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ブックマーク / number.bunshun.jp (139)

  • ハマの守護神は小さくても守れます。マリノス飯倉大樹の巧妙なGK技術。(岩崎龍一)

    ポステコグルー新体制で飯倉大樹の走行距離が話題となっている。それとともに分のGKとしてのプレーも見逃せない。 「現代のサッカーではストライカーに大きな給与が支払われるが、実際はGKの方が重要かもしれない」 2015-16シーズンを前に、同じロンドンのチェルシーからチェコ代表のペトル・チェフを獲得。半年を経た年末に、アーセナルのアーセン・ベンゲル監督が語った感想だ。 ゴールという歓喜の瞬間がサッカーという競技のハイライトである以上、ストライカーは間違いなく花形の存在だ。しかし、1点を奪うことと、1点を防ぐことが同等の価値を持つという当たり前の観点に立てば、優れたGKを持つことはタイトルへの近道といえる。 横浜F・マリノスの飯倉大樹。彼が人に与える印象はそれほど派手なものではないだろう。ところが注意深く見ると、「当たり前」のように行われるプレーは、正確な技術と判断力、小刻みに繰り返されるポジ

    ハマの守護神は小さくても守れます。マリノス飯倉大樹の巧妙なGK技術。(岩崎龍一)
  • 札幌の魂・河合竜二のマリノス愛。古巣に伝える「まだやってますよ」。(井川洋一)

    一般的な知名度が高いのは小野伸二と稲潤一だろう。しかしクラブの苦楽の歴史を知る河合こそ、今の札幌を象徴する選手である。 『NumberWeb版2017年J1順位予想』で、3人のうち2人が最下位、もう1人が17位としたチーム。それが昨季J2王者の北海道コンサドーレ札幌である。 ベガルタ仙台の拠地での開幕戦であえなく敗れたことにより、それらの見立ては早くも説得力を持ち始めている。 「仕方ないよね。(シーズンが)終わった時に、それを裏切ることができるようにしないと」 件の順位予想について訊かれ、河合竜二はそう答えた。 一昨季までの5年間、札幌でキャプテンを務め、今季は同クラブで7シーズン目を迎える重鎮は、高校時代の同級生からの不躾な質問を真正面から受け止めた。広い度量は、彼と筆者がチームメイトだった16歳の頃から備えていたものだ。 プロ生活20年間で3度の昇格、2度の降格を経験。 「J1はす

    札幌の魂・河合竜二のマリノス愛。古巣に伝える「まだやってますよ」。(井川洋一)
  • 暗黒時代の終焉と、三浦大輔引退と。DeNAとファンが諦めと決別するまで。(村瀬秀信)

    この期に及んでも気が乗らない。どうせ感傷的な記事になることはわかりきっているからだ。 この「野次馬ライトスタンド」も、更新しないまま半年以上の月日が流れた。今シーズン、インタビュー以外のベイスターズに関する記事を書けなくなったからだ。 自分は嫌なファンだと自覚している。コラムでは、期待されるような原稿は書けない。この半年、編集部から何度も案を貰っても、書いてみては消す。その繰り返し。散々待たせて結局放り出した挙句、この原稿も1週間以上待ってもらっている。当にごめんなさい。 そして、横浜DeNAベイスターズがクライマックスシリーズ初出場を決めた。 2007年にセ・リーグにクライマックスシリーズが導入されて以降10年。12球団で唯一出場のなかったチームが、お題目のように唱えていた「CS」にようやくたどり着くことができた。 「あとは勝つだけですよ」と何度耳にしたことか。 当に長かった。 勝率

    暗黒時代の終焉と、三浦大輔引退と。DeNAとファンが諦めと決別するまで。(村瀬秀信)
  • ボールを持ったら大迫勇也を探せ。「2トップなら絶対負けない」FWに。(寺野典子)

