盲目的な財政赤字コワイコワイ論は、歳出を伴うあらゆる政策をトンデモ視することに繋がりかねないという危惧
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このnoteでは荻上チキ編著『宗教2世』の問題点をいくつか指摘していく。 しかし本稿はその内容を批判すること自体を目的としていない。 目標とするのはこの本が映しだしている現下の社会的風潮から、このさき起こりうると予想できる事態に警鐘をならすことにある。 僕は母親がエホバの証人の信者だった家庭でそだったアラフォー男性である。 だが25年以上まえの高校生のときからその宗教コミュニティからは離れている。 これはこのnoteを執筆するおおきな動機のひとつだ。 というのも『宗教2世』という本にはすでに浅山太一さん(タサヤマさん)によってかかれた書評がある。 本を批判する内容だったものの周到に準備されたことがうかがえる抑制のきいた文章で、指摘されていた問題点もほとんどが妥当だったと思う。 だから本来であれば僕のような海のものとも山のものともわからないようなシロウトがでる幕などないはずだった。 だが書評
京都精華大学の松下哲也先生の以下のツイートに対する意見の備忘録。 ツイート❶ たしかにあまり上品な比喩だとはいえずそこは反省しますが、「若い女性社員に浴衣を着せて宴会場で酌をさせながら尻を触ってゲラゲラ笑うおっさんばかりの慰安旅行に楽しんで参加できるような人でないと面白く思えない映画」は、この映画を楽しんだ奴はセクハラ野郎だという意味には絶対になりません。 追加ツイート❷ 「これはまるで生きているように見える彫刻だ」が「この彫刻は生きている」には絶対にならないのと同じです。こういう比喩表現を読むときは、修飾語がどの単語にかかっているのかに注目してください。 大まかに 松下氏が「若い女性社員に浴衣を着せて宴会場で酌をさせながら尻を触ってゲラゲラ笑うおっさんばかりの慰安旅行に楽しんで参加できるような人でないと面白く思えない映画」などといったシン・ウルトラマンに対する感想をツイートする ↓ 多数
相反する立場で争っている人間たちが互いに極度に似通っているということはあまり珍しくないが、ネット上では特にその傾向は強いように思われる。 特に、加害者と被害者、強者と弱者といった二元論的対立は、最終的には互いが相手のほうこそ加害者であり、真の被害者は我々のほうであるといったふうな堂々巡りに帰着することが多いが、こういった議論では立場Xと立場Yがそれぞれの加害性の否認にリソースを割いてしまい、その加害性を必然たらしめている構造Zにまで及ぶことが少ない。 そして、二元論的な対立では「差別対反差別」のような、一見するとどちらが正義でどちらが悪かはっきりしているような問題でも、糾弾する側とされる側の勧善懲悪的世界観が「似通っている」ことが多く見られる。 それは差別だー差別ではない! ネット上の反差別運動とさらに反ー反差別運動を横断している大きな誤解とはまず、差別の有無を悪意の有無と厳密に結びつける
実例を見ると、ぺこぱ風ツッコミ(?)の偉大さがよくわかる。「NECを知らな!…いのは、若いから仕方がない」「高速でシートベルトを外!…してるときはオレが気をつけて運転しよう」的な。
ホームレスならば「かわいそうだから入れてやれ、拒絶する区が悪い」というお左翼様たち。 では、これが窃盗や性犯罪の前科者だったどうする? しかも常習性がある人だったら。 人道上、拒否しちゃいけないんだよな? 自分の隣に受け入れるかい?
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