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オタクとetcに関するmegyumiのブックマーク (10)

  • 他人事関連 - matakimika@hatenadiary.jp

    毎回話のオチが「ダメだ」「できない」「死にたい」みたいなかんじになる若いひとが居て、このひとはこのワンパターンというかループからの脱出がなかなかできないでいるんだなと思っていたが、たぶんその捉え方はちょっと違うんだよなと思った。 彼が陥っている状況は、ようするに最強に強まった自意識がすべての行動の邪魔をしている、というオタにはありがちのドツボなのだが、たぶん順番が逆だった。「できないという状況」が自然になるように、何度かなにかにつまづいていくうちに、(無意識に?)状況を正当化したのだ。つまり、自意識が強すぎれば、なにかができなくても不自然ではないという判断から、彼の自意識は強まったのではないか。 彼はいま不満足な状態に居るわけだが、同時に極めて安定しているともいえる。強すぎる自意識と行動面での失敗が、いかにもそれらしく一致しているからだ。安定しているので、何度でも同じループに戻ってくる。た

    他人事関連 - matakimika@hatenadiary.jp
    megyumi
    megyumi 2007/03/29
    >「できないという状況」が自然になるように、何度かなにかにつまづいていくうちに、(無意識に?)状況を正当化した
  • おれの人文系・似非人文系鑑定基準 - matakimika@hatenadiary.jp

    漠然と人文系・似非人文系といってみるが、優劣とか正当性とかについての意図はない。あと、もちろんおれに人文系的な素養はないので、門外漢からの視線として。 なんかふつうの話に人文系っぽいジャーゴンを混ぜてこねくりまわすのは似非人文系のひと。 人文系の話題を身体的な用語で説明するのがトゥルー人文系のひと(「脱臼」「捻挫」など)。 「ふつうそういうのは脱臼しないだろ」というようなもの(パラダイムとか)が脱臼していると、人文系っぽい。 実際には、専門語使わなくても簡潔に語れる話題に専門語を混ぜて話を冗長に(ややこしく)してしまっているひとは似非っぽくて(カタカナ営業語を乱発する政治家のひととかサラリーマンのひととか)、専門語抜きでは冗長になって合意を得るまでに時間のかかりすぎる問題を、専門語を適切に織り交ぜることで手短に提示できるひとが物っぽいっていうような、わりと基的な話だろうか(つまり専門的

    おれの人文系・似非人文系鑑定基準 - matakimika@hatenadiary.jp
  • また君か。@d.hatena: オタファッションとしての作務衣雑感

    滅びつつあるオタ様式を、時流に沿わず自ら踏襲するという意味での個人的保護に比較的熱心なおれとしては(たとえばおれが日記でひとの名前に執拗に「氏」をつけるのは、「そのほうがオタっぽいであろうから」との判断からであり、これは往年のオタ同士が会話上で「○○氏が…」みたいな言い方をしていたという記憶に依拠している)、作務衣オタについてもメモしておかねばなるまい。けどいざキーボードに向かってみると案外書くことがなかった。なんだか単に「むかしは居たよね」で終わってしまう。 もうちょっと無理矢理書こうと努力してみると、まあとにかく「オタクにとってファッションというのは機能である」ということだ。これはオタファッション系のサイト群でもよく言われていることであるし、おれもそれに同意する。似たような「むかしはけっこう見たけどいまは全然見かけないオタファッション定番」としてカメラマンジャケットがあり、案外作務衣と

    また君か。@d.hatena: オタファッションとしての作務衣雑感
  • 超電子ダイナモ - matakimika@hatenadiary.jp

    セーター。静電気がすごくてエレベータのボタン押すたびに通電して指先にあショックウェーブギニァアアアアア。というほどべつに痛くないんだけどっていうかほとんど毎回だから逆に覚悟が決まっちまうよ慣れたよもう。痛みに慣らされるというこの屈辱。酸素を吸って錆びていく肺。死に向かって生き続ける人生。レンガを投げねば宇宙は飛べない。 帯電といえば「静電気が怖くてドアの前で立ちすくんでる厚手のセーター着た女子」という光景に対する熱情を力説していた友人が大学時代に居た。当時に彼が「萌え」という単語を知っていれば、その熱情を説明するためあそこまでのカロリーを消費することはなかったろう。「萌え」は「なむあみだぶつ」に似ている。

