The Military History Society of Japan (C) 1998; Since 1998-Oct-1
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【秋季年次法要の斎行について】 9/22(日・秋分の日)午後2時より世田谷山観音寺にて『第73回 特攻平和観音年次法要』を斎行致します。 お誘い合わせの上、是非ご参列いただきますようご案内申し上げます。なお、今回も法要終了後の直会は中止となります。 ※オンラインからもお申込みいただけます→右上の赤枠「入会・各種お申込」→「秋季年次法要お申込み(場所:世田谷山観音寺)」
当サイトについて 当サイト「官制大観」は、わたしを含む一般の人々を対象に、人文系独習のための、律令官制度に関する導入的なリファレンスとして、(当初、公開を予定していなかった、本来、公開できたもんじゃない)自習ノートをもとに作成しています。個人のエンターテイメントとしてではなく、講座や論文を趣旨とするものでもなく、ノートは眠らせておくよりも、と、自身の勉強を兼ねて公開しているものです。広義な「律令制度下の官制」がメインで、他の官制に手を付ける予定はありません(若干載せてはいますけど)。 記述に際して(以下敬称略)、わたしの自習ノートの出発点となった講談社学術文庫「新訂 官職要解」和田英松著・所功校訂、及び、養老律令の現代語訳の底本とした岩波書店「日本思想体系 律令」井上光貞・関晃・土田直鎮・青木和夫校注をはじめ、本文に反映していないものも含めて、多くの研究者の業績を参考にさせていただいていま
日華事変において、中共こそが救国を担ったという主張が長年にわたって流布されてきた。しかし、それは嘘である。八年間にわたる「抗日戦争」で日本軍の矢面に立ったのは国府軍で中共ではなかった。そもそも中共指導部に、日本軍に対する抗戦意欲はなかった。中共の至上命題は大陸の覇権を握ることで抗日ではなかったからだ。 先般、安倍総理は、慰安婦問題について、「軍の関与はあったが強制はなかった」という趣旨の談話をした。これを二枚舌だ何だと批判する向きがあるが的はずれである。そもそも、「軍の関与はあった」と「強制はなかった」は不可分だからだ。「軍の関与はあった(ゆえに)強制は(あり得)なかった」が建前であり、史実もおおむねその通りだった。その点で安倍談話に何ら落ち度はない。 将兵にセックスサービスを提供する慰安所は民間業者の経営だったが、その開設については軍に許認可権があった。一般に日華事変において慰安所は南京
About the project This project attempts to create a biographical database, which covers the army generals of all participating countries of the Second World War. At the moment the database contains 28264 short biographical sketches of the army generals of World War 2. However, taking into account the scope of the project, the information on each general will vary in detail. Some generals have only
大陸軍人物録 ナポレオン 元帥 ワーテルロー 大陸軍人物録 「実際に起こったこと」が歴史となるのではなく、 「語られたこと」が歴史となっていく Bernard Coppens "Waterloo, recit critique"に記載されている ナポレオンの言葉より 2009/03/26 備忘録「映画 コルベルク」追加 2009/03/22 備忘録「エジプト恋愛事情 女奴隷」追加 2009/03/02 備忘録「大陸軍と女性」フェルニッヒ姉妹画像追加 2009/02/09 元帥逸話集「ミュラ ミュラの首」追加 2009/02/05 HP引越し 2008/12/01 リニューアル工事開始 デルダフィールド「ナポレオンの元帥たち:栄光を追い求めた二十六人」 (牧歌舎 2008年7月発売 1500円) おかげをもちまして、2009年3月、800部を完売しました。 (自費出版のため、増刷
家紋Worldへようこそ! 家紋Worldは、日本独自の意匠「家紋」と「名字とルーツ」に関する情報を発信しています。 鎌倉政権を担った武家は、桓武平氏の後裔という坂東平氏といわれるものたち、そして藤原秀郷の後裔を称するものが多い。 かれらの祖こそ、都から東国に移住して関東の荒撫地を代々開拓してきたものたちであった。 笹竜胆紋は清和源氏のシンボルといわれる。しかし、鎌倉時代、頼朝をはじめ清和源氏の武士たちが笹竜胆紋を用いたという確証は、いまのところない。 ★ 相互リンク … ● 見た、聞いた、拾った家紋の話― ● 戦国武将の名字に 丹波芦田氏 ・余田氏 ・肥塚氏 ・田路氏 ・大槻氏 ・志賀氏 ・須知氏 ・吉見氏 ・河内土屋氏 ・和田氏 ・大芋衆 ・美濃部氏 ・夜久氏 の家伝をアップ。 ・安積氏 の家伝を全面改訂。 「戦国を語ろう」ネットワークに参加しています。 信濃中世武家伝 |好評発売中|
