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  • 宴席の歌(7)・・・巻第18-4066~4069 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4066 卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも 4067 二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れる霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか君に聞かせむ 4068 居(を)り明かしも今夜(こよひ)は飲まむほととぎす明けむ朝(あした)は鳴き渡らむそ 4069 明日(あす)よりは継ぎて聞こえむほととぎす一夜(ひとよ)のからに恋ひ渡るかも 要旨 >>> 〈4066〉卯の花が咲く月がやってきた。ホトトギスよ、やって来て鳴き立てておくれ、花はまだ蕾みであっても。 〈4067〉二上山にこもっているホトトギスよ。今こそ鳴いてくれないか。わが君にお聞かせしたいから。 〈4068〉このまま夜明かししてでも今夜は飲んでいよう。ホトトギスは、夜が明けた朝にはきっと鳴き声を立てて飛んで来るに違いない。 〈4069〉明日からはひっきりなしに聞こえるはずのホトト

    宴席の歌(7)・・・巻第18-4066~4069 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/28
  • 恋ひ死なむ後は何せむ・・・巻第4-559~562 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 559 事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも 560 恋ひ死なむ後(のち)は何せむ生ける日のためこそ妹(いも)を見まく欲(ほ)りすれ 561 思はぬを思ふと言はば大野なる御笠(みかさ)の(もり)杜の神し知らさむ 562 暇(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻(か)かしめつつも逢はぬ妹(いも)かも 要旨 >>> 〈559〉これまで何事もなく生きてきたのに、しだいに老いる頃に、何とまあ、こんな苦しい恋に出会ってしまいました。 〈560〉恋い焦がれて死んでしまったら何の意味もありません。生き長らえている今日の日のために、あなたの顔を見たいと思うのに。 〈561〉あなたのことを思ってもいないのに、恋い焦がれているなどと言ったら、大野の御笠にある神社の神様がお見通しで、私は罰を下されるでしょう。 〈562〉しきりに人の眉を掻かせておきながら

    恋ひ死なむ後は何せむ・・・巻第4-559~562 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/27
  • 虎に乗り古屋を越えて・・・巻第16-3833 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 虎(とら)に乗り古屋(ふるや)を越えて青淵(あをふち)に蛟龍(みつち)捕(と)り来(こ)む剣太刀(つるぎたち)もが 要旨 >>> 虎に乗って古屋を飛び越えて、青淵に棲む蛟龍(みづち)を生け捕りできる、そんな剣太刀がほしいものよ。 鑑賞 >>> 境部王(さかいべのおおきみ)が数種の物を詠んだ歌。境部王は穂積親王の子とあります。どうやら恐ろしいものを取り合わせた歌のようですが、「虎」は日にはいませんから、大陸伝来の絵図などから想像したのでしょう。古屋がなぜ恐ろしいのか疑問に思いますが、昔は、人が住まない古屋や廃屋には鬼が住むとして忌避され、「虎や狼より古屋の雨漏りのほうが怖い」という諺もあったほどです。虎も古屋の雨漏りを恐れるとされていたようです。「青淵」は深く水をたたえて青く見える淵。「蛟龍」は、水の霊で竜に似た想像上の動物。「蛟」は蛇に似て4足だといいます。 当ブログ制作

    虎に乗り古屋を越えて・・・巻第16-3833 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/26
  • 恋の奴がつかみかかりて・・・巻第16-3816 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて 要旨 >>> 家にある櫃に鍵をかけ、しまい込んでいたはずの、あの面倒な恋の奴めがつかみかかって来て。 鑑賞 >>> 穂積皇子(ほづみのみこ)の歌。左注に、宴会が盛り上がってきたときに、好んでこの歌を詠み、お定まりの座興となさった、とあります。一説によれば、穂積皇子は「つかみかかりて」と歌いながら、宴席に侍って酒を勧める女性に不意に抱きついて驚かせ、場の座興にしていたのだろうとも言われています。「櫃」は、蓋のついている木箱。「恋の奴」の「奴」は賤民身分の男の使用人のことで、ここでは自分を苦しめる「恋」を擬人化しています。当時かなり流行った言葉らしく、幾つかの歌にも用いられています。穂積皇子は、若いころの但馬皇女(たじまのひめみこ)との恋愛で有名な人ですが、不幸にみちた愛への懊悩からか、その後の皇

