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1945年3月21日 神雷部隊(桜花)初出撃・・・そして全滅:考察NIPPON
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1945年3月21日 神雷部隊(桜花)初出撃・・・そして全滅:考察NIPPON
(1分51秒) (冒頭に桜花が発進する様子を再現したCGがありますが、初出撃の際は、1機も母機から発進で... (1分51秒) (冒頭に桜花が発進する様子を再現したCGがありますが、初出撃の際は、1機も母機から発進できぬまま15機すべてが撃墜されました) 出撃を前にして、桜花を「使い難い槍」と評した野中五郎少佐は次のように言い残していったそうです。 「成功すればめっけ物だが、そう簡単にはいくまい。俺は陸攻機の腕っこきを連れてゆく。これで駄目なら、もう誰がやっても駄目だ」 「俺で駄目だったら、糞の役にも立たぬ特攻など、ぶっつぶしてくれ」 そしてまた、 「湊川だよ」とも言っていたそうです。 湊川とは、かつて楠木正成が勝てぬ戦いと知りながらもあえて戦って死んだとされる故事のことです。 出撃後は、全機無線機を積んでいるにもかかわらず、申し合わせたかのように、基地からの呼びかけに一切応答しなかったとか。「極限の特攻機 桜花」を著した内藤初穂氏は、 全滅必死の攻撃を命じた上層部にたいする無言の抗議ともうけとれる