デモ開始から5ヶ月を経たにもかかわらず、香港の情勢はいっそう悪い方向に進みつつある。11月8日にはデモ参加者の学生が転落死し、自殺や不審死をのぞけば今回のデモでは初めての明確に確認された死者が出た。結果、デモ隊の抗議はより激化し、12日ごろからは学生運動が盛んな香港中文大学などで警官隊と学生グループの大規模な攻防戦が起きている。
他のプロスポーツの大きな興行と重ならないように 東京都だって、夏がクソ暑いの分かっててオリンピックやりたいと挙手して、森喜朗さんやら猪瀬直樹さんやらが頑張って、滝川クリステルまで「おもてなし」とか適当なこと言って勝ち取ったわけじゃないですか。このオリンピックを成功に導けると思って頑張っちゃったんですよね。まるで勝てると思って打って出た太平洋戦争みたいじゃないですか。甘い見込みででかい冒険かまして大失敗って、戦後かなり経ってもまだ懲りてないんでしょうか、我らジャパニーズは。 それが、どうしてこんなことになっちゃったのかって。 元を糺せば、ロイターの記事にもある通り、他のプロスポーツの大きな興行と重ならないように、ビジネス上の問題も含めて真夏にオリンピックを開催することが決まっていたわけですよ。 「米国では、ナショナルフットボールリーグ(NFL)のシーズン開幕や野球の大リーグ(MLB)プレイオ
一路線でも高速鉄道を走破してみたい 私が中国で走破した鉄道路線は、青蔵鉄道(西寧~ラサ1,956 km)、南疆線(トルファン~カシュガル1,446km)、喀和線(カシュガル~ホータン488km)の3路線のみで、いずれも高速鉄道ではない。となると一路線でも高速鉄道を走破してみたくなるのが旅ヲタの性だ。 走破するのであれば1,000km以上の長距離メジャー路線で、なおかつ薄給サラリーマンとしてはLCCを使って出費を極力抑えたい。条件に見合う路線は、天津浜海国際空港と上海浦東国際空港を使った京滬高速鉄道(北京~上海1,318km)と、天津浜海国際空港と香港国際空港を使った京広高速鉄道(北京~広州2,298km)。世界最長の高速鉄道である京広高速鉄道は魅力だが、空港から駅までの移動も加味して京滬高速鉄道が時間・予算ともにお手軽に走破できそうだ。まずは京滬高速鉄道の走破を試してみることにした。 高速
テレビでも取り上げられた「二子玉川の新堤防論争」 東急線二子玉川駅に隣接する橋を区切りに下流側の堤防は整備されているが、上流側は土嚢を重ねたのみの仮堤防だ。今回の氾濫箇所とされている玉川3丁目「兵庫島公園」の入り口付近の対策は脆弱で台風前日に世田谷区が集めた土嚢が数段詰まれたのみの状態だった。工事はなぜ止まったのか。 この問題は、2009年8月に放送された情報番組「噂の東京マガジン」(TBS系)の人気コーナー「噂の現場」でも取り上げられた。当時の新聞ラテ欄には「集中豪雨・堤防建設で住民が反目」と書かれている。今回ネットで拡散されたブログには当時の番組内容がこう記されていた。 《二子玉川の新堤防で論争 2009/08/23放送 東京・世田谷区の東急・二子玉川駅近くの南地区(約500世帯)で、国土交通省が建設を始めた新堤防をめぐって、住民同士が論争を繰り広げていることを放送。「住宅の中からの、
『チョンキンマンションのボスは知っている』(小川さやか 著) 文化人類学者の小川さやかさんは、未来を計画せずに生きる暮らしと経済を描いた『「その日暮らし」の人類学』で注目を集めた。本書では、香港で商売を営むタンザニア人たちの逞しい生を、文化人類学の手法を使って調査した。 「私はもともとタンザニアで古着商人の研究をしていたのですが、2000年代後半になると、中国製の安価な衣料品、見たことがあるけどちょっと違うロゴがついているような新品がアフリカにどっと入ってきたのです。コピー商品って悪いモノだとされるけれど、貧しい彼らが最先端の流行を手にする手段でもあるよなと、関心を持ったんです」 小川さんの興味関心は、やがて中国製品から、それを買い付ける、香港を拠点に活躍するアフリカ系交易人へと移っていく。 「香港は、多くのアフリカ人にとって中国ビジネスの玄関口です。また香港は日本を含め様々な国から中古
