タグ

ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (194)

  • ジュネーブ詩篇本について: 極東ブログ

    一連の詩篇関連の話としてジュネーブ詩篇(サルター)(Genevan Psalter)について触れておきたい。 プロテスタントの形成に大きく寄与し、またマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神」でも重視されているカルヴァニズムの原点、神学者ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)(1509-1564)は、独自のサルター(詩篇)も作成していた。ブジョーの「詩篇を歌う」(参照)で詩篇朗詠は聖務日課(Divine Office)の基礎となるとの指摘があったが、カルヴァンも新しい自派の信仰集団に聖務日課のような儀礼を組み込みたかったのがサルター編纂の目的だった。カルヴァンというと質素で儀礼を排するかに理解されることが多いが、詩篇朗詠を信仰生活の基軸にするベネディクト修道院的なコミュニティへの志向もあった。 簡単にカルヴァンについておさらいしておく。カルヴァンはフラン

    mako_to
    mako_to 2012/06/15
  • 詩篇と関連した神名などについて: 極東ブログ

    シンシア・ブジョーの「詩篇を歌う」(参照)を読みながら、聖書の詩篇についていろいろ考えた。心に残っているうちに一部をメモしておきたい。 ブジョーのはよく書けているが、意図的かはわからないにせよ関連しているはずなのに抜け落ちたかに見える話題もある。一つはプロテスタントと詩篇の関わりである。これは別途扱いたい。もう一つは、砂漠の教父たち黙想をカッシアヌスやベネディクトゥスに結びつけていく説明は見事だが、おそらく砂漠の教父たちの信仰にはそれ自体に独立した形式を伴った朗詠が含まれていたことだ。砂漠の教父たちのチャンティングは実際にはどのようなものだったか。 砂漠の教父たちの朗詠の原形の一端は、おそらくイエス・キリストも服しただろうユダヤ教の儀礼があるだろうが、それだけではなく、現代のコプト教会やエチオピア教会に残る、呻るようなチャンティングもあったのではないか。これらは、聴き方にもよるが日の木

    mako_to
    mako_to 2012/06/15
  • [書評]詩篇を歌う(シンシア・ブジョー): 極東ブログ

    何かを自習するための教でこんなに楽しいのは久しぶりだなとシンシア・ブジョー(Cynthia Bougeault)の「詩篇を歌う(Chanting the Psalms)」(参照)を読んだ。 内容は簡素なタイトルが示すように聖書(旧約聖書)の詩篇を朗詠するための基礎知識や簡素化された技法、さらに現代的な朗詠や歌唱化の手法を扱っている。グレゴリアン・チャントの基も説明されている。翻訳はないようだが平易な英語だし、読んだだけではわかりにくい部分は添付のCDで聞くことができる。記載されている楽譜も最小限だ。著者ブジョーは、耳で聞いて覚えなさい、耳を信頼しなさいと、鈴木メソッドの例で教示している。 こういうで詩篇や英詩の朗詠について若いときに勉強できたらよかったのに、と読後悔みもしたが、著者ブジョーが提示するこの新しい詩篇朗詠の動向は1990年代以降に生じたらしく、この簡素な朗詠法はそれほど広

    mako_to
    mako_to 2012/06/14
  • 非カルケドン派とキリスト教王国: 極東ブログ

    あまり読む人もなさそうなキリスト教史のような話を連ねていくのもなんだなが、あるところまで書いたら自分のなかで終わるだろうとも思っていたが、だいたい終わり、一区切りかなという感じもしたが、朝方ぼんやりと、なぜ非カルケドン派はカルケドン会議を認めなかったのかとつらつら考えていて、そうだ、そのとおりではないか、と気がついた。そうだ、そのまま「非カルケドン派はカルケドン会議を認めなかった」ということ。何となく、公会議で非カルケドン派が排斥されたかのように思っていた。その思い込みは何から来たか。「東ローマ帝国」という詐術である。 カルケドン会議は、ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)が召集し、コンスタンチノープル総主教アナトリオス(Anatolios)が主導した。このあたり通説はどうなっているかと、ウィキペディアを見ると、「東ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)によって召集され」と無

