ありがとうございます。 この本は、あとがきにも書きましたが 御社の乗組員である 西本(武司)さんという人が 「PRさん、うちでなにか書きませんか?」と 声をかけてくださって 「私に、できるのかな‥‥」と不安に思いながら 書きはじめたものです。
回転寿司のチェーン店を経営する人と 話していたときのコトです。 回転寿司で成功するための持論を 彼はこう説明する。 回転寿司の良し悪しは、シャリの良し悪し。 上等な寿司屋の場合、お客様はネタを食べにいくから、 そういうお店の良し悪しは、ネタの良し悪し。 けれど回転寿司には、お腹いっぱいになりにくる。 だからシャリがおいしくないと、お客様はよろこばない。 シャリをおいしく感じさせるコトに成功した回転寿司は、 成功の確率が高いお店と言えるんです。 ちなみにうちはシャリを3種類もっている。 1種類は「わざと、ひと味抜いた」シャリ。 おいしくないかというと、決してそんなコトはなく、 ただちょっと物足りなく感じるように味をつけてる。 新しくお店を作ったときにはそういう 「ひと味足りない」シャリでまずは営業をする。 新規開店のお店には、放っておいてもお客様がくる。 大抵そんなときには、 開店記念セール
ミルクで割ればどんなコーヒーもおいしく感じる。 1ドル足らずでお替わり自由が当たり前だった コーヒーにはできぬ出費も、 おいしいミルクにならば 3ドル、4ドル払ってしまえる。 その値段分の手間をお店はかけられる。 一杯、一杯。 注文を受けてからお客様の目の前で エスプレッソを作る手間。 手間を掛ける間、お客様とひとこと二言かわしたりする。 自分の注文が大切にされている。 これから自分は、手間をかけて作られた 飲み物を飲めるんだ‥‥、と期待がたかまる。 サービスがいいお店。 セルフサービスなのに、 あのお店は働いている人の笑顔がステキで、 気持ちのいいサービスをしてくれるネ‥‥、 と言われてワザワザお客様がくる。 そんなコーヒー専門店。 しかもチェーン店がアメリカにできるなんて、 おそらく20年も前には誰も予想しなかった。 ミルクなんかで割らなくても、 コーヒーマシンが落としたコーヒーをおい
おいしいコーヒーに無関心だったアメリカ人が、 シアトルスタイルのコーヒーに夢中になってしまった理由。 とても単純。 それは「アメリカ人はコーヒーは好きじゃなかったけど、 ミルクが大好き」だったというコト。 アメリカのコーヒーショップやダイナーレストランに行くと 「fresh milk sold here」と書かれた看板が、 レジやカウンターの後ろの壁にかけられているのを 見ることがある。 「うちは新鮮なミルクを売っている」 いろんなメッセージが込められています。 まず、だからミルクやミルクシェイクがおいしんだ‥‥、 というストレートなメッセージ。 粉末のミルクシェイクミックスと氷で作る ファストフードなんかと一緒にしないで‥‥、 っていう意味を持つ。 それだけじゃなく、 食材の仕入れに自信を持ってるというコト。 あるいは、仕入れた分をすぐに売り切るだけ、 人気のある店だっていうコト。 だか
外食産業はコロナの影響を受けて 本当に大変な状態にあります。 コロナ以前、 日本の外食産業の市場規模は 23兆円程度と言われていました。 産業の絶頂期は2000年のちょっと前。 30兆円を超える寸前まで市場規模は膨らみました。 外食バブルがはじけ、 日本の景気が後退し続ける中にあって 23兆円まで縮んだ一昨年に比べて 市場規模が確実に4割減ったと言われます。 となると市場規模は14兆円ほど。 いつくらいの市場規模かと言うと 1980年くらいのイメージです。 つまり40年分の産業の努力が あっという間に吹き飛んでしまったということになる。 この40年間。 産業が成長し続けた背景には お店の人たちのたゆまざる努力がありました。 コンセプトを考え出したり、魅力的な店を作ったり。 よりよい調理やサービスのための教育を 怠り無く行ったり。 それらすべての目的はお店の人たち同士や、 お店の人とお客様と
ナイフは右手、フォークは左手、 それって絶対に守らなきゃいけないルールなんでしょうか? ──昔はそうでした。 今でも頑固で保守的なマナーブックなんかには 絶対に譲れないルールの一つ、 として紹介されていたりします。 ナイフとフォークを持ち替える。 正確に言うと、ナイフを置いて 右手にフォークを持ち替えて食べる、 ということになろうかと思うのですが、 そんなこと、本当は許されないバッドマナーで、 それは何故か? というと、 やはり「美しくない」からだ、と思うんですネ。 レストランのマナー、 どんどん簡略化される傾向にあります。 お行儀よく、よりもカジュアルに気軽に食事を楽しむ、 ということを求めるお客様が増えてきたと いうことなのでしょうが、 でもどんなに気軽で楽しいのがいい、 といっても「美しくない」お客様になってしまったり、 「他人の迷惑になる」お客様になってしまったら ちょっと悲しい。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という
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