    「ゴールを決められる、ストライカーとしての怖さを示して、自分に対する認識を変えなくちゃいけない」 レスターの岡崎慎司は常にそう繰り返してきた。先発リストから名前が消えた現在はもちろんだが、守備力や運動量などが評価されていた昨季も「そういうところを評価されるのは危険だ」と言い、FWとしての存在価値を示そうと戦っている。 昨季に続き今季も先発出場を続けるヘルタ・ベルリンの原口元気だが、守備に奔走させられ、攻撃での仕事がなかなかできない現実のなかでもがいている。攻撃時にパスすら出てこない。9月24日のフランクフルト戦も10月1日のハンブルガーSV戦でも、原口の状況は同じだった。 「どうやって攻撃で力を出せるのか、というのは常に考えている。でも今日も、後半はほとんどチャンスがない状況だった。一番のチャンスはイビセビッチやシュトッカーに集まる。変な話、アシストを増やしていったほうが良いのか、と言う考

    ボールを持ったら大迫勇也を探せ。「2トップなら絶対負けない」FWに。(寺野典子)
  • 内村「1人1人紹介してもいいですか?」体操団体金メダル、“最強の5人”。(矢内由美子)

    リオデジャネイロで歓喜の輪ができた。内村航平が、白井健三が、加藤凌平が、田中佑典が、山室光史が、コーチ陣も巻き込んで飛び跳ねながら回った。 「オリンピックの金だよな?」「俺たち、金メダルだよな?」 互いに確認しあうように訊き合った。 5人が心を合わせ、いや、日の体操界が心を一つにして目指してきた五輪での団体金メダル。アテネ五輪以来12年ぶりの喜びを、もっともっと強く噛みしめたいと、選手たちはジャンプをし続けた。 内村「個人で一回獲りましたけど、全然違う」 「北京、ロンドンとメダルを獲ってきて、今回が一番重い。個人で一回獲りましたけど、全然違う。仲間と獲った金メダルはうれしいを超えちゃっていますね」 キャプテンの内村が感無量の面持ちを浮かべる。 ロンドン五輪に続いて決勝で6種目を任されたエースは、「表彰式では声が裏返るくらい歌おうとみんなで言って、国歌を歌った。大きな声で歌えて良かったです

    内村「1人1人紹介してもいいですか?」体操団体金メダル、“最強の5人”。(矢内由美子)
  • 小野伸二が語る“運命を変えた一戦”。「プロサッカー人生でピークは……」(Number編集部)

    18歳でのサッカーワールドカップ出場は、いまだに日人最年少記録である。 小野伸二のサッカー人生は、日サッカーの発展と軌道をほぼ同一にして、上昇曲線を描いていた時期がある。けがのために表舞台から一時、退くことはあったが、長らく日サッカーの大黒柱の一人であり続けてきた。 『NumberPLUS(「スポーツノンフィクション2016 運命を変えた一戦。」5月12日発売)』の取材で、久しぶりに小野伸二に会った。天才フットボーラーの20年にわたるサッカー人生を振り返るとともに、小野伸二というアスリートの「運命を変えた一戦」を描き出す取材だ。 キャンプ地・沖縄と拠地・北海道での二度にわたるロングインタビューで、小野伸二は自身のサッカー人生を振り返ってくれた。そして小野伸二と深いかかわりのある5人の関係者を取材してまわった。それは同時代に、サッカーを主な担当として雑誌『Number』を作っていた

    小野伸二が語る“運命を変えた一戦”。「プロサッカー人生でピークは……」(Number編集部)
  • <独占インタビュー> イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。~Rewrite the Rule~(Number編集部)

    74歳になった今も全く変わらない、日そしてサッカーへの愛情。 日を離れて早7年──。今、オシムの目に日はどのように映るのか? 彼が待つサラエボに飛び、“我々が進むべき道”について聞いた。 ――今回のテーマは「Rewrite the Rule」。つまり、組織や社会を変革するための哲学についてお聞きしたいと思います。あなたは2006年にサッカー日本代表の監督に就任した際、まず最初に「日サッカーの日化」を掲げました。そこにはどんな意図があったのでしょうか。 「日化は実は簡単なことではなかった。言うは易しだが、実現は難しい。日人の特長を見極め、それを引き出す。さらに他者と比較する。ブラジルやイングランドと比べたとき、いくつかの領域で違いが明らかになった」 ――日人の特長とは何なのでしょう? 「勤勉さの面で日人は能力に恵まれている。それは能力であり特長だ。日では誰もが勤勉に働いて