    mako_to
    mako_to 2012/06/13
  • 砂漠の教父とコプト教会: 極東ブログ

    砂漠の教父(Desert Fathers)とコプト教会の関係が気になるので、自分なりに少し整理しておきたい。 先日のエントリー「砂漠の教父と黙想の祈り、改革者としてのアタナシウス」(参照)で砂漠の教父に言及した。背景の基構図としては、ローマ帝国の遷都に伴い、ローマ帝国がキリスト教帝国となり、帝国西部崩壊でローマ主教座が独立・分離する以外は、各地の総主教座はコンスタンチノープルの主教座を名誉的な頂点として統合された。現在のエジプトに居住していた砂漠の教父らも基的にはこの構図から、アレクサンドリア総主教座に以降、納まることになった。だが、砂漠の教父とアレクサンドリア総主教座と後のコプト教会の三者の関係は、現在のキリスト教史観からはわかりづらい。この領域は、正教でもプロテスタントでもカトリックでもないためだろう。 コプト教会は東方諸教会の「非カルケドン派」と呼ばれることがある。451年のカル

    mako_to
    mako_to 2012/06/12
  • 人類祖先のアジア起源: 極東ブログ

    先日雑誌「サイエンス」のニュースに人類祖先のアジア起源の話があった(参照)。その手の話は以前にもあるし中国の学者とかが好みなので、またその類かなとも思っていたが、「サイエンス」誌でもあるしネタ元の論文を見たらPNASだったので、それほどネタ臭いというわけでもなさそうだった。記事は「サイエンス」から「ワイヤード」にも転載されていたので、日でも翻訳も出るんじゃないかと思うが、今のところなんとなく見当たらない。ニュースとして取り上げているところもなさそうので、簡単にブログで拾っておきたい。 あらためて言うまでもなく、人類の直接的な祖先はアフリカで発生したというのが定説である。だが今回のPNAS掲載の論文「ミャンマー発祥の始新世中後期霊長類と初期類人のアフリカ植民地化(Late Middle Eocene primate from Myanmar and the initial anthropo

    mako_to
    mako_to 2012/06/10
  • 砂漠の教父と黙想の祈り、改革者としてのアタナシウス: 極東ブログ

    1960年代以降に再評価される黙想の祈り(Contemplative prayer)は、英国中世の「不可知の雲」を直接的な源流としているが、それに終始することなく、黙想(Contemplation)を重視したキリスト教信仰の形態として古代の「砂漠の教父(Desert Fathers)」も再考されていた。この再考はキリスト教とは何だったのか、という問題を現代に投げかけている。 「砂漠の教父」に厳格な定義があるのか私は知らない。またこの視点がどのように生まれたかについてもわからない。一般的には、現在のスーダンに面するエジプトで暮らしたアントニウス(Αντώνιος)(251~356)を代表とするように、3世紀を中心としたエジプトの地のキリスト教の教父(Father)を指している。"Father"の訳語には「教父」の他に「師父」もある。現在的な訳語「神父」はない。この時代には現代的なキリスト教の

    mako_to
    mako_to 2012/06/06
  • 黙想の祈りとテオリア: 極東ブログ

    黙想の祈り(Contemplative prayer)に関連するを読み考えながら、ぼんやりと見えてきたものがある。気にかかっているうちにブログにメモしておこうかと思う。思うままに書くのであまりまとまったものにはならないだろうが。 黙想(Contemplation)とは何か? なぜそれがキリスト教において意味があるのか? 疑問の答えとは言えないまでも、いくつか書籍を読みながらぼんやりとした形が見えてきた。逆に言うと、なぜこの疑問がこれまで自分にとって、うまく浮かび上がってこなかったか?としてもよい。それは自分が接したキリスト教からは、そもそも見えづらいものだった。私と限らず近代が結果的に覆い隠してしまった面もある。 私自身を例にすると、接触したキリスト教には三つの面があった。一つは日の近代化や敗戦に伴うプロテスタンティズムである。この伝統こそ黙想の祈りを覆い隠してしまうことが多い。クエー