    恋の奴がつかみかかりて・・・巻第16-3816 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/25
  • 海原の道に乗りてや・・・巻第11-2367 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 海原(うなはら)の道に乗りてや我(あ)が恋ひ居(を)らむ 大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに 要旨 >>> 大海原の船路に乗って行方を託すように、私は苦しんでいなければならないのか。大船に乗ってゆったり構えているだろうあの子のせいで。 鑑賞 >>> 『古歌集』から採ったとある旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。「海原の道」は、海上には船を自然に目的地に運んでくれる道(潮流)があると考えられており、それによる表現。また、恋の状態を「道に乗る」と表現しています。「大船の」は「ゆたに」の枕詞。「ゆたに」はゆったりとして。

    海原の道に乗りてや・・・巻第11-2367 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/24
  • 駅路に引き舟渡し直乗りに・・・巻第11-2748~2749 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2748 大船(おほぶね)に葦荷(あしに)刈り積みしみみにも妹(いも)は心に乗りにけるかも 2749 駅路(はゆまぢ)に引き舟渡し直(ただ)乗りに妹(いも)は心に乗りにけるかも 要旨 >>> 〈2748〉大船に刈り取った葦をどっさり積んだように、あなたは私の心にどっしりと乗りかかってしまったよ。 〈2749〉宿駅の渡し場から舟を引いて一直線に向こう岸に渡るように、彼女はまっしぐらに私の心に乗りかかってしまった。 鑑賞 >>> 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2748の上2句は「しみみに」を導く序詞。「しみみに」は密集しているさま。2749の上2句は「直乗り」を導く序詞。「駅路」は駅馬が通行する街道。ここでは水駅(すいえき)を指し、川や湖の渡し場などに水駅を設け、駅馬に代えて舟を配置していました。「引き舟渡し」とあるように、舟に綱をつけて、対岸から引き寄せました。27

    駅路に引き舟渡し直乗りに・・・巻第11-2748~2749 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/23
  • 君に恋ひ萎えうらぶれ・・・巻第10-2298 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 君に恋ひ萎(しな)えうらぶれ我(あ)が居(を)れば秋風吹きて月かたぶきぬ 要旨 >>> あなたに恋い焦がれ、打ちしおれてしょんぼりしている間に、秋風が吹き、いつの間にか月が西空に傾いてしまいました。 鑑賞 >>> 「月に寄せる」歌。「萎えうらぶれ」の「萎え」は萎(しお)れ、「うらぶれ」は物思いにしおれる意で、同じような意味の語を重ねたもの。男の通いは、月が出ている夜でなければならず、しかも夜が更けてからの通いは禁忌とされました。ここでは「月かたぶきぬ」とあるので、もはや男の訪れは期待できない状況を言っています。

    君に恋ひ萎えうらぶれ・・・巻第10-2298 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/22
  • 防人の歌(26)・・・巻第20-4352 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 道の辺(へ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまる君をはがれか行かむ 要旨 >>> 道ばたのいばらの先に豆のつるが絡みつくように、私に絡みついて離れない君を残して、別れて行かなければならないのか。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。上3句は「からまる」を導く序詞。「延ほ豆の」の「はほ」は「はふ」の方言。「君」は女が男に呼びかける語ですが、ここでは逆になっています。「はがる」は、離れる、別れる。 窪田空穂はこの歌について、「防人として発足した男を見送りして来たが、男がいざ別れようとすると、女は悲しみが極まり、すがりついて離れずにいるので、男は、こうしたと別れて行くのだろうかと、嘆いて詠んだのである。序は眼前を捉えたものであるが、その時の状態と気分とをきわめて適切にあらわすものとなって、男の当惑と歎息とをさながらに見せるものとなっている。魅力ある歌である」と述べてい