    <独占インタビュー> イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。~Rewrite the Rule~(Number編集部)
  • イビチャ・オシム「日本にもう一度行けるようならば、私もとても嬉しい」(イビチャ・オシム)

    日本代表監督のカリスマがサッカーの現在を深く洞察する メルマガ「イビチャ・オシムの『オシム問答』」。 最新号の中身をちょっとだけ……特別にご紹介いたします! ▼Lesson.111 目次 【1】〈今回の「オシム問答」〉 「ヨーロッパに行く選手は、行くことだけで満足してほしくない」 【2】〈「オシムとの対話」〉 「日にもう一度行けるようならば、私もとても嬉しい」 【3】〈「ジャンマルク・ギウー、アカデミーを語る」〉第2回 「サッカーはアートか、戦いか? それは哲学的な問題だ」 【4】〈「オシムの教え」〉 「サッカーは、リズムとテンポ両方を保っていなければならない」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】〈「オシムとの対話」〉 「日にもう一度行けるようならば、私もとても嬉しい」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    イビチャ・オシム「日本にもう一度行けるようならば、私もとても嬉しい」(イビチャ・オシム)
    masashichan
    masashichan 2015/09/03
    鹿島ジーコみたいにどこかのクラブの総監督ポジションとかどーだろう、できるだけ負担かけないように。
  • 今Jリーグで最も見ておくべき選手!?横浜FM・アデミウソンは超万能FW。(茂野聡士)

    アデミウソンは1994年生まれの21歳。2014年にはU-21代表としてトゥーロン国際大会でチーム得点王となり、ブラジルの優勝に貢献した。 どうも、「ロマーリオ2世」という触れ込みはしっくりこない。 横浜FMに加入し、14日のFC東京戦でJデビューしたアデミウソンのことだ。 U-17時代から世代別ブラジル代表に名を連ね、来年のリオ五輪でも中心選手と目されているアデミウソン。18歳にして名門サンパウロFCでデビューを飾り、U-21ブラジル代表でも10番を背負うなど、将来の世界的ビッグネームと成りうる存在だ。ちなみに今回の移籍はマンチェスター・シティを傘下に置く「シティ・フットボール・グループ」が横浜FMと提携していることもあって加入が決まったと言われている。 横浜FMはシーズン開幕前に、最前線のファーストチョイスと目されたラフィーニャが負傷。開幕戦では来サイドアタッカーの齋藤学が1トップを

    今Jリーグで最も見ておくべき選手!?横浜FM・アデミウソンは超万能FW。(茂野聡士)
  • J2MVPに輝いた田中、昇格までの決意と覚悟。~松本山雅で継いだ松田直樹の魂~(二宮寿朗)

    「多くのファンやサポーターに選んでもらえたことに価値があると思う」 Jリーグアウォーズ来場者の投票によって決まる「J2 Most Exciting Player」に選出された松山雅の田中隼磨(はゆま)は、喜びを強く噛みしめていた。 名古屋グランパスでレギュラーを張りながら戦力外通告を受け、悔しさを胸に秘めて出身地の松を新天地に選んだのが今シーズン。無尽蔵のスタミナとアグレッシブなプレーで「走る山雅」の象徴となり、J1昇格に大きく貢献した。得点を稼いだわけでも多くのアシストを記録したわけでもない。それでも右サイドのダイナモは圧倒的な存在感を放っていた。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 661文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく NumberWeb内のすべての有料記

    J2MVPに輝いた田中、昇格までの決意と覚悟。~松本山雅で継いだ松田直樹の魂~(二宮寿朗)
  • 松本山雅の「3番」を受け継いだ男。田中隼磨、松田直樹の魂とともに。(二宮寿朗)

