2014-09-24 【世界遺産】イタリアの洞窟住宅街・マテーラ イタリア セピア色の街の歴史 南イタリア・バジリカータ州にある町・マテーラは、洞窟住宅「サッシ」の密集地として世界的に有名な場所です。 新石器時代から人が住んでいましたが、本格的に開発がなされたのはローマ時代から。ローマ帝国崩壊後は、ロンバルト族のベネヴェント公国、ビザンチン帝国、ノルマン人など約400年の間に支配者が次々と変わります。 15世紀になり、スペイン・アラゴン家の支配下に入って以降、町は安定し繁栄します。17世紀にポテンツァにその地位を譲るまでバジリカータ州の州都として栄えました。 1993年に世界遺産に指定されました。 マテーラへの行き方 バーリから私鉄アップロ・ルカーネ鉄道に乗車。片道4.8ユーロ。所要1時間半。 バーリ発:6:48、8:07、9:51、10:48 マテーラ発:14:24、16:22、17:3
Photo by CARLO ELMIRO BEVILACQUA, rilasciata con licenza CC BY-NC-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/) 所在地:アンドリア市郊外(プーリア州)バーリの西55km 登録年:1996年 名君として知られ、当時南イタリアも統治していた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世がバーリ近くの高台に13世紀に建てた城です。 均衡のとれた八角形構造で八角形の塔と庭があり、中世の軍事建築として大変独創的です。 広野に佇む堂々とした孤高な姿は壮観。またイスラムと北方ヨーロッパゴシック的な建築様式が見事に調和をみせています。 ユネスコサイト
傾いた塔、ピサの斜塔 ピサ・ロマネスク様式の大理石の塔で大聖堂の鐘楼として1173年に着工。 ピサはアルノ川が運んできた土砂の上にあるため地盤が大変弱く、この塔は1185年に第3層(10mの高さ)まで出来上がった時に地盤沈下のためにすでに傾き始め、工事は一時中断されました。そのため工事は第二工期/第三工期と間隔を開けて進められる事にりましたが(着工から実に199年もの年月が経った1372年に完成)、しかし傾きを修正することはできず、そのまま54メートルの塔が立てられました。 塔は白大理石を用いた円筒形で、重さ14453トン、外周の直径は17mにおよび、高さは北側で54.8m南側で55.65m、南へ向かって4m50(5度30分)傾いています。塔の南側の地盤沈下は2.4mにおよびます。一番下の部分は開口部のないアーチ(ブラインド・アーケード)が並び、菱形模様で飾られています。この様式はピサ独特
こんにちは。浅羽です💪( ˙ω˙ )🇪🇸🇮🇹 イタリア、まじでスペイン語通じました。スペイン語で話していい?と質問するとイヤ無理ごめん、と言われることもありますが、質問するまえにスペイン語でダーーッと喋ってしまえばだいたいの言いたいことは伝わると学びました。笑 最初はスペイン語でゴリ押すのも失礼かなと思ってたどたどしい英語で会話していたのですが、結局時間がかかって相手に迷惑をかけてしまうので、最終的にはいつもスペイン語で話すようになりました。英語、勉強せねば… そもそもスペイン語をちゃんとしゃべれるイタリア人もそこそこいます。すげえ。スペインにはイタリア語しゃべれる人あんまおらんで。同じく理解はできるみたいですが(※友人談) イタリアのカフェラテが怖かった さて、1/2〜9の一週間ほど一人でイタリアを旅行してきたので、その旅行記をまた写真たっぷりで書こうと思います(*⌒▽⌒*)
イタリア最南端の島ランペドゥーサに行ってきたので写真うp Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/08(日) 11:12:20.58 ID:RkxPMPV90 参考 : 【画像】ここの海すげえwwwwwwwwwwww ランペドゥーサはイタリアのシチリア南沖ににある小さな島 イタリアとは言っても、チュニジアのほうが近いくらいで島は独特な雰囲気でした ちょっと前に船が宙に浮いてるように見えるってスレがあったと思いますが、その島の海です 日程は7月1日から3泊4日で 写真がかなりあるのと、写真うpするのが今回初めてなんで時間かかるかもしれませんが、楽しんでもらえれば幸いです 3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/08(日) 11:13:26.67 ID:KqvkHkg/0 期待 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りしま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く