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    ma2no_z32 2024/04/21
  • 布勢の海の沖つ白波・・・巻第17-3991~3992 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3991 もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の 思ふどち 心(こころ)遣(や)らむと 馬(うま)並(な)めて うちくちぶりの 白波の 荒磯(ありそ)に寄する 渋谿(しぶたに)の 崎(さき)た廻(もとほ)り 松田江(まつだえ)の 長浜(ながはま)過ぎて 宇奈比川(うなひがは) 清き瀬ごとに 鵜川(うかは)立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽(あ)かにと 布勢(ふせ)海に 船浮け据(す)ゑて 沖辺(おきへ)漕(こ)ぎ 辺(へ)に漕ぎ見れば 渚(なぎさ)には あぢ群(むら)騒(さわ)き 島廻(しまみ)には 木末(こぬれ)花咲き ここばくも 見(み)のさやけきか 玉くしげ 二上山(ふたがみやま)に 延(は)ふ蔦(つた)の 行きは別れず あり通(がよ)ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと 3992 布勢(ふせ)の海の沖つ白波あり通(がよ)ひいや年のはに見つ

    布勢の海の沖つ白波・・・巻第17-3991~3992 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/20
  • 立山に降り置ける雪の常夏に・・・巻第17-4003~4005 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4003 朝日さし そがひに見ゆる 神(かむ)ながら 御名(みな)に帯(お)ばせる 白雲(しらくも)の 千重(しへ)を押し分け 天(あま)そそり 高き立山(たちやま) 冬夏と 別(わ)くこともなく 白たへに 雪は降り置きて 古(いにしへ)ゆ あり来(き)にければ こごしかも 岩の神(かむ)さび たまきはる 幾代(いくよ)経(へ)にけむ 立ちて居(ゐ)て 見れども異(あや)し 嶺(みね)高(だか)み 谷を深みと 落ち激(たぎ)つ 清き河内(かふち)に 朝去らず 霧(きり)立ち渡り 夕されば 雲居(くもゐ)たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代(よろづよ)に 言ひ継(つ)ぎ行(ゆ)かむ 川し絶えずは 4004 立山に降り置ける雪の常夏(とこなつ)に消(け)ずてわたるは神(かむ)ながらとぞ 4005 落ちたぎつ片貝川(かたかひがは)の絶

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    ma2no_z32 2024/04/19
  • 玉藻刈る沖辺は漕がじ・・・巻第1-72 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 玉藻(たまも)刈る沖辺(おきへ)は漕(こ)がじ敷栲(しきたへ)の枕のあたり忘れかねつも 要旨 >>> 海女たちが玉藻を刈っている沖のあたりには舟を漕いでいくまい。昨夜旅の宿で枕を共にした女のことが、忘れられないから。 鑑賞 >>> 藤原宇合(ふじわらのうまかい)の歌。藤原宇合は不比等の3男で、藤原4家の一つである「式家」の始祖にあたります。若いころは「馬養」という名前でしたが、後に「宇合」の字に改めています。霊亀3年(717年)に遣唐副使として多治比県守 (たじひのあがたもり) らと渡唐。帰国後、常陸守を経て、征夷持節大使として陸奥の蝦夷 (えみし) 征討に従事、のち畿内副惣管、西海道節度使となり、大宰帥 (だざいのそち) を兼ねましたが、天平9年(737年)、都で大流行した疫病にかかり44歳で没しました。正三位参議で終わりましたが、長く生きていれば当然、納言・大臣になれたは

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    ma2no_z32 2024/04/18
  • しかとあらぬ五百代小田を・・・巻第8-1592~1593 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1592 しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田廬(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ 1593 隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山は色づきぬ時雨(しぐれ)の雨は降りにけらしも 要旨 >>> 〈1592〉わずかばかりの五百代の田を、慣れない手つきでうまく刈れずに番小屋にいると、都のことが思い出される。 〈1593〉泊瀬の山は色づいてきたところです。山ではもう時雨が降ったのでしょうね。 鑑賞 >>> 天平11年(739年)9月、大伴坂上郎女が、竹田の庄で作った歌2首。「竹田の庄」は、大伴氏が有していた荘園の一つで、奈良県橿原市東竹田町、耳成山の北東の地にあったとされます。そこに行って自ら稲刈りをしたという歌です。実際に自身が稲刈りしたかどうかは分かりませんが、使用している農民の監督方々、番小屋に寝泊りしたのは事実のようです。 1592の「しかとあらぬ」は、さほど