    松田直樹から引き継いだ3番を背負い、松の地で走り続ける田中隼磨。盟友は、彼の新たな地での活躍をどう見ているのだろうか。 「緑」は壮観な山々を、「白」はアルプスを覆う雪や混じりけのない自然をイメージさせる。重厚感ある松山雅のユニホームに、背番号3は実によく映える。 「山雅の3番」は2011年8月、急性心筋梗塞で他界した元日本代表、松田直樹がつけていたことで知られる。クラブにとって特別な番号であることは言うまでもない。欠番にこそしなかったが、一昨年、昨年とずっと「空き」になっていた。 2014年3月2日、J2開幕戦。 乗り込んだアウェー、味の素スタジアムのピッチに「山雅の3番」がいた。センターバックではなく、右ウイングバックに。 ポジションの違いもさることながら、威圧するオーラや圧倒的な存在感という意味でも松田とは異なる。だが、不思議と違和感はなかった。背番号3が思いのほかしっくり来ていた

    松本山雅の「3番」を受け継いだ男。田中隼磨、松田直樹の魂とともに。(二宮寿朗)
    masashichan
    masashichan 2014/03/14
    「マツさんはJ1でマリノスに勝ちたいって言ってたけど、僕もJ1に上がってグランパスを倒したいっていうのがありますからね」
  • <ソチを逃しても、飛び続ける理由> 船木和喜×岡部孝信 「大飛行を、もう一度」(阿部珠樹)

    地元開催の五輪で、日の丸を背負って飛んだ。 最高の結果を残し脚光を浴びてから、16年目の冬。 日ジャンプ陣が苦戦を強いられる中、今なお 現役の2人のベテランは、なぜ飛び続けるのか。 1998年の長野オリンピックで、日ジャンプ陣は4つのメダルを獲得した。個人ノーマルヒルで船木和喜が銀、ラージヒルでは船木が金、原田雅彦が銅、団体では先のふたりに斉藤浩哉、岡部孝信が加わったメンバーが金。準パーフェクトとも呼べるような成績で世界の頂点を極めた。 団体のメンバー4人のうち、原田と斉藤は現役を退き、指導者の道を歩んでいるが、船木と岡部はいまもなお現役で飛びつづけている。岡部は10月には44歳、船木も4月には39歳になる。競技会に出ると、息子のようなティーンの選手たちと並んで順番を待つことも少なくない。 かつて頂点を極めたふたりだが、その後の競技生活はかならずしも順調とはいえなかった。さまざまな紆

    <ソチを逃しても、飛び続ける理由> 船木和喜×岡部孝信 「大飛行を、もう一度」(阿部珠樹)
  • 19歳、金メダルは新たなスタート!羽生結弦、日本男子初の五輪王者。(田村明子)

    「緊張しました。すみません」と演技後に漏らした羽生だが、表彰台ではさわやかな笑顔を見せてくれた。銀メダルのパトリック・チャン(左)、銅メダルのデニス・テン(右)と共に。 2月14日、男子シングルのフリーで羽生結弦がトップを保ち、金メダルを獲得した。19歳の羽生は、男子五輪チャンピオンとして史上2番目の若さである。日のフィギュアスケート金メダルは2006年トリノ五輪での荒川静香以来、2個目。男子としては史上初の快挙だ。だがその勝利への戦いは、決して楽なものではなかった。 「これが五輪というもの」とオーサー・コーチは言った。 「最初の4回転サルコウで転倒してしまい、続いた4回転トウループは降りたのですが、次の3フリップで失敗した。もう金メダルは遠ざかった、という気はしていました。後半になって足が重くなり、マイナスな気持ちが出てきてしまった。終わってから、今回は金メダルはないかなと思いました」

    19歳、金メダルは新たなスタート!羽生結弦、日本男子初の五輪王者。(田村明子)
  • <個人複合、初の頂点へ> 渡部暁斗 「変わり者が貫く“美学”」(折山淑美)