香港の混乱が緊迫の度合いを増してきている。今年4月に「逃亡犯条例」の改正案が提出されたのをきっかけに、大規模なデモが続き、9月4日には林鄭月娥香港行政長官が改正案を正式に撤回すると発表。しかし、その後もデモは終息せず、「林鄭氏の辞任」「警察の暴力追及」や「拘束された仲間の釈放」「普通選挙の実施」などを求めた。 これに対し、香港政府は「緊急状況規則条例」を半世紀ぶりに発動し、デモ参加者のマスク着用を禁じる強硬措置に動き、警察による実弾発砲まで起きた。デモ隊はこれに対決姿勢を一段と強め、予断を許さない状況だ。
香港の抗議運動は混迷の度を増している。10月4日には行政長官(大統領に相当)に非常権限を認める緊急状況規則条例(緊急法)が発動され、無許可デモの参加者への覆面禁止法が制定された。それ以降の香港は戒厳令に近い状態にあると言っていい。 対して、多くの市民が街に繰り出して平和的な抗議活動を実施するいっぽう、一部はより激しい闘争方針を取り、8月末ごろから駅や列車車両、彼らが「中国に近い」と判断した店舗などへの落書きや破壊、放火を広範におこなうようになった。 とはいえ、香港デモは一般の日本人には理解しにくい。私はデモ初期の6月15~20日と、8月末~10月初頭に現地入りし、警官に撃たれたり催涙弾が直撃したりデモ隊に尋問されたりと大変な目に遭っているが、それでも情勢を追いかけるのは大変だ。 だが、日本の隣国で発生した大事件に対して、わからないままでいたくない人も多いはずだ。今回は編集部の質問に答えるQ
A7. 9月までの時点では「ありえない」話だったが、10月以降は一笑に付せなくなってきた、というところだと思います。 もともと、日本のメディアは6月時点から「人民解放軍が来る」「天安門再び」と煽る例が多かったですが、これは香港への予備知識がなく「中国(香港)のデモなら天安門事件」という単純な連想によるものでした。香港基本法(憲法に相当)には、香港がコントロール不能な状態になった場合の中国内地からの介入を認める条項がありますが、一国二制度の縛りもありますし、現実的にはよほどのことでないと実行されません。 ただ、10月1日の国慶節(中国の建国記念日)の前後にデモ隊が暴れすぎたこともあってか、林鄭月娥は禁じ手である緊急法を発動しました。これはすでに「よほどのこと」ですから、今後は何が起きても不思議ではありません。 実は香港にはもともと、人民解放軍の駐港部隊6000人が駐留しています。彼らは市民生
吉野家、元気寿司も……「仕事」のような破壊行為 事実、特に大規模な衝突の現場では、デモ隊の勇武派(警官隊との衝突を辞さない過激グループ)はかなり統制された動きを見せている。デモ隊が常用するメッセージシステムTelegramの公式チャンネルにアップされた前線部の分掌図を見ると、最前線で火炎瓶や石を投擲する攻撃部隊、催涙弾を無効化する防御部隊など、役割分担も整っているようだ。 衝突の最前線における勇武派の陣形。デモ隊側の公開情報と、筆者の実地観察をもとに作成。休日の金鐘地区の政府総部前などでは比較的きれいに陣形が保たれた衝突が見られる。警察側も負けておらず、地下鉄をトーチカにして勇武派の側面に出現して奇襲するなどして陣形を崩す ©安田峰俊 また8月末ごろからは衝突の正面戦線とは別個に、数十人程度の遊撃部隊が周囲の地下鉄駅や民間店舗への落書きや破壊・放火を繰り返すようになったが、こちらの動きも非