    超電子ダイナモ - matakimika@hatenadiary.jp
  • 2003-03-10

    結局かたちにならなさそうだから、バックグラウンドタスクになんとなーく沈殿していた雑想をメモ。相変わらず萌え関連。 生産者と流通者と消費者でいうと萌えは明らかに消費者の側で作ったもんだからこの仕組みを流通がすくい上げ利用しようとするのは非常にまっとうなことだと思う。アニメショップとかオタ向け雑誌とかすごくまっとうな商売だ、ああいった商売で間違ったことをやったら即座に死ぬが正しくまっとうなやりくちで売ってるぶんに死ぬことはない。牛肉をひき肉に加工してハンバーガーとして最終的に客の胃袋に入るって仕組みのことだからそれはわかりやすい。 だけど生産者側にまでその装置を持って行くっていうのは無理があるよな。客はハンバーガーがいたいんだからハンバーガーのなる木を栽培しましょうみたいな話に感じる。とすればこういう考えは最初から違和のものであると自分で納得すべくおれの脳内に浮かんできたもので、おれがなんと

    2003-03-10
    megyumi
    megyumi 2007/03/20
    >生産者と流通者と消費者でいうと萌えは明らかに消費者の側で作ったもん
  • 初泳ぎとマルコヴィッチの迷路 - matakimika@hatenadiary.jp

    土曜の夕方あたりから泳ぎたいっていうかプール行きたいっていうかそういえば去年から全然泳いでないっていうかもう完全に絶対に速攻でプールで泳がなければおれは死ぬっていうような気分だったので日曜の昼に一念発起して池袋に出かけて海パン買ってその足で市民プール行って泳いできた。 海パンっていうのが問題で、おれはオタなので服飾に関してデザインとか意匠とかブランドとかそういったオカルティックな概念に対しては1円たりとも支払うつもりがないのでとにかく普通の水泳用のパンツを買うのだと意気込んで市街地をウロウロしていたんだけどそもそも海パンっていうものがどこで売ってるものなのかよくわからないのな。 男のおれが自分でこういうことを言うのはとても気持ち悪いことでもあるけどしかしあさりよしとお「ルクルク」のヒロインのひとがおつかいに行ったときの気分がおれはわりとよくわかる。海パン買いたいなら海パン屋に行けばいいだろ

    初泳ぎとマルコヴィッチの迷路 - matakimika@hatenadiary.jp
  • オタクのグルメ - 愚仮面

    「モノをべる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあ ダメなんだ 独りで静かで 豊かで…」 (井の頭五郎 久住昌之・谷口ジロー「孤独のグルメ」) 「オタクファッション」というものが語られることは良くありますが、「オタク」というものが語られることは見かけません。 それはオタクべ物の関わりが薄いというイメージによるものだと思いますが、オタクも意外とい物の話にはうるさいと思います。 そして、オタクのことを考える上では、意外にというのは面白いテーマだと思います。 服装ほどにはとやかく言われないオタク生活。 一つには、事の場面が外見と違ってパッと見てもわからん、という理由があるでしょう。その他の特徴に比べてそれほど目につかないので、意識すらできないわけです。 たとえ意識されても「オタク=偏家で生活が超貧弱」というイメージで語られがちです。 例えばウィ

    オタクのグルメ - 愚仮面
  • 日本橋Blog(大阪・日本橋でんでんタウン 電気街巡回日誌):東京西都心小さなアキバ "立川" が濃くなりつつあるらしい

  • 現代コンテンツにおけるヒーロー観の変質

    NHK BS2では、定期的に昔の日映画が放送されている。自分が生まれる前に作られた古い日映画の中には、まだまだ自分の知らないワンダーランドがたくさんあって、非常に面白いものだ。 1956年 東映制作の「怒れ!力道山」は、当時の力道山人気と世相を知る上で、興味深い。ストーリーとしては、力道山がプロレス興行を通じて、悪いやつに潰されそうな施設を守るという、今で言えば“良くあるパターン”。貧しい子供たちを守る実在のヒーローとして描かれており、後に「タイガーマスク」の下敷きになったと思われる。 モノクロ作品だが、後年撮影用語で「せっしゅう」(被写体を台などに乗せて上に持ち上げること)の語源となった名優「早川雪州」が、悪役の政治家役としていぶし銀の演技を披露しているとともに、当時の国会議事堂周辺の様子などもうかがい知ることができる。 力道山のプロレスが子どもも大人も熱狂させた理由は、外国人レスラ

    現代コンテンツにおけるヒーロー観の変質
  • アキバで50人に聞きました!「アキバのどこで食べますか?」

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