    「キング・オブ・スキー」と称されるノルディック複合。 '90年代、荻原健司ら日勢が隆盛を誇った時代にも、 個人種目の金メダルには届かなかった。 その頂きを視界に入れた新エースの真髄に迫る。 各競技で熱戦が続くソチ五輪。 今回はNumber846号に掲載したノルディック複合、 渡部暁斗選手の記事を全文公開します。 荻原健司たちが'90年代前半に、いち早く取り入れたV字ジャンプの威力で世界を席巻した日ノルディック複合。度々のルール変更で徐々に距離重視になる中、日は低迷の道を歩み始めていた。 だが、ようやく世界と戦える選手が出てきた。一昨年のシーズンに4勝をあげ、W杯総合2位になり、世界のトップへと駆け上がった渡部暁斗だ。昨季は優勝こそなかったが、安定した成績で総合3位。夏のGPでは総合優勝と、ソチ五輪でも世界一を狙える位置にいる。 だが、「単純に好きで始めて、楽しくて続けてきたという感じ

    <個人複合、初の頂点へ> 渡部暁斗 「変わり者が貫く“美学”」(折山淑美)
  • 渡部暁斗、20年の雌伏を破る銀。複合界の悲願はいかに実現したか。(松原孝臣)

    金メダルのエリック・フレンツェルに最後まで肉薄し、銀メダルを獲得した渡部暁斗。リレハンメル以来20年ぶりのメダル獲得は、ノルディック界の悲願だった。 「僕らしいんじゃないですかね」 2位という結果に対し、朗らかに笑いながらそう口にした。 ノルディック複合の渡部暁斗は、3度目のオリンピックで念願のメダルを手にした。 渡部の銀メダルの要因は、まずはジャンプが完璧であったことだ。100.5mの130点で2位につけ、首位のエリック・フレンツェル(ドイツ)と6秒差で後半のクロスカントリーのスタートを切ることができた。その時点で、表彰台は手堅いものとなった。 そしてクロスカントリーを迎える。 スタートして1.5km、渡部はフレンツェルをかわし、トップに立つ。 実はスタート前、渡部はフレンツェルと相談していたと明かす。 「一緒に逃げよう」 お互いに競う相手であるのに相談するとはユニークだが、両者には、ま

    渡部暁斗、20年の雌伏を破る銀。複合界の悲願はいかに実現したか。(松原孝臣)
  • <『キャプテン翼』作者が語る> 高橋陽一 「カール・ハインツ・シュナイダー誕生秘話」(田邊雅之)

    サッカー漫画の金字塔である『キャプテン翼』。 大空翼が欧州で出会う最大の好敵手が西ドイツの“若き皇帝”だ。 大人気漫画の作者がストーリーを構想した当時を振り返り、 名キャラクターが生まれた背景を明かした。 ブンデスリーガを特集したNumber835号より、高橋陽一先生が ドイツサッカーの魅力を語りつくした特集を全文掲載します! キャプテン翼を描き始めるきっかけとなったのは、1978年のW杯、アルゼンチン大会をテレビで観戦したことでした。 ちなみにこの大会では、ジーコやプラティニなどが脚光を浴びています。だからこそ私も翼を10番の選手にしたわけですが、一方では西ドイツ代表のFW、バイエルンに所属していたカール・ハインツ・ルンメニゲにも強烈なインパクトを受けました。そこでジュニアユース時代の翼の物語にも、カール・ハインツ・シュナイダーというドイツ人の若手を登場させることにしたんです。シュナイダ

    <『キャプテン翼』作者が語る> 高橋陽一 「カール・ハインツ・シュナイダー誕生秘話」(田邊雅之)
  • 松田直樹はなぜ、愛され続けるのか。~著者・二宮寿朗が語る「闘争人」~(Number編集部)

    『闘争人 松田直樹物語』(右) 『松田直樹を忘れない。~闘争人II 永遠の章~』(左) 二宮寿朗著 三栄書房 1524円+税(2冊とも) ――――『闘争人 松田直樹物語』から4年。“闘争人II 永遠の章”として『松田直樹を忘れない。』を上梓されました。松田選手が亡くなってから2年が経過したわけですが、二宮さんとしても、まさかこのような形で2冊目を刊行されるとは想像していなかったのではないでしょうか。 「僕の中では『闘争人』で松田選手のサッカーへの情熱や日本代表復帰への想いを、一度描き切ったと感じていたので、正直なところ2冊目という発想は頭の中にありませんでした。ただ、松田選手が亡くなって一周忌を過ぎた頃、編集者の方からお話をいただいて。ここは自分の出る幕じゃないのではないかと、悩んだのですが、やはり“松田直樹を残したい”という気持ちが芽生えてきて、もう一度彼の人生を辿ってみようと思いました