風雲戦国史へようこそ! 風雲戦国史は、戦国武将の「家紋」と「系図」をコアとして、その興亡の歴史、山城探索などの情報を発信しています。 戦国丹波国衆伝 ・田中 豊茂(家紋World)著 ・丹波新聞社 ・A4版・124ページ ・定価:本体2,000円+送料370円 丹波の戦国時代といえば、織田信長の命を受けた明智光秀と丹波に割拠した国衆たちとの戦いという括りで語られることが多い。確かに織田信長の登場は、丹波のみならず日本史の画期となったことは間違いない。しかし、丹波にはそこに至るまでの乱世を一所懸命に生きた国衆たちの興亡の歴史がある。 戦国時代の丹波で活躍した丹波国衆31家の歴史を、名字の由来、家紋、山城などから掘り起こした一書。 【兵庫丹波の国衆】足立氏・芦田氏・余田氏・吉見氏・荻野氏・赤井氏・久下氏・和田氏・中澤氏・酒井氏。細見氏・畑氏・大芋衆・荒木氏・波々伯部氏・波多野氏・籾井氏・内藤氏
凡例 斜体・・・点傍点の代わり 太字斜体・・・○傍点 〃 国防の本義と其強化の提唱 (陸軍省新聞班) 本編は「躍進の日本と列強の重圧」の姉妹篇として、国防の本義を明かにし其強化を提唱し、以て非常時局に対する覚悟を促さんが為め配布するものである。 目 次 一、国防観念の再検討 二、国防力構成の要素 其一 人的要素 其二 自然要素 其三 混合要素 三、現下の国際情勢と我が国防 四、国防国策強化の提唱 其一 国防の組織 其二 国防と国内問題 其三 国防と思想 其四 国防と武力 其五 国防と経済 五、国民の覚悟 (附表省略) 一、国防観念の再検討 たたかひの意義 たたかひは創造の父、文化の母である。試練の個人に於ける、競争の国家に於ける、斉しく夫々の生命の生成発展、文化創造の動機であり刺戟である。 茲に謂ふたたかひは人々相剋し、国々相食む、容赦な
解説 本表は、慶長5年から慶応2年までの間に、江戸幕府によって改易された大名家を将軍の治世別に分類したものである。明治初年に戊辰戦争の敗戦などで新政府から処罰を受けた大名23家の一覧も加えた。 江戸幕府の大名処罰は、慶長5年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、戦後、敵対した西軍大名106家を除封・減封に処したことから始る。家康はこれによって得た約650万石の没収地を、自分に味方して功のあった外様大名に分配する一方、徳川家の直轄領を増大させ、新たに親藩・譜代大名を創設して各国の枢要の地に配置するなど、幕藩体制の基礎を固めていった。これ以後、大名廃絶政策は江戸幕府の大名統制の根幹をなすものとしてさかんに実施され、草創期には旧主家の豊臣家や福島家・加藤家・堀尾家・蒲生家・生駒家といった豊臣色の濃い外様大名、松平忠輝・徳川忠長ら徳川一門の中の反宗家勢力が、幕府の安泰と権威拡大のために取り潰されてい
京都薪能 平安神宮の薪能を、オンラインで御覧ください。謡曲「一角仙人」の原典となった今昔物語集の説話の現代語訳もあります。
さぁぷらす研究室 この館は佐藤裕紀が、細々とまとめた戦史について扱っていく部屋です。 ジャンルが無作為な上に、マイナーなのばかりですが。 取り敢えず、徒然に書いたものですので、お気軽に覗きてみてください。
Welcome to my Home Page. This Home Page is dedicated to Imperial Japanese Army. The descriptions and data of this page are all based on Japanese sources, and they are translated into English directly. So, you will find a lot of informations which have not ever been published in the West. The purpose of this Home Page is to describe Imperial Japanese Army from a military viewpoint. I have no intent
▼ 2015.10.03 『三國志』魏志五を訳 ▼ 2015.06.29 リンクに1件追加 ▼ 2014.12.31 『三國志』魏志二十七を訳 ▼ 2014.10.11 『三國志』魏志三十の訳を完了
