JRが東京周辺ほぼすべての電車の運行を停止した歴史的な土曜日の翌日、2019年の10月13日の夜8時、あなたは台風19号の後始末に追われていたかもしれない。ようやく動き始めた電車に乗って、日曜日の職場で前日の後始末をして月曜に備えていたかもしれない。避難勧告で家を出たまま、避難所ですごしていたかもしれない。 そしてもちろん、多くの視聴者と同じように、家で、あるいはスポーツバーで、視聴率39%を記録したラグビー日本代表のスコットランド戦に声援を送っていたかもしれない。 色々な状況があり、いろいろな価値観がある。僕が今から書くのは、あの日、日本を覆った台風被害とスポーツの熱狂の裏で『いだてん』宮藤官九郎が何を語っていたかということについての話だ。夜に放送された第39回『懐かしの満州』は、第二章の最終幕であるだけでなく、『いだてん』という大河ドラマの本質、宮藤官九郎本人が「最も描きたかった」と語
弓指寛治は(ゆみさし かんじ、1986年 - )日本の画家。三重県伊勢市出身。 略歴[編集] 母校である名古屋学芸大学の学部生時代に、ジャン=ミシェル・バスキアや、サイ・トゥオンブリーなどのアメリカ絵画に出会い、 深い感動を受けて絵画制作を始める。 同校の修士課程後、学生時代の友人4人と名古屋で制作会社である「株式会社M304」を設立し、この時期には主に映像制作を行っていた。 2013年9月より代表取締役を辞任し、本格的に画家としての作家活動に力を入れている。[1] 活動の契機[編集] 2013年に画家としての作家活動に注力するため、2015年の春にゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校に参加する。 しかし、同年の秋に母が自死してしまい[2]、これまでの人生観や生活が一変してしまう程の大きな失望を経験する。 この出来事をきっかけに死者への鎮魂や、亡き者への視点を変容させる絵画作品の制作を手掛け始
昭和14年5月12日払暁に来襲したソ聯軍を迎えて火ぶたを切ったノモンハンの徹底的敗北を軍事通たりし筆者がその裏面史を描く 初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「ノモンハンの敗戦」(解説を読む) 関東軍には以前から一種の悪癖があった。陸軍省、参謀本部を小馬鹿にしたり、時の政府の方針など屁とも思はず、自分たちのやりたい放題のことをやる。それが日本として対内的にも対外的にもどんなマイナスになろうと知らぬ顔で通そうとする気風である。 この関東軍の悪癖は軍部全般に伝染し、やがて日華事変を巻き起すのであるが、それは本題から外れるので省略する。とに角、昭和初頭、高級参謀河本大作大佐が軍司令官や参謀長にも内緒で満洲王張作霖を暗殺し、田中義一内閣を瓦解に至らしめ、次いで間もなく満洲事変を惹き起して成功してからは関東軍はいよいよ本領(?)を発揮して張皷峯事件から、ノモンハン事件に発
これ。「昭和19年は満洲帝国がまだ存在してたの」というが、満洲帝国は存在してても、やばくなりそうだと引き揚げる人はいたし、また内地への出張名目で呼び戻される人もいた。吉岡記者のツイ-トは別におかしくない。 https://t.co/88PlGe1uUX
加藤郁美 @katoikumi 昭和商店街で楽しい戸越~武蔵小山を散歩していたとき、朗惺寺さんというお寺で「荏原郡満州開拓団殉難者慰霊碑」に出くわし、武蔵小山商店街商業組合有志の満蒙開拓団が結成され、1039人が移民、戦況の悪化で移動中に、匪賊の襲撃を受けて800名余りが死亡したことを知って驚いた。 加藤郁美 @katoikumi 戦況が悪化して物資が不足、配給制となり、廃業せざるを得なくなった商店主たちが、開拓民として満州へ渡らせられた。それを指導したのが…安倍祖父の岸信介商工大臣だったという😖。都会で商店主たちは農業経験がなく、開拓は困難を極めたとのこと。d.hatena.ne.jp/kaerudayo/touc… twitter.com/katoikumi/stat…
東宝ニューフェイスの第6期生として、1953(昭和28)年にデビュー。端正なルックスとスケールが大きい演技で人気を集め、数多くの映画や舞台、テレビドラマに出演。85歳の今も幅広い活躍を続ける 宝田の原点には、苦しい戦争体験がある。日本統治下の朝鮮で生まれ、2歳からは満州のハルビンで育った。1945(昭和20)年8月15日に敗戦を迎え、暮らしも価値観もすべてがひっくり返った。「筋金入りの軍国少年」だった11歳の宝田は、あの日の「玉音放送」をどう受け止めたのか。 ハルビンの自宅で、両親といっしょにラジオの「玉音放送」を聞きました。父親と母親が、畳の上にへなへなとへたり込んだ姿をよく覚えています。両親に「これ、嘘でしょう? 日本は負けてないでしょう?」って何度も聞きましたね。自分はこれからどうすればいいのか。内臓をスポンとえぐり取られたような虚脱感というか、むなしい風穴が体の中に開いたような感覚