    松田直樹はなぜ、愛され続けるのか。~著者・二宮寿朗が語る「闘争人」~(Number編集部)
  • 収穫は新戦力の台頭だけじゃない。東アジア杯で栗原勇蔵が得たもの。(二宮寿朗)

    失点に絡んだら、点を取り返す。勝利を逃したら、次は絶対にやらせない。栗原の“巻き返し”は流れを変える力がある。 国内組の若手中心で挑んだ東アジアカップで、ザックジャパンは優勝を遂げた。 柿谷曜一朗、大迫勇也、豊田陽平、山口螢、工藤壮人、齋藤学……次々とA代表デビューを飾り、輝きを放った新星たちばかりに注目が集まった。そんな彼らを、陰から支えていたのがザックジャパン常連メンバーや経験者たちだ。その一人に、ディフェンスリーダーを務めた栗原勇蔵がいる。 大会が始まる前、彼はこう言っていた。 「今ここにいるメンバーというのは別に贔屓目なしに、海外組とかに技術でも負けてないと思う。国内組イコール二軍みたいに見られているかもしれないけど、練習で一緒にやっていてもそんなことはまったく感じないし、慣れたら全然やれると思う。(海外組がいなくても)そこそこできるっていうのを見せられたらと思う」 従来のメンバー

    収穫は新戦力の台頭だけじゃない。東アジア杯で栗原勇蔵が得たもの。(二宮寿朗)
  • <引退記念インタビュー> 小橋建太 「プロレス馬鹿と呼ばれても」(門馬忠雄)

    “絶対王者”が華々しく現役生活に幕を下ろした。怪我に悩まされ、 がん闘病生活も余儀なくされながら、なお消えなかった闘争への能。 25年間、誰よりもプロレスを愛し、 リングに人生を捧げてきた。 すべてを出し切った男の顔に“後悔”の影はなかった。 座右の銘「一生懸命」。5月11日、プロレスラー小橋建太はその言葉通り、観客1万7000人の心をひとつにして、思い出いっぱいの日武道館で完全に燃え尽きた。 師ジャイアント馬場、兄貴分ジャンボ鶴田が生前、果たすことのできなかった引退試合を、“ベストバウト”を繰り広げた戦友たちと、自分の弟子である元付き人4選手を相手に、激闘の39分59秒で締め括った。 叩き込んだチョップは渾身の187発。第6代GHCヘビー級チャンピオン時のベルトをつけた“絶対王者”は、必殺技のバーニング・ハンマー(変型の垂直落下式ブレーンバスター)こそ出さなかったものの、青春の握り拳

    <引退記念インタビュー> 小橋建太 「プロレス馬鹿と呼ばれても」(門馬忠雄)
  • <J開幕20年、名実況が紡いだ歴史> アナウンサー山本浩の回想 「日本サッカー、幼年期の終わり」(細江克弥)

    Jリーグ開幕戦 ヴェルディ川崎vs.横浜マリノス】「声は大地から沸き上がっています。新しい時代の到来を求める声です。すべての人を魅了する夢、Jリーグ。夢を紡ぐ男たちは揃いました。今、そこに、開幕の足音が聞こえます。1993年5月15日。ヴェルディ川崎 対 横浜マリノス。宿命の対決で幕は上がりました」 '90年代になり、Jリーグが産声をあげ、W杯がようやく現実の目標になった。 あの頃、日サッカーには悲劇があり、奇跡があり、そして歓喜があった。 色褪せない記憶はひとりのアナウンサーの声とともに刻まれている。 1993年5月15日、日サッカー新時代の幕開けとなったJリーグ開幕。 この20年で数多くのドラマティックな試合、そして名実況が生まれました。 Number824・825号に掲載された山浩アナの回想録を全文掲載します。 ブラジル代表にしてはあまりにも地味なアレモンという選手の名前が頭

    <J開幕20年、名実況が紡いだ歴史> アナウンサー山本浩の回想 「日本サッカー、幼年期の終わり」(細江克弥)