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)往(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原 要旨 >>> 〈279〉いとしいよ、お前に猪名野は見せた。今度は名次山と角の松原を、早く見せてやりたいものだ。 〈280〉さあみんな、大和へ早く帰ろう。白菅の茂る真野の榛(はん)の木の林で小枝を手折って行こう。 〈281〉白菅の生い茂る真野の榛原を、あなたは往き来にいつもご覧になっているのでしょう。私は初めてです、この美しい真野の榛原は。 鑑賞 >>> 高市黒人夫が従者と共に真野へ遊覧に行った時に詠まれたもので、279は黒人がに与えた歌、280は従者たちに呼びかけた歌、2

    吾妹子に猪名野は見せつ・・・巻第3-279~281 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/14
  • 遠妻し多珂にありせば・・・巻第9-1744~1746 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1744 埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨(かも)ぞ羽(はね)霧(き)る 己(おの)が尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし 1745 三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通はむそこに(つま)もが 1746 遠(とほづま)し多珂(たか)にありせば知らずとも手綱(たづな)の浜の尋ね来(き)なまし 要旨 >>> 〈1744〉埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたいてしぶきを飛ばしている。尾に降り置いた霜を払いのけようとしているらしい。 〈1745〉那賀の向かいにある曝井の水が絶え間なく湧くように、絶えず通おう。そこで布を洗う女たちの中に、都のがいるかもしれない。 〈1746〉遠く大和にいるがここ多珂郡にいるとすれば、たとえ道がわからなくても、私が今いる手綱の浜の名のように、私を訪ねて来てくれるだろうに。 鑑賞 >>> 高橋虫麻呂が常陸国に赴任して

    遠妻し多珂にありせば・・・巻第9-1744~1746 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/13
  • 百足らず山田の道を・・・巻第13-3276~3277 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3276 百(もも)足らず 山田(やまだ)の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し(づま)と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手(ころもで)の 帰りも知らず 馬(うま)じもの 立ちてつまづき 為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂(たま)合はば 君来ますやと 我(わ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 立ち留(と)まり 何かと問はば 答へやる たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを 3277 寐(い)も寝ずに我(あ)が思(おも)ふ君はいづく辺(へ)に今夜(こよひ)誰(たれ)とか待てど来(き)まさぬ 要旨 >>> 〈3276〉山田の道を、いとしいとろくに睦み合

    百足らず山田の道を・・・巻第13-3276~3277 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/12
  • 為むすべのたづきを知らに・・・巻第13-3274~3275 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3274 為(せ)むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(ねば)へる門(かど)を 朝(あした)には 出(い)で居(ゐ)て嘆き 夕(ゆふへ)には 入り居て偲(しの)ひ 白たへの 我(わ)が衣手(ころもで)を 折り返し ひとりし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪(くろかみ)敷きて 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝(ね)ずて 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我(わ)が寝(ぬ)る夜(よ)らを 数(よ)みもあへむかも 3275 ひとり寝(ぬ)る夜(よ)を数へむと思へども恋の繁(しげ)きに心どもなし 要旨 >>> 〈3274〉どうしてよいのか、取っ掛かりも分からず、岩のごつごつした道なのに、どっしりした岩床のような門口なのに、朝にはその道に佇んで嘆き、夕方には門の中に籠って偲び、着物の袖を折り返してひとり寝るばかりで、折り返した袖に黒髪を敷

    為むすべのたづきを知らに・・・巻第13-3274~3275 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/11
  • 鹿島郡の苅野橋で、大伴卿と別れたときの歌・・・巻第9-1780~1871 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1780 牡牛(ことひうし)の 三宅(みやけ)の潟(かた)に さし向かふ 鹿島(かしま)の崎に さ丹(に)塗りの 小船(をぶね)を設(ま)け 玉巻きの 小楫(をかぢ)しじ貫(ぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 満ちのとどみに 御船子(みふなこ)を 率(あども)ひ立てて 呼び立てて 御船(みふね)出(い)でなば 浜も狭(せ)に 後(おく)れ並(な)み居(ゐ)て 臥(こ)いまろび 恋ひかも居(を)らむ 足ずりし 音(ね)のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津をさして 君が漕(こ)ぎ去(い)なば 1781 海つ道(ぢ)の凪(な)ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出(ふなで)すべしや 要旨 >>> 〈1780〉三宅の潟に向かい合う鹿島の崎に、赤い丹塗りの御船を準備し、玉を飾った櫂を梶を船べりにたくさん取りつけ、夕潮が満ちると漕ぎ手らを呼び集め、掛け声を立てて御船が出航して行ったなら、後に残っ