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    ma2no_z32 2024/04/17
  • 東歌(34)・・・巻第14-3544 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも 要旨 >>> 阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。 鑑賞 >>> 女の歌。「阿須可川」は、大和の明日香川か東国の川か未詳。「下濁れる」は、男が不誠実だった喩え。「背なな」は、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している歌です。

    東歌(34)・・・巻第14-3544 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/16
  • 標結ひて我が定めてし・・・巻第3-394 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 標(しめ)結(ゆ)ひて我(わ)が定めてし住吉(すみのえ)の浜の小松は後(のち)も我(わ)が松 要旨 >>> 標を張って我がものと定めた住吉の浜の小松は、後もずっと私の松なのだ。 鑑賞 >>> 余明軍(よのみょうぐん)は、百済の王族系の人。帰化して大伴旅人の資人(つかいびと)となり、旅人が亡くなった時に詠んだ歌(巻第3-454~458)を残しています。「資人」は、高位の人に公に給される従者のことで、に主人の警固や雑役に従事しました。 「標」は、自分の所有であることを示す印。「住吉」は、大阪市住吉区。「小松」の「小」は、小さい意味ではなく、親しんで添えた語。松を女に喩えており、住吉の遊行女婦を指しているとみられます。「標結ひて我が定めてし」は、その女と契りを結んだことの比喩。「後も我が松」といって、愛する女を独り占めしたい男の心情を詠っています。 この歌の2句目の原文は「我定義之

    標結ひて我が定めてし・・・巻第3-394 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/15
  • 高御座天の日継と・・・巻第18-4098~4100 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4098 高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 天(あめ)の下(した) 知らしめしける 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 畏(かしこ)くも 始めたまひて 貴(たふと)くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通(がよ)ひ 見(め)し給(たま)ふらし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)も 己(おの)が負(お)へる 己(おの)が名(な)負ひて 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに この川の 絶(た)ゆることなく この山の いや継(つ)ぎ継ぎに かくしこそ 仕(つか)へ奉(まつ)らめ いや遠長(とほなが)に 4099 いにしへを思ほすらしも我(わ)ご大君(おほきみ)吉野の宮をあり通(がよ)ひ見(め)す 4100 もののふの八十氏人(やそうぢびと)も吉野川(よしのがは)絶ゆることなく仕(つか)へつつ見(み)む 要旨 >>> 〈4098〉高い御位にいま

    高御座天の日継と・・・巻第18-4098~4100 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/14
  • ゆくへなくありわたるとも霍公鳥・・・巻第18-4089~4092 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4089 高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 聞こし(を)す 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来居(きゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめ草 玉 貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜(よ)渡し聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし 4090 ゆくへなくありわたるとも霍公鳥(ほととぎす)鳴きし渡らばかくや偲(しの)はむ 4091 卯(う)の花のともにし鳴けば霍公鳥(ほととぎす)いやめづらしも名告(なの)り鳴くなへ 4092 霍公鳥(ほととぎす)いとねたけくは橘(たちばな)の花散る時に来鳴き響(とよ)むる 要旨 >>> 〈4089〉高い御位にいます、日の神の後継ぎとし

