タグ

ブックマーク / jseagull.blog69.fc2.com (6)

  • 私的情報整理法-便利ツール紹介:考察NIPPON

    「たまにはいつもと違う話題」シリーズ(なんだそれ?)の2回目。 ネットで情報収集している方に少しは役に立てるかも?ということで、自分が普段使っているツールを3つほど紹介してみます。 ☆ WEBサイトに好きなようにマーカーできてしかも消えないツール。 ☆ 軽くてマーカー出来る無料のPDFリーダー ☆ ソーシャルブックマークの乗り換え ------ せっかく読んだものは、頭に入れておきたいし、あとから参照・利用できるようにしておきたいものです。 たとえば、私がを読む時は、重要だと思ったり、あとで調べようと思った部分には傍線を引いたり付箋紙を貼ったりします。そして一冊読み終えると下の写真のような有様になります。 傍線引きまくり、付箋紙貼りまくりで、どこがホントに重要なのかよく分からない状態。学生時代から進歩していない(笑) 傍線がグニャグニャなのは電車の中でを読んでいるせいです。 ちなみに、

    maroon_lance
    maroon_lance 2008/06/22
    Wired-Marker
  • 辻政信の「潜行三千里」が復刊されていた:考察NIPPON

    ひょんなことから、辻政信の「潜行三千里」 が今年の2月に復刊されていたことを発見したのでメモ。 自分は、特攻隊員を除けば昭和史の人物に焦点を当てるような勉強の仕方はしていないので、辻政信についても断片的なイメージしかないのですが、かなり興味を引かれる人物であることには間違いありません。 なにしろ、陸軍の中では富永恭次、牟田口廉也とならんで印象があまりよろしくない人物なもので。 二・二六事件の一因とも言われる陸軍士官学校事件や、ノモンハン事件、シンガポール華僑粛清、バターン死の行進、ガダルカナル戦と、重要なシーンで捕虜の処刑や部下の戦死について責任ある立場にあったものの、終戦後は僧侶に変装して逃亡。その逃亡時の記録がこの「潜行三千里」 です。 シンガポールでは「抗日華僑」を選別する検問所で現場責任者に、「なにをぐずぐずしているのか。俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っているのだ」と言っ

  • 66年前の今日4月18日、日本本土初空襲の日:考察NIPPON

    1942年(昭和17)4月18日、66年前の今日は、日土が初めてアメリカの空爆を受けた日です。日歴史上、初めて空から敵の爆弾が降ってきた日です、 米軍指揮官の名前をとって「ドーリットル空襲(Doolittle Raid)」(またはドゥーリットル)と呼ばれます。 真珠湾攻撃からまだ間もない時期で、 アジア各地での破竹の進撃にまだ日が酔いしれていた時、いきなり首都東京が空爆を受けました。他には川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸が空襲を受けています。 これは、太平洋上の空母から発進したB-25爆撃機(右写真)が日を空襲、空母には着艦できないためそのまま中国やソ連に飛んでいき着陸するという奇抜な作戦でした。その時のルートが、右上の図(クリックで拡大)です。 この空襲による日側の被害は、死者50人、破壊家屋262戸とのこと。 首都東京が空襲されたわりには少ないように思われるかも知れませ

  • 映画「靖国 YASUKUNI」にまつわる諸問題 追記:考察NIPPON

    この映画をめぐる問題について、少し追記しておきます。 話の争点が、映画の登場人物の刀匠が納得していないことに移ってきているようです。 これを、制作者サイドは、「国会議員によって刀匠が変心したのでは?」といい、当の刀匠御人は話が違うと主張、さらに監督らの態度に「信用できない」とおっしゃっているとか。 刀匠の言い分は、高地新聞のインタビューがあり、それをグリッティさんが全文を引用されています。 映画「靖国」の刀匠インタビュー全文(璧を 完うすさん) こういう出演者とのこじれは、ドキュメンタリー映画(番組)では往々にしてあることなのかもしれません。 (自分の仕事でも、取引先と合意したつもりが細部の認識がずれているなんてことはよくありますし) 中には意図的なケースもあるのかもしれません。今回はどうかわかりませんが。 ともかく、制作サイドから出演者への趣旨説明などは真摯に行われるべきでしょうけどね

    maroon_lance
    maroon_lance 2008/04/15
    「「プライド-運命の瞬間」という映画について、パール判事の息子・プロサント・パール氏が憤慨しているという話です。 」そういえばそういう話もあったような
  • 日露戦争の記録フィルムを紹介:考察NIPPON

    「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル) 「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)

  • 1945年3月21日 神雷部隊(桜花)初出撃・・・そして全滅:考察NIPPON

    (1分51秒) (冒頭に桜花が発進する様子を再現したCGがありますが、初出撃の際は、1機も母機から発進できぬまま15機すべてが撃墜されました) 出撃を前にして、桜花を「使い難い槍」と評した野中五郎少佐は次のように言い残していったそうです。 「成功すればめっけ物だが、そう簡単にはいくまい。俺は陸攻機の腕っこきを連れてゆく。これで駄目なら、もう誰がやっても駄目だ」 「俺で駄目だったら、糞の役にも立たぬ特攻など、ぶっつぶしてくれ」 そしてまた、 「湊川だよ」とも言っていたそうです。 湊川とは、かつて楠木正成が勝てぬ戦いと知りながらもあえて戦って死んだとされる故事のことです。 出撃後は、全機無線機を積んでいるにもかかわらず、申し合わせたかのように、基地からの呼びかけに一切応答しなかったとか。「極限の特攻機 桜花」を著した内藤初穂氏は、 全滅必死の攻撃を命じた上層部にたいする無言の抗議ともうけとれる

  • 1