香港で逃亡犯条例改正案問題を発端に発生した大規模な抗議運動は、発生から100日以上が経った現在も収束の気配を見せない。この事件は日本国内でも比較的関心が高く、催涙弾が飛び交う激しい衝突現場のレポートやデモ参加者の肉声、事態の背景などが数多くのメディアで報じられてきた。 意外と少ない「体制側」の意見の報道 だが、意外と少ないように思えるのが香港の「体制側」の意見の紹介だ。 もちろん、香港政府は北京の中国政府の強い影響下にあり、重要な政策決定は北京の意向に従わざるを得ないのだが、いっぽうで香港の立法会議員(国会議員に相当)の一部は普通選挙で選出され、市民にはデモ活動や体制批判的な言論も許されている。ゆえに中国内地と比較して、香港政府はある程度までは民意を汲み取った政治をおこなうことが求められている。 今回、私があえて話を聞いたのは、香港政界では建制派(中国に融和的な体制派)とみなされる立法会議
「中国スゴイ!」という文脈で、中国にあるガラス張りの無人コンビニがしばしば取り上げられました。2017年から2018年にかけてのことです。QRコードによるキャッシュレス決済やシェアサイクルの次のネタとして使われたのです。 まさに「あの無人コンビニは今」 中国を代表するネット企業「アリババ(阿里巴巴)」が「ニューリテール(新小売)」なる概念を提唱し、海の向こうのアメリカでは無人商店「Amazon Go」が出た後、負けじと思ったのか、あるいはビジネスモデルを拝借しようとしたのか、ガラス張りの無人コンビニは中国各地に登場しました。 無人コンビニは「面積は小さいのでテナント料は安い」「無人なので人件費も少ない」「だからすぐ儲かる」という論法で小売りの未来を提示しました。華々しく登場して、海外にまでその存在が驚かれた無人コンビニですが、最近の「あの無人コンビニは今」的な報道を見るに、ビジネスモデルと
香港のデモ活動はまったく収束する気配を見せない。平和的な抗議運動も続いているが、いっぽうで多くのデモの前線では警官隊とデモ隊の双方による暴力的な行為がエスカレートしている。 私自身も9月6日夜、デモ隊の強硬な抗議がなされていた旺角警署前でカメラを構えていたところ、10メートル足らずの至近距離から、警官隊にレミントンM870(散弾銃)でいきなり銃撃された。 銃撃に使われたのは暴徒鎮圧用のビーンバッグ弾のようだが、当時の私は周囲の記者たちと同じく蛍光色の報道ベストを着ており、背後にデモ隊もいなかった。香港警察の暴力行使のハードルが著しく下がっているのは間違いない。 いっぽう、デモ隊の抗議行動もエスカレートしている。上記の9月6日深夜には「香港を裏切った」としてデモ隊の恨みを買っている香港地下鉄MTRの駅が複数襲撃され、私自身も目の前で油麻地駅のガラスやエレベーターが破壊される様子を見た。 また
Q やはり「1国2制度」は難しい? 香港での逃亡犯条例改正案の撤回などを巡るデモや、香港に隣接する広東省深圳に中国の人民武装警察部隊が駐留する様子などが報じられてきました。やはり「1国2制度」は難しいものでしょうか。(30代・男性・公務員) A 「1国2制度」という奇策の裏には。 香港が中国に返還されたのは1997年7月1日。当時の中国は硬直した社会主義体制が続き、貧しい国でした。 一方、香港は自由な資本主義で経済は発展していました。その香港が、そのまま中国の一部となったら、香港の人たちが逃げ出してしまう。それでは、「金の卵を産む鶏」でなくなってしまう。当時の中国の最高実力者・鄧小平はこう考え、「1国2制度」という奇策を打ち出したのです。