    鹿島郡の苅野橋で、大伴卿と別れたときの歌・・・巻第9-1780~1871 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/10
  • 検税使大伴卿が筑波山に登ったときの歌・・・巻第9-1753~1754 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1753 衣手(ころもで) 常陸(ひたち)の国の 二並(ふたなら)ぶ 筑波の山を 見まく欲(ほ)り君(きみ)来(き)ませりと 暑(あつ)けくに 汗(あせ)掻(か)きなけ 木(こ)の根(ね)取り うそぶき登り 峰(を)の上(うへ)を 君に見すれば 男神(ひこかみ)も 許したまひ 女神(ひめかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくはね)を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉(うれ)しみと 紐(ひも)の緒(を)解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡(なび)く 春見ましゆは 夏草(なつくさ)の 繁(しげ)くはあれど 今日(けふ)の楽しさ 1754 今日(けふ)の日にいかにか及(し)かむ筑波嶺(つくはね)に昔の人の来(き)けむその日も 要旨 >>> 〈1753〉常陸国に雌雄並び立つ筑波の山を見たいと、我が君はおいでになっ

    検税使大伴卿が筑波山に登ったときの歌・・・巻第9-1753~1754 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/09
  • はじめより長く言ひつつ頼めずは・・・巻第4-619~620 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 619 おしてる 難波(なには)の菅(すげ)の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨(と)ぎし心を 緩(ゆる)してし その日の極(きは)み 波のむた 靡(なび)く玉藻(たまも)の かにかくに 心は持たず 大船(おほぶね)の 頼める時に ちはやぶる 神か離(さ)くらむ うつせみの 人か障(さ)ふらむ 通(かよ)はしし 君も来まさず 玉梓(たまづさ)の 使ひも見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 赤らひく 日も暮(く)るるまで 嘆けども 験(しるし)をなみ 思へども たづきを知らに たわやめと 言はくも著(しる)く たわらはの 音(ね)のみ泣きつつ た廻(もとほ)り 君が使ひを 待ちやかねてむ 620 はじめより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに会はましものか 要旨 >>> 〈619〉難波の菅の根のようにねんごろにあなたが言葉を

    はじめより長く言ひつつ頼めずは・・・巻第4-619~620 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/08
  • 明日よりは我が玉床をうち掃ひ・・・巻第10-2048~2050 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2048 天の川 川門(かはと)に立ちて我(わ)が恋ひし君来ますなり紐(ひも)解き待たむ 2049 天の川 川門(かはと)に居(を)りて年月(としつき)を恋ひ来(こ)し君に今夜(こよひ)逢へるかも 2050 明日よりは我(わ)が玉床(たまどこ)をうち掃(はら)ひ君と寐(い)ねずてひとりかも寝む 要旨 >>> 〈2048〉天の川の舟着き場に立って、私の恋しいあなたがやってくるのを、下紐を解いてお待ちしましょう。 〈2049〉天の川の舟着き場に立ち、一年もの長い月日を恋い焦がれてきたあなた、そのあなたにやっと今夜お逢いできました。 〈2050〉明日からは、この私たちの寝床をきれいにしても、あなたとは寝られず、ひとり寂しく寝なることになるのだろうか。 鑑賞 >>> 七夕の歌。2048の「川門」は、川の流れが門のように狭くなっている所。ここでは船着き場。「来ますなり」の「ます」は、尊