    mako_to
    mako_to 2012/06/04
  • [書評]トーマス・マートンの黙想の祈り(トーマス・マートン): 極東ブログ

    現代的なキリスト教瞑想・黙想の基点の一つとしてシンシア・ブジョー(Cynthia Bourgeault)がトーマス・マートン(Thomas Merton)について言及していたので(参照)、彼の数多い作品から関連するものとして「トーマス・マートンの黙想の祈り(Contemplative Prayer)」(参照)を読んでみた。マートンはベトナム戦争時代の平和論者として日でも注目され、また米国でも過去半世紀においてはもっとも有名な宗教的著述家としても知られていたこともあり、宗教的な著作でも比較的翻訳書はある。同書も既に翻訳されているかもしれないが見当たらなかった。 ブジョーの語るトーマス・キーティング(Thomas Keating)やジョン・メイン(John Main)(参照)と比べ、マートンの瞑想観は、その精神性や神学観では類似ているし、その面においてキーティングやメインの展開に影響を与えて

    mako_to
    mako_to 2012/06/03
  • [書評]沈黙に至る言葉:キリスト教瞑想のためのマニュアル(ジョン・メイン): 極東ブログ

    キリスト教黙想としてシンシア・ブジョー(Cynthia Bourgeault)の著作で、ジョン・メイン(John Main)がよく言及されているので、比較的わかりやすそうに思えた、ジョン・メイン著「沈黙に至る言葉:キリスト教瞑想のためのマニュアル(Word Into Silence: A Manual for Christian Meditation )」を読んでみた。タイトルは仮訳で、書の翻訳があるかについては知らない。ないのではないかと思う。副題にマニュアルとあるように修法も簡素に書かれている。メイン自身の実践的な経験に裏打ちされた部分の解説は興味深い。 ブジョーが師事したトーマス・キーティング(Thomas Keating)とジョン・メインはともに、現代的なキリスト教の黙想的・瞑想的祈りの指導者として有名で、メイン存命時には人同士の交流があり、その後も両者のコミュニティの交流はあ

    mako_to
    mako_to 2012/05/30
  • 野田政権「社会保障と税の一体改革」をフィナンシャルタイムズはどう見ているか: 極東ブログ

    野田政権「社会保障と税の一体改革」をフィナンシャルタイムズはどう見ているか。5月21日の社説に興味深い指摘があった。日経済について言及されているので翻訳が出なければブログで拾っておこうかと思っていたら、案の定、出た。JB Pressからだった。「Financial Times 社説:日経済、1~3月期の伸びは続かない」(参照)である。 この社説、どのくらい注目されているのかと見ると、ツイッターでの言及が34、はてなブックマークが12、フェイスブックのいいねが37。どちらかというとあまり振るわない。しかも、それらのコメントを見ると、ネットにありがちとも言えるのだが、否定的なものであったり、論とは関係ない部分に釣られていたりするものが多い。まあ、しかたがないのかもしれない。 JB Pressの訳文を原文とざっと照合したが、訳漏れもなさそうで、プレーンに訳されている。なかなかするどい指摘で

    mako_to
    mako_to 2012/05/30
  • 野田政権「社会保障と税の一体改革(消費税増税)」の見取り図: 極東ブログ

    謎と言ってもよいのではないかと思う。野田現政権「社会保障と税の一体改革」が、である。わずかではあるが自分なりの整理と見通しを書いておきたい。 今回の消費税増税は、増税日の第一歩 「社会保障と税の一体改革」といっても根幹は、村山内閣以降18年ぶりの消費税増税法案である。3月30日に閣議決定され、国会に提出された。閣議決定とはいえ、政権交代のマニュフェストにもなく、与党民主党のなかで合意されているわけでもない。民主党の有力者と騒がれている小沢一郎代議士も反対している。野党自民党としては、与党民主党内の合意ができてから審議に応じようとしている。与党がまとまっていないければ、野党の対応もできないのは当然だろう。 閣議決定された消費税率引き上げ法案は、消費税率を二段階に分け、現行の5%から10%に引き上げることが表向きの目的である。一段階目は2年後の2014年4月でここで8%になり、二段階目は20