2019年上半期(1月~6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。トラベル部門の第4位は、こちら!(初公開日 2019年2月18日)。 * * * 広東省東莞市という地名を聞いても、おそらく多くの日本人の反応は「それ、どこ?」だろう。ただ、製造業関連の仕事をしていて、出張や駐在が多い人はピンとくるはずだ。東莞は世界の工場・中国広東省の中心部にある。キラキラしたイノベーションで近年台頭している深圳や、省都として長い歴史を持つ広州と比べると、モッサリした感じが抜けない工業都市である。 さておき、東莞にはかつて、工業都市と表裏一体のもうひとつの顔があった。男性の出張者や駐在員が多いことから、中国で最も夜の産業が発達していたことだ。特に2008年ごろから2014年ごろまでが東莞の「最盛期」だったとされている。中国では当時まで、性産業の存在が事実上は黙認されていたのだ。
香港の情勢は多少は沈静化したが、なおも動き続けている。香港返還記念日の7月1日に毎年恒例でおこなわれる平和的な民主化アピール「七一大遊行」に55万人(主催者発表、以下同じ)が参加して秩序だったデモをおこなういっぽう、別働隊の若者らが立法会(国会議事堂に相当)に突入。香港特別行政区の標章や歴代行政長官の肖像画などをスプレーで塗りつぶすなど、荒々しい抗議運動をおこなった。 平和的なデモによって意見を示すことが通例とされている香港で、一定程度の破壊行為をともなう過激な抗議活動がおこなわれたことには賛否両論がある。また、当初は逃亡犯条例改正案への反対という香港内の政治問題への異議申し立てとしておこなわれた運動の矛先が、徐々に北京の中央政府に向きつつあることも気がかりだ(もっとも、7日には九龍地区の繁華街で中国へのアピールを主眼にした大規模なデモが起きたが、平和的に実施された)。
【ファイル2 エリートは英国の遺産を奉ずる】 〔Cさん 31歳 職業:弁護士、元香港政府官僚 学歴:香港中文大学卒業、米国・英国留学経験あり〕 〔Sさん 31歳 職業:実業家、元香港政府官僚 学歴:香港大学卒業、英国某有名大学で修士号取得〕 「香港はいつからこんな街になったのか」と涙が出た ――デモには行きましたか? S: 9日のデモも16日のデモも行った。ただ、12日の立法会付近での抗議行動は、行こうかと思ったが危険そうなのでやめたよ。 C: 僕は12日も現場を見に行った。衝突現場から300メートルほど離れた歩道橋の上で見ていたけれど、催涙弾のガスが自分の場所まで漂ってきて苦しかったな。30分ほどで帰った。危険だと思ったし、なにより悲しかったからね。香港はいつからこんな街になったのかと涙が出たんだ。過去、例えば2003年のデモ(治安立法制定などに反対して50万人を動員)当時は、警官とデモ
香港の状況はいまなお流動的である。だが、大規模な抗議運動を招く理由となった「逃亡犯条例」の改正審議について、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が無期限の延期を示した(事実ほぼ廃案となった)ことで、デモ隊の要求はひとまず一定程度は受け入れられたと言っていい。 6月の香港デモは「3段階」だった 6月に入ってからの一連のデモは、大きくは3段階がある。まずは、6月9日に現地の民主派系団体の連合組織・民間人権陣線が主催した街頭デモで、約103万人(主催者発表)が参加。終了後の夜間に一部の群衆と警官側の衝突が見られたが、日中のデモ自体は非常に平和的なものだった。 次に条例改正案の審議が予定されていた6月12日に、審議を阻止するために立法会(国会議事堂に相当)を1万人ほどの抗議者が取り巻く事件が起きた。この際、抗議者たちを排除しようとした警官隊と激烈な衝突が発生、80人以上の怪我人が出た。日本で報じられ
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