2月22日は「竹島の日」だ。日本固有の領土である竹島(島根県隠岐の島町)が韓国に不法占拠されてから今年で70年になる。政府の領土・主権展示館(東京・霞が関)は今月、韓国側の主張の誤りを理解してもらう狙いも込め、竹島と近くにある韓国の鬱陵(うつりょう)島を巡る日本の認識や地名の変遷に関する小冊子を発刊した。江戸時代に竹島は「松島」、鬱陵島が「竹島」と呼ばれていた経緯を紹介。竹島は一貫して日本領として認識されていた実態がうかがえる。 江戸時代から航海の中継地冊子のタイトルは「日本の『かたち』を描く─日本海の島々の認識の変遷─」。同館で開催中の企画展「日本の『かたち』を描く」で配布している。 江戸時代初期から、米子(鳥取県西部)の商人は江戸幕府の許可を得て鬱陵島に渡り、アワビ採取やアシカの捕獲などを行っていた。冊子では航行の途中に現在の竹島を発見し、航行の目標や中継地に利用していたことを紹介。竹