    ゆくへなくありわたるとも霍公鳥・・・巻第18-4089~4092 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/13
  • 焼太刀を砺波の関に・・・巻第18-4085 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 焼太刀(やきたち)を砺波(となみ)の関(せき)に明日(あす)よりは守部(もりへ)遣(や)り添へ君を留(とど)めむ 要旨 >>> 焼いて鍛えた太刀、その太刀を研ぐという砺波の関に、明日からは番人を増やして、あなたにゆっくり留まっていただきましょう。 鑑賞 >>> 天平勝宝元年(749年)5月5日、東大寺の占墾地使(せんこんじし)の僧(そう)平栄(へいえい)らをもてなした時、大伴家持が酒を僧に贈った歌。「占墾地使」は、寺院に認められた開墾地(荘園)の所属を確認する使者で、この時期、平栄らは越中に入って活動していました。 東大寺や中央貴族の墾田地(荘園)を占有するため、国守の家持にもその行政力が期待されていました。家持が在任中に成立した越中国内の東大寺荘園は、天平21年(749年)4月1日詔書の「寺院墾田地許可令」にもとづき、射水郡4か所、砺波郡1か所、新川郡2か所の合計7か所から

    焼太刀を砺波の関に・・・巻第18-4085 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/12
  • 大伴家持が菟原処女の墓の歌に追同した歌・・・巻第19-4211~4212 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4211 古(いにしへ)に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継(つ)ぐ 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命(いのち)も捨てて 争ひに 問(つまど)ひしける 処女(をとめ)らが 聞けば悲しさ 春花(はるはな)の にほえ栄(さか)えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛(さか)りすら ますらをの 言(こと)いたはしみ 父母(ちちはは)に 申(まを)し別れて 家離(いへざか)り 海辺(うみへ)に出で立ち 朝夕(あさよひ)に 満ち来る潮(しほ)の 八重(やへ)波に 靡(なび)く玉藻(たまも)の 節(ふし)の間(ま)も 惜(を)しき命(いのち)を 露霜(つゆしも)の 過ぎましにけれ 奥城(おくつき)を ここと定めて 後(のち)の世の 聞き継ぐ人も いや遠(とほ)に 偲(しの)ひにせよと 黄楊小櫛(つげをぐし) 然(

    大伴家持が菟原処女の墓の歌に追同した歌・・・巻第19-4211~4212 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/11
  • 山の端のささら愛壮士・・・巻第6-983 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 山の端(は)のささら愛壮士(えをとこ)天(あま)の原(はら)門(と)渡る光(ひかり)見らくし好(よ)しも 要旨 >>> 山の端に出てきた小さな月の美男子が、天の原を渡りつつ照らす光の何とすばらしい眺めでしょう。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女が詠んだ「月の歌」。「ささら愛壮士」の「ささら」は天上の地名、「愛壮士」は小さく愛らしい男の意で、月を譬えています。左注に、ある人が郎女に、月の別名をささらえ壮子というと話すと、郎女はその名に興味をもち、それを詠み込む形で一首にしようとした、とあります。「ささら愛壮士」を詠んだ歌は、集中この1首しかなく、月の中でも特に上弦の月をいったのではないかとする説もあります。「門渡る」の「門」は、ここでは山が両側にあって門のように空が狭くなっている所。「見らくし好しも」の「見らく」は動詞「見る」の名詞形。「し」は強意。「好しも」の「も」は詠歎。 大伴坂

    山の端のささら愛壮士・・・巻第6-983 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/10
  • 春の日に張れる柳を取り持ちて・・・巻第19-4142 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 春の日に張れる柳(やなぎ)を取り持ちて見れば都の大道(おほち)し思ほゆ 要旨 >>> 春の日に、芽吹いてきた柳の小枝を折り取って眺めると、奈良の都の大路が思い起こされてならない。 鑑賞 >>> 天平勝宝2年(750年)の3月2日、大伴家持が、新柳の枝を折り取って都を思う歌。この時33歳の家持は、越中での4度目の春を迎えていました。 「張れる」は、芽が出る、ふくらむ。「大道し」の「し」は強意。この歌から、当時の都大路の並木には柳が植えられていたことが分かります。柳は漢詩的な素材であり、柳葉は化粧をした女性の細い眉に譬えられます。家持は都大路のことを思い出すと同時に、都の美女たちのことも思い浮かべていたのかもしれません。

    春の日に張れる柳を取り持ちて・・・巻第19-4142 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/04/09