    mako_to
    mako_to 2012/05/29
  • 「努力」とはなにか: 極東ブログ

    「努力」とはなにか、について考えたら、文字認識のゲシュタルト崩壊じゃないけど、意味のゲシュタルト崩壊を起こして、えっ?えっ?、「努力」って何? 意味わかんねー状態になってきた。 「努力」とはなにか? なんて考えるのが間違いの元だというのは、わかっているんだが、気になるとダメ、もう。 話のきっかけは、これ、「「努力できる人」は脳が違う」(参照)というワイヤードの記事。へえと思った。そう思う人も多いんじゃないか。ネット界のゴミ箱とも呼ばれアルファーブロガーなら閲覧禁止指定がデフォでしょとされるブコメを覗くと予想通り、たんまりいついている(参照)。 私はというと、いや頭を抱えて、そして冒頭のゲシュタルト崩壊に至った。ちょっと説明させてくれ。 記事の冒頭を引用するから、読んで味噌。 退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。彼らの「脳の違い」を明らかにする研究

    mako_to
    mako_to 2012/05/27
  • 河本準一さんをめぐる生活保護費の不正受給疑惑について: 極東ブログ

    お笑いコンビ「次長課長」の河準一さん(私はこの人全然知らないのだけど)の母親に生活保護費が不正受給されていたのではないか、とする疑惑問題がツイッターで沸騰していた。何かが発動しているんだな、なんなんだろうかと、蟻の生活を観察するように(参照)眺めてみた。よくわからないせいか、自分の印象は浮きまくった。うむ。だったら異論の一つとしてブログに書いてみてもいいんじゃないか。ごく簡単に書いてみたい。 当の疑惑問題だが、NHK的にはこうまとめていた。「河準一さん 生活保護費返還へ」(参照)より。読むとわかりやすい口調でありながら、「それって不正なの?」という構図は、いい案配にボカされている。 この問題は、テレビや舞台などで活躍する河準一さんが一定の収入があるにもかかわらず、母親が生活保護を受けていると、先月、週刊誌で報じられ、批判されていたものです。 河さんは25日、東京都内で記者会見を開き

    mako_to
    mako_to 2012/05/26
  • [書評]英知のイエス 心の変容、キリストとそのメッセージについての新しい見方(シンシア・ブジョー): 極東ブログ

    センタリングの祈りについて書かれたシンシア・ブジョーのを読んだあと、彼女自身の思想を追ってみたい思いがして、もう一冊何か読んでみた。「英知のイエス 心の変容、キリストとそのメッセージについての新しい見方(The Wisdom Jesus: Transforming Heart and Mind--A New Perspective on Christ and His Message)」(参照)である。 私自身、似たテーマを考えてきたこともあり、内容の少なからぬ部分については既知ではあったが、著者ブジョーが整理した視点(パースペクティブ)は類書では得がたいものだった。 タイトルになっている「英知のイエス(The Wisdom Jesus)」は、ともすれば、「イエスの英知(The Wisdom of Jesus)」として理解されやすい。ジェファーソン聖書のように、理性的に受け止めやすく、正し

    mako_to
    mako_to 2012/05/25
  • 職業別労働組合が奨学生を支援するといいんじゃないの: 極東ブログ

    ネットで学費援助を募集するというような話題がこのところネットにあって、公的なセクターが関わる話でもなさそうなので、私にはあまり関心が向かない。なので、そうだったら、関連した話なんかも書かなくてもいいじゃないかとも思うのだけど、まあ、雑談くらいにちょっとだけ。 以前、米国の職業別組合みたいなのものに所属していて、それなりに面白い体験でもあった。団体のプレジデントとか選ぶときも、米国の大統領選挙みたいな仕組みだったりした。規約の改定の手続きともかも、宗教的な大義みたいなものを打ち出したりして、米人は奇妙な考え方をするもんだなとか思った。そんななかで、組合のミッションとして、「今年の奨学生」というのもあった。組合で奨学生を選出して支援しているようだった。 他の組合というかユニオンがどうなっているのか知らないし、ざっとネットで調べた感じだとよくわからないのだが、そこのユニオンだと、将来学生がその職