    明日よりは我が玉床をうち掃ひ・・・巻第10-2048~2050 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/07
  • 君が舟今漕ぎ来らし・・・巻第10-2045~2047 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2045 君が舟(ふね)今漕ぎ来(く)らし天の川 霧(きり)立ちわたるこの川の瀬に 2046 秋風に川波(かはなみ)立ちぬしましくは八十(やそ)の舟津(ふなつ)にみ舟 留(とど)めよ 2047 天の川の川音(かはと)清(さやけ)し彦星(ひこぼし)の秋漕ぐ舟の波のさわきか 要旨 >>> 〈2045〉あの方の舟は、今こそ漕いでこちらに来るらしい。天の川に霧が立ちこめてきた、この川瀬に。 〈2046〉秋風が吹いて川波が立ち始めました。しばらくの間は、あちこちの舟だまりのどこかに舟をとどめて下さい。 〈2047〉天の川にの水音がはっきり聞こえる、秋になって彦星が漕ぎ出した舟の立てる波のざわめきだろうか。 鑑賞 >>> 七夕の歌。2045の「漕ぎ来らし」の「らし」は、根拠に基づく推量。2046の「しましくは」は、しばらくは。「八十」は、多くというのを具象的にいったもの。「舟津」は、舟の

    君が舟今漕ぎ来らし・・・巻第10-2045~2047 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/06
  • 出でて去なむ時しはあらむを・・・巻第4-585~586 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 585 出でて去(い)なむ時しはあらむをことさらに恋(つまごひ)しつつ立ちて去(い)ぬべしや 586 相(あひ)見ずは恋ひずあらましを妹(いも)を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ 要旨 >>> 〈585〉お帰りになる時はいつでもあるでしょうに、わざわざを恋ながら立ち去ることがあってよいものですか。 〈586〉出逢わなければ苦しむこともなかっただろうに、あなたに逢ってから、無性に恋焦がれています。これから先どうしたらよいのだろう。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。585は、来客を引き留める歌。「出でて去なむ」は、郎女の許から出て行く意。「時しはあらむを」は、適当な時があろうものを。来客は家持で、そのとは娘の大嬢でしょうか。からかいの気持ちが込められています。 586は、題詞に「大伴宿祢稲公が田村大嬢に贈った歌」とありますが、左注には「姉の坂上郎女の作」となっており、歌才

    出でて去なむ時しはあらむを・・・巻第4-585~586 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/05
  • 佐保河の岸のつかさの・・・巻第4-529 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 佐保河(さほがは)の岸のつかさの柴な刈りそね 在りつつも春し来たらば立ち隠(かく)るがね 要旨 >>> 佐保川の岸の上の柴は刈らないでください、春になったら隠れて恋ができるように。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の旋頭歌。旋頭歌は5・7・7を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる場合が多くなっています。頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれ、短歌との先後は、旋頭歌のほうが古いものとみられています。『万葉集』には約60首があり、それも大体『柿人麻呂歌集』のものです。この歌は、郎女が、擬古の心から興味をもって作ったものとみられています。「つかさ」は、小高いところ。「柴」は、雑木。「な~そ」は、禁止。「がね」は、格助詞の「が」と、願望の終助詞の「ね」。 なお、『万葉集』の女性歌人で、長歌・短歌・旋頭歌の3種の歌体を詠んだのは坂上郎女一

    佐保河の岸のつかさの・・・巻第4-529 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/04
  • 黒髪に白髪交り・・・巻第4-563~564 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 563 黒髪に白髪(しろかみ)交(まじ)り老(お)ゆるまでかかる恋にはいまだ逢(あ)はなくに 564 山菅(やますげ)の実(み)ならぬことを我(わ)に寄そり言はれし君は誰(た)れとか寝(ぬ)らむ 要旨 >>> 〈563〉黒髪に白髪が交じって老いたこの日まで、このような激しい恋に出会ったことはありません。 〈564〉山菅に実がならないように、しょせん実らぬ間柄なのに、まるで関係があるように噂になっているあなたは、当はどなたと寝ていらっしゃるのでしょうね。 鑑賞 >>> 大伴百代が「老いらくの恋」を詠んだ4首(巻第5-559~562)に、大伴坂上郎女が仮の相手となって返した歌です。百代が、これまで何事もなく生きてきたのに、老いの波を迎えてこんな苦しい恋に出会ってしまった、と言ったのに対し、563で坂上郎女は「白髪」という現実的な表現を用いて同調しながらも、百代の歌をしらじらしい

