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2018年3月27日のブックマーク (4件)

  • 『プランクの長さ』

    ものの長さには最小単位がある。 このことを初めて知った時は正直ショッキングだった。 物質を構成する素粒子も無限に分割出来る訳ではないから、 当然それはあってしかるべきなのだが、 世界が連続体(アナログ的に)として存在しているように日々感じていたから 何とも不思議な感覚を覚えたものだ。 具体的には 0.0000000000000000000000000000000000016 メートルくらいらしい。 これをプランク長と言う。 量子力学的にこれ以上は観測出来ない(長さを測れない)という意味らしいので、 測れないだけで実際にはそれよりも短い長さ自体はある、と言うことも出来る。 しかし観測出来ない程の短さは科学的にはないも同然だとも言える。 ※最近では量子カオス系で更に小さな構造が現れるとか何とか書いてあったが、 難し過ぎてよく分からなかった‥‥。 いずれにせよ、長さには最小単位が存在するというこ

    『プランクの長さ』
  • 残された問題 その3

  • それでもわれわれが「右でも左でもない」を目指すべき理由 | 文春オンライン

    これは、両極化しやすいこの世界でバランスよく自由にやりたい多くのひとにとっても、役に立つ視座になるはずである。 「赤旗から聖教新聞まで」 もう4年近く前のことだが、ある編集者に「書き手として、赤旗から聖教新聞まで出られるように」といわれたことがある。そのときはそんなものかと軽く受け流していたが、年々そのことばの重要性を痛感するようになった。現在では完全に座右の銘となっている。 もちろん、これは「日共産党や創価学会に配慮せよ」ということではない。「両極端なメディアからともに声がかかるぐらい独自路線でやれ」ということだ。わかりやすく「右のメディアにも、左のメディアにも出られるようにせよ」と言い換えてもいいかもしれない。 もっとも、日共産党と創価学会の対立は、ときに左右のイデオロギー対立よりも熾烈なものだから、「赤旗から聖教新聞まで」はよくできた比喩ではある。

    それでもわれわれが「右でも左でもない」を目指すべき理由 | 文春オンライン
  • 友人が人を殺してるかもしれない

    少し前、友人と二人で飲みに行った。 彼は乱用された意味のリア充ではなく、自律してうまく社会に溶け込み、現実世界を丁寧に生きているという意味でのリア充だ。 満遍なく人当たりがいいという感じで、特別親しい友人は多分いないと思う。 でも、毎日楽しそうに見える。 お互いビリヤードが好きなことがわかったので、思いつきで誘ってみたら、普通に承諾してくれた。 ビリヤードが終わった後に、居酒屋に行き一緒に飲んだ。 今までの飲み会や打ち上げを見る限り、彼は酔いやすいタイプってわけでも、酒癖が悪いタイプでもないが、ビリヤードの時も飲んでいたせいか、お互い出来上がってしまった。 出来上がった私がさらに勧めるせいで、相手はさらに酔っていた。 人間は酔うと、性が出るのか、口が軽くなることが多い。 私もしょうもない暴露話をいくつかした。 過去の恥ずかしい話や、やってしまった変なことなど。 そしたら彼もいくつか話して

    友人が人を殺してるかもしれない