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ブックマーク / maroon-lance.hatenadiary.org (7)

  • いつか来たというよりはいつもの道か - 跡地。

    の中道附近の政治家というのは、どうしてこうも弱いのかなあと思う。昔でも、近衛文麿なんか日をがんがん戦争へ持って行ったし。自民党にしても党首の谷垣さんは別に極端な思想の持ち主ではないけど、党自体はどんどん変な方へ流れて行ってとどまるところを知らない。まあ私は結構この人は好きでね。先週の新聞で「野党になって初の国政選挙をどう戦いますか」と聞かれていきなり「私はいま頭に来ている」と応えているのはかなり面白かった。そういえばこの人のお祖父さん、影佐禎昭も、一味違う支那通と自他共に認める人物だったのに、支那事変では暴支膺懲の声に流され、石原完爾をがっかりさせたね。

    いつか来たというよりはいつもの道か - 跡地。
  • 三笠宮殿下の戦争指導批判 - 跡地。

    三品隆以『我観石原完爾』より。若杉参謀こと三笠宮崇仁親王殿下*1が昭和19年、支那派遣軍離任の際、司令部将校団に対して行われた講演の骨子。 (一)支那派遣軍の戦争目的は分明でない。即ち、その名分が、明確にされていない。 (二)軍、政、経各般にわたる現地施策は、総じて、事変処理に関する国家目的に合せず、また、中国側民衆社会に苛酷で、非情な圧迫と収奪となって、全中国民衆の離反と抵抗を、一層深刻にし、徹底的なものに追いやっている。 (三)日人は、中国歴史を知らず、社会を理解せず、異民族に対する寛容と融和の道を知らない。 日人は、すべてに対して自己の主観と独善で事を処理する。指導者意識、権力、権威主義が先に立ち、相手の立場と、それに対応する、合理的、合意的な方法を考えようとしない。(ここで、一例をあげるといわれ、自ら撮影された路上風景のスナップを示された)これは、諸君が、路上でよく見られる風

    三笠宮殿下の戦争指導批判 - 跡地。
  • 探訪保守 出雲挑んで知った怖さ - 跡地。

    去年だったと思うが、出雲の封建時代チックな内幕を、この記事でも一回だけ出てくる田部家という家を中心に描いた特集が、朝日に載った。その時も興味深いなと思ったが、その記事は切り抜くのを忘れた。今回の記事は、その続きで、最終回。朝日新聞4月6日朝刊政治面より。 ちょっとした功名心で飛び込んだ出雲は、底無しの沼だった。 「会社には大変な恩義を感じています。ただ……すいません。一時の不義理を……」 岩田浩岳氏、34歳。3日前まで山陰中央テレビ社・松江市)の看板アナウンサーだった。今夏の参院選島根選挙区(改選数1)で、民主党から自民党の青木幹雄氏に挑むことを決意。2月21日、松江市で記者会見に臨んだ。ところが、晴れの舞台はうつむいたままで終わった。 「頑張れ、と言えるのは今日までだね」。取材のイロハを学んだ地元紙記者に手を握られた。 夕方のニュース番組のキャスターだった。二つ年下のも同じ局のアナ

    探訪保守 出雲挑んで知った怖さ - 跡地。
  • 「救いを」祈る研修生 - 跡地。

    朝日新聞2月21日朝刊 在日華人第10部鼓動潮流 東北地方のある教会。信者たちは1人の中国人女性のために祈り続けている。日人牧師(55)は「素朴な笑顔が忘れられない」と話す。 女性は山東省出身。教会に近い港町の水産加工場で研修生として働いていた。2007年8月、初めて教会を訪れ、日曜ごとに電車でやってきた。礼拝中に涙を見せ、12月に洗礼を受けた。片言の日語で「イエスさまが私と一緒にいます」と話していた。牧師は「重労働の中で、信仰が心の支えになってほしい」と願った。 しかし、翌年5月の礼拝を最後に女性の姿を見なくなった。牧師が、女性を受け入れていた水産協同組合の通訳に尋ねると、中国の送り出し機関との間に「宗教活動を禁止する」との取り決めがあり、教会に通い続けるならば「帰国させる。(送り出し機関に預けた)保証金も没収される」と女性に告げたという。 こうした取り決めで、中国からの研修・実習生

    「救いを」祈る研修生 - 跡地。
  • 夏風邪をひいた - 跡地。

    在特会のデモは火事だと思った。そしてその火には、日国民であるなら誰しもに責任があると思った。だから消火にあたる消防士については、その思想信条など問題にせずこれを支持しようと思った。更に言えば彼らの反日主義は、在特会の排外主義ほど社会に浸透力があるとも思えず、それぐらいは言わせといても良いんじゃないかと思った。 白 - There is a light that never goes out. しかし実際在留外国人問題の現場でその衝に当たっておられる方の意見は違った。 はてなブックマーク - 実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば はてなブックマーク - 実務家のラディカリスト批判 - 思いて学ばざれば はてなブックマーク -asahi.com(朝日新聞社):カルデロンさん一家、両親が入管に出頭 - 社会 isikeriasobi isikeriasobi id:Apema

    夏風邪をひいた - 跡地。
  • 白猫黒猫 - 跡地。

    水が高きから低きに流れるように、人間は右傾する。よって在特会のような主張は、日の丸がどうとかいう左翼のそれより、社会への浸透力がずっと強い。故に私はこれらに対する反差別デモを、それを構成する人の思想を問わず支持するし感謝もする。一方的であっても。

    白猫黒猫 - 跡地。
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2009/06/16
    "水が高きから低きに流れるように、人間は右傾する"
  • 遷都計画 - 跡地。

    「日は朝鮮人を満州に追い出して韓半島に住もうとした」(1) | Joongang Ilbo | 中央日報 金氏によると、日は1943年の秘密国土計画「中央計画素案」で、京城府(ソウル)南の郊外、日の岡山と福岡の3カ所を大東亜圏の首都移転候補地に決めた、としている。 日人は韓半島と満州に、朝鮮人は満州に移住させる計画も立てた。金氏は「日の元官吏らとの面談で、首都移転候補地の京城府郊外は韓国外国語大竜仁(ヨンイン)キャンパス辺りであることを確認した」と述べた。 −−日帝はなぜ首都を移転しようとしたのか。 「ソウルは当時、日帝の支配圏の中心だったうえ、歴史的に地震のないところだったからだ。他の2つの候補地は日土だったが、彼らの心はすでにソウル付近に決まっていた。秘密計画を見ると、日人800万人と朝鮮人200万人を満州に移住させ、日人200万人を韓半島に移住させるという内容の人口

    遷都計画 - 跡地。
    makamaka_at_donzoko
    makamaka_at_donzoko 2009/06/14
    "東京は震災及び防空上、絶対に帝都としては不適当であり、次のいずれかに遷都すべきものと思う。第一は京城の南、竜山。次は播州加古川流域、万已むを得ない場合は、宮城と政府機関とを、八王子附近に移す"
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