    黒髪に白髪交り・・・巻第4-563~564 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/03
  • 橘をやどに植ゑ生ほし・・・巻第3-410~412 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 410 橘(たちばな)をやどに植ゑ生(お)ほし立ちて居て後(のち)に悔ゆとも験(しるし)あらめやも 411 我妹子(わぎもこ)がやどの橘(たちばな)いと近く植ゑてし故(ゆゑ)にならずはやまじ 412 いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに 要旨 >>> 〈410〉橘の木を庭に植え育てて、その間じゅう立ったり座ったり心配したあげく、人に実を取られて悔やんでも、何の甲斐がありましょう。 〈411〉あなたのお庭の橘は、あまりに私に近く植えてあるものですから、我がものとしないわけにはいきません。 〈412〉頭上に束ねた髪の中に秘蔵している玉は、二つとない大切な物です。どうぞこれをいかようにもあなたの御心のままになさって下さい。 鑑賞 >>> 410は、大伴坂上郎女が橘を娘の二嬢に譬え、大切にしてきた娘を下手な男にはやれないという意が込められた歌です。「橘」は、ミカン

    橘をやどに植ゑ生ほし・・・巻第3-410~412 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/02
  • 士やも空しくあるべき・・・巻第6-978 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 士(をのこ)やも空(むな)しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして 要旨 >>> 男子たるもの、このまま空しく世を去ってよいものか。いつのいつの代までも語り継がれるほど立派な名を立てないまま。 鑑賞 >>> 左注に、「山上憶良が重病となった時、藤原朝臣八束(ふじわらのあそみやつか)が河辺朝臣東人(かわべのあそみあずまひと)を使者として容態を尋ねに来させた。憶良は返事を終え、しばらくして涙をぬぐい、悲しみ嘆いて、この歌を口ずさんだ」とある歌です。藤原八束は北家房前の子で、この時19歳。房前が大伴旅人と親交があったことは巻第5-810~820で知られますが、その子の八束が使者を立てて見舞ったことから、藤原北家と旅人・憶良との親密な関係が窺えます。あるいは、若い八束は、憶良を尊敬し師事していたのかもしれません。 大宰府に赴任していた憶良は大伴旅人に後れて奈良に帰京し

    士やも空しくあるべき・・・巻第6-978 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/07/01
  • 遣新羅使人の歌(24)-3684~3687 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3684 秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐(い)の寝(ね)らえぬもひとり寝(ぬ)ればか 3685 足日女(たらしひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦(まつら)の海(うみ)妹(いも)が待つべき月は経(へ)につつ 3686 旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹(いも)し思ひ悲(がな)しも 3687 あしひきの山飛び越ゆる鴈(かり)がねは都に行かば妹(いも)に逢ひて来(こ)ね 要旨 >>> 〈3684〉秋の夜が長いせいであろうか、どうしてこんなに寝るに寝られないのか、たった一人で寝るからだろうか。 〈3685〉足日女(たらしひめ)の御船が泊まったという、この松浦の海、その名のようにが待っているはずの約束の月も、いたずらに去っていく。 〈3686〉旅の身なので何とか諦めてはいたが、家に残してきたのことだけは、思うと悲しい。 〈3687〉山を飛び越えていく雁よ、奈良の都に飛

    遣新羅使人の歌(24)-3684~3687 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/06/30
  • あゆの風 いたく吹くらし・・・巻第17-4017~4020 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4017 あゆの風 いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣(つり)する小船(をぶね)漕(こ)ぎ隠(かく)る見ゆ 4018 港風(みなとかぜ)寒く吹くらし奈呉(なご)の江に呼び交(かは)し鶴(あづ)多(さは)に鳴く [一云 鶴騒くなり] 4019 天離(あまざか)る鄙(ひな)ともしるくここだくも繁(しげ)き恋かもなぐる日もなく 4020 越(こし)の海の信濃(しなの)の浜を行き暮らし長き春日(はるひ)も忘れて思へや 要旨 >>> 〈4017〉東風が激しく吹いているようだ。奈呉で海人たちが釣りする小舟が、浦陰に漕ぎ隠れて行くのが見える。 〈4018〉河口に寒々と風が吹いているようだ。奈呉の入り江では、連れ合いを呼び合って、鶴がたくさん鳴いている(鶴の鳴き立てる声がする)。 〈4019〉遠く遠く離れた鄙の地というのは、なるほどもっともだ。こんなにも故郷が恋しくて、心のなごむ

    あゆの風 いたく吹くらし・・・巻第17-4017~4020 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/06/29