飛鳥~奈良時代に一時的に都が置かれた難波宮跡(大阪市中央区)の発掘調査現場から、1939(昭和14)年に旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境付近で旧日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が武力衝突した「ノモンハン事件」に関する旧日本軍の機密資料が見つかっていたことが11日、分かった。終戦時に米軍の接収を免れるため焼却処分された燃え残りとみられ、文書には「『ノモンハン』血ノ教訓」などの記載もあった。事件から今年で80年。戦争遂行に際しノモンハンを教訓に戦略を立てようとした状況が分かる貴重な資料になりそうだ。 発掘調査は難波宮の遺構がある国立病院機構大阪医療センターの建て替え工事に伴い、大阪文化財研究所(現大阪市文化財協会)が平成28~29年に実施。同所には戦前、陸軍歩兵第三十七連隊の本部があり、戦時中に同連隊が使っていた防空壕(ぼうくうごう)も十数基発見された。 防空壕は深さ1~2メートルほど。
先般、岩波新書で『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を上梓した。幸い、ドイツやソ連の現代史を専攻する研究者、歴史には一家言ある読書家の諸氏にも高評価をいただき、ほっと胸を撫でおろしているところだ。もっとも、独ソ戦のような巨大なテーマを、それも紙幅の限られた新書で扱ったのであるから、書き切れなかったトピックが多数あったことは否めない。だが、さまざまな事象をすべて詰め込むことが不可能であるのは自明の理だ。 通史や概説の執筆にあたって必要不可欠なのは、何を書くかではなく、何を書かないかを判断するための物差し、言い換えれば、当該のテーマをいかに分析するかの枠組みであることはいうまでもない。それなしに、年表を文章にするがごとく、ひたすら時系列に沿って事実を並べてみたところで、読者は退屈するばかりであろう。──いや、何よりも、著者自身が、そんな単純作業に耐えられない。 よって、拙著では、独ソ戦は通常戦争、収奪戦
今日、歴史はたいへん語りにくくなっている。とくに近現代史はそうだ。SNSで少しでも「間違った」ことをいえば、「お前はレイシストか?」「歴史修正主義と戦っていない」「最新の研究を読め」「素人は黙っていろ」などとリプライが飛んでくる。もちろん大本にはデタラメな右派論者の台頭があるのだが、その反動で行われる批判も、いささか教条主義的で排他的な嫌いがないではない。 歴史との付き合い方は、もっと自由かつ柔軟であるべきではないか? 一介の歴史好きとして、評者は今日の風潮を息苦しく思っていた。だから、本書を読んで「あっ」と驚き、爽快な読後感を味わった。ここでは、満洲の建築遺産も、ソ連の宇宙開発も、じつに縦横無尽に語られているからである。 すでに白眉と名高い「ソ連と崇高」では、哲学的な美と崇高の違いからはじまり、チェルノブイリの原発やモスクワの宇宙航空学記念博物館に話が転じ、最後には共産趣味や工場萌えなど
成田 賢(なりた けん、1945年10月22日[1] - 2018年11月13日[2])は、日本の音楽家、歌手。本名は成田 慶一[1][2]。 満州国大連生まれ[3][1][2]。 略歴[編集] 2歳の時に満洲から博多(福岡県前原市)へ引き揚げ[4]し、5歳の時に父が他界し母方の実家がある北海道札幌市に移る[1][2]。 北海道札幌北高等学校に入学し、バンド活動を始める[1]。ある時、ジャズ喫茶で歌っていたところを大阪のバンドから加入の誘いを受けたことがきっかけで、歌手になる道を選ぶ[1][5]。その後単身関西へと移り、「成田賢一」の芸名でバンド「ケーパーズ」に所属。ライブハウスでの音楽活動に加え吉本新喜劇の舞台で芝居も経験する[1][5]。 その後、東京のバンド「ダークホース」での活動を経て、札幌で石間秀樹と共に「ザ・ジャローズ」を結成し活動[1]。1966年に石間とともにジャローズを脱
新聞記事から思い立って、取り壊しの決まった大阪市の軍艦アパートを訪ねた。 昭和5年完成のこの市営下寺住宅は軍艦アパートの名で市民に親しまれていた。訪ねたのは平成18年の3月に入ってからで、多くのカメラマンが取り壊される前に写真を撮っておこうとカメラを構えていた。もう既に全戸引っ越された後で、カメラマンや最後の姿を見ようとやってきた人ばかりだった。以下新聞記事を転記する。 築75年、独特の外観から「軍艦アパート」の異名で知られる大阪市営の「下寺住宅」(大阪市浪速区)が、06年度中に取り壊されることになった。2月末までに住民全員が引っ越す。大阪市によると、現存する最古の鉄筋公営住宅。建設当時、最先端を誇ったが、老朽化には勝てず、ナニワの人情を育んだ「昭和の面影」がまたひとつ姿を消す。 下寺住宅は1931(昭和6)年、満州事変が起きた年に完成した。大阪市が30年代に、浪速区内につくった三つの近代
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く