    mako_to
    mako_to 2012/05/24
  • 心のボットネットについて: 極東ブログ

    「心のボットネット」ということを、このところ考える。私が考えた概念だけど、きっと他にも考えている人は、そういう言葉ではないにせよ、いるんじゃないかと思う。これがわかると、たぶん、ネットの世界の見方が変わるんじゃないかと思う。いやそんな大したことじゃない、かもしれないけど。 ちなみに、まんまでグーグルで検索したら「"心のボットネット"との一致はありません。」とか言われた。へえ。 まあ、一度わかってしまえば難しい術語ではないんだけど、じゃあ、説明してよと言われると、できそうにもないので、黙っていた。こっそりいうと、そういう自分が作った自分だけの概念みたいのが私にはいくつかあって、これはたぶん、狂気への道なんだろうなと思う。 「心のボットネット」を説明するためには、前提となる「ボットネット」を説明しないといけない。うへぇ。 いや、そうなんだ、ほんと、ウエーならぬ、ここは敵地だ、うへぇな感じ。 で

    mako_to
    mako_to 2012/05/18
  • ブログはどこまで嘘をついていいのか: 極東ブログ

    まあ、話題の虚構新聞の「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」(参照)について、私も結局釣られるということなんだが、ネットでは話題といっても知らない人もいるだろうと思うので、概略から、で。 試しに、グーグルニュースでこの件を検索したらエックスドロイドというサイトの「「虚構新聞に怒る人はバカ」とひろゆき氏が断言」(参照)という記事があって、ざっと読んだら、それがわかりやすいように思えたので、概要の代わりに引用。 現実の事件や出来事のパロディ記事を配信するジョークサイトとして有名なのが「虚構新聞」。個人サイトとは思えないPVを叩きだしており、一昨年に今までのネタを集めた単行『号外!!虚構新聞』(笠倉出版社)が発売されるほどの人気サイトだ。 記事には背景色に隠れた文字を反転させると「これは嘘ニュースです」と書かれており、虚構新聞というサイト名からもジョークであることは分かるのだが、「あ

    mako_to
    mako_to 2012/05/18
  • 米国で話題の同性婚とか: 極東ブログ

    ちょっと立て込んでいて今週はメルマガの試作品は出せそうにない。ということは、やっぱり毎週は難しいなという感じがする。軽げなコラム風とかなら、へろへろっと書けないことはないけど、私の書いたものなんか読んで面白いと思う人はそんないないんじゃないかと思う。書籍とかはなにげに読んでいるけど、クザーヌスのとか紹介するのものいかがなものかで、やっぱし勝間さんのとかでないと。 「このネタはメルマガに回そうかな」とか各ネタのこと思うとブログを書くのがおっくうになる。それもどうでもいいような感じではあるけど、ブログが空いちゃうのもなんなので、その手のネタを軽く書いてみたい。米国で話題の同性婚についてである。 なんで米国で同性婚が話題かというと、きっかけは、オバマ大統領が9日、ABCのインタビューで同性婚を支持すると発言したことだ。で、なんでそれが話題になるのかというと、それが米国人の関心事だからだ。ぐる

    mako_to
    mako_to 2012/05/16
  • [書評]センタリングの祈りと内面の目覚め(Centering Prayer And Inner Awakening)(シンシア・ブジョー): 極東ブログ

    [書評]センタリングの祈りと内面の目覚め(Centering Prayer And Inner Awakening)(シンシア・ブジョー) 詳しく調べたわけではないが日語の訳はないのではないかと思う。シンシア・ブジョー(Cynthia Bourgeault)による「センタリングの祈りと内面の目覚め」というタイトルはオリジナル「Centering Prayer And Inner Awakening」(参照)の仮訳である。内容はそのまま、「センタリングの祈り」についての簡易な解説であり、その歴史と神学的な背景も平易に説明されている。彼女の語りくちも興味深く、英語も平易で読みやすい。 「センタリングの祈り」とは何か? 公式な説明ではないが、「人が存在の中心(センター)である神に立ち返る祈り」としてよいのではないかと思う。 命名したのはシンシアの師でもありこの祈りの現代的な提唱でもあるトーマ

    mako_to
    mako_to 2012/05/13