令和6年3月27日 26名の人物を追加しました。 令和5年11月14日 37名の人物と、ピックアップ「幕末・明治初期の商社誕生に関わった人々」「明治の公衆衛生に尽力した人々」を追加しました。 令和5年7月25日 64名の人物と、ピックアップ「関東大震災後、帝都復興に関わった人々」「黎明期の政党を担った人々」他2件を追加しました。 令和5年3月14日 98名の人物と、ピックアップ「兄弟姉妹で活躍した人たち」「自筆の原稿が見られる文学者」他5件を追加しました。 令和4年12月9日 32名の人物と、ピックアップ「世界を見たサムライ達」を追加しました。 令和4年6月9日 29名の人物と、ピックアップ「明治期の女性教育者」「産業の発展を支えた貢進生」を追加しました。 令和4年2月24日 19名の人物を追加しました。 令和4年2月16日 155名の人物と1,100点以上の肖像を追加し、サイトをリニュー
<BODY bgcolor="#ffffff" background="img001.gif" text="#000000" link="#0000ff" vlink="#800080" alink="#ff0000"> <A name="_pageHead"></A> <TABLE align="center" border="0" width="800" cellpadding="0" cellspacing="0"> <TBODY> <TR> <TD align="left" valign="top" width="800" nowrap><FONT face="MS Pゴシック">■お求めはメールで直</FONT><FONT face="MS Pゴシック"><BR> </FONT><FONT face="MS Pゴシック">接お申し込み下さい。</FONT><FONT face="
明治30年10月10日、広島県倉橋島に生まれる。 陸軍幼年学校、陸軍士官学校(第30期)、シベリア出征を経て、陸軍大学校(38期)。 卒業後、整備局から関東軍経済参謀、対満事務局事務官と兵站および経済関係の職責を歴任した後、兵務局、参謀本部第8課と情報活動に従事。 その間に準備委員として陸軍中野学校の設立にもたずさわる。 その後、軍務局軍事課高級将校を経て軍務局軍事課長と陸軍官衙の要職を歴任。 大戦を目前とした昭和16年初頭、米国へ出張、野村大使らと対米交渉にあたり日米戦回避のための日米諒解案を策定するも外務省の否認を受け南方戦線転出。開戦後はシンガポール攻略戦に参加、重傷を負い、回復後、岩畔機関を設立、インド独立工作にあたる。 昭和40年、京都産業大学初代理事、同大世界問題研究所長 このたび、本サイトを立ち上げるのは、旧陸軍軍人岩畔豪雄(いわくろひでお)大佐(終戦時少将)の行った太平洋戦
青森空襲 1945年7月28日B29よる青森市空襲とは... 次代への証言 青森空襲を体験した市民による手記 青函連絡船空襲 1945年7月14日アメリカ海軍艦載機による攻撃で全滅した青函連絡船空襲とは... 仙台俘虜収容所第十一分所 八甲田山中にあった知られざる俘虜収容所の実態は... 青森県の戦争遺跡 青森県内に現存する旧軍施設と強制連行の跡地 紅いの血は燃ゆる... 青森県学徒勤労動員抄史 青森空襲資料常設展示室 青森市による資料常設展示室のご案内 青森空襲を記録する会について 大本営発表 戦後ウソの代名詞となった大本営発表。その実態は... アメリカ陸軍航空隊作戦日誌 アメリカ空軍公式作戦記録にみる本土空襲 本土空襲墜落B29調査 アメリカ側から見たもう一つの本土空襲とは... 大東亞戰争開始以来の一般被害の概況 敗戦直後まとめられていた本土空襲被害の実態は... リ ン ク
本ページは、戦前戦中にかけて盛んに行われたにも係らずまと まった形での記録がほとんど残っていない、民間からの献納機(陸軍:愛国号、海軍:報国号)、特に陸軍献納機についての調査結果を公開するものです。
「花は桜木人は武士」は江戸時代に武士を称揚した言葉です。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」は昭和8年から採用された小学1年生国語読本教科書(ヨミカタ)の最初の文であります。「俺とお前は同期の桜 ・・・・」は大東亜戦争中に盛んに歌われました。いずれも軍国の思想を奮い立たせていたものでした。 そして「大東亜戦争」(太平洋戦争)に敗戦してから60年の歳月を経ました。戦争を体験した私も81歳と馬齢を重ねあの世も目前のものとなりました。 桜の花は相変わらず爛漫を失いませんが、軍国の思想は跡形もなく消滅。「平和ボケ」と言われるほどの平和が現在の日本を覆っています。有史以来の敗戦となった大戦争の悲惨な事実は、既に歴史の彼方に埋没してしまったように私は感じています。平和な日本の現状しか知らない若者の世代ですから、やむを得ないのかも知れません。 しかし、『今の日本の平和と繁栄は偏に身命